この記事は、前回の記事
◆「東京オリンピック問題をスピリチュアル視点で。」
の補足でもあります。
きっかけは、前回記事へのコメントとして、
新国立競技場の有用性についてのコメントをくださった方がいて、
私の真意が記事内でお伝えしきれなかったかな?と思ったからです。
とはいえ、もしかするとこの補足は不要かもしれません。
私の言わんとすることを理解した方もいらっしゃるでしょうし、
ポイントそのものが伝わらなかった方もいらっしゃるかもしれないし、
記事とは別な考えがあり共感や同意をしない方もいらっしゃるでしょうし、
いずれにしても全部をカバーすることは私にはできないからです。
でも、トピックがトピックだけに(東京オリンピックだからね)、
普段このブログを訪問しない方も、タイトルから読んでくださる可能性もある。
そんなわけで、今回だけは、もう少し詳しい補足を書くことに決めました。
☆前回の記事☆を未読の方は、そちらに目を通してからお読みください。
☆☆☆
簡潔に言うと、前回記事で私のお伝えしているポイントは、たとえば、
デザイナーが盗作をしたかどうかとか、
新国立競技場がいかに役立つかとか、
そこじゃないんです。
それらは、全く関係ないのです。
また、たとえば、関連事項として、
エンブレムの選考委員会について、
選考そのものの経緯や裏事情、
デザイナー当人のあり方や仕事の仕方、
さらには、オリンピックという大会そのものについて、
スポーツ業界やスポーツビジネスについて。
などなど、色々な方面から内情を見ていくことはできますが、
私がここでしたいことは「真実を暴く」的なことではないのです。
だからこそ、それらをすべて記事では省略しました。
スピリチュアルな視点で見るということは、
見えているものの詳細について議論することではなく、
その元であるエネルギーの方を見るということです。
スポーツを愛し楽しめる人もいれば、
同じスポーツでも勝敗や成績を第一に置くあり方になってしまい、
結果として、人の心や健康を害する場合もあります。
これらは、「スポーツ」という共通のトピックを取っても、
人の心の在り方によって表れてくる「違い」です。
スポーツという事柄そのものは、中立です。
オリンピックという大会に関して言えば、過去記事でも書きましたが、
私は「自国だけを熱心に応援する」という感覚が、子供の頃からありません。
どの選手も熱心に練習して晴れ舞台に挑戦していますから、
日本だけ頑張れ!絶対に勝ってほしい!という風には思わないし、
もし、応援したいと感じる選手がいれば、他国の人でもその個人を応援します。
また、ニュースなどで「金いくつ、銀いくつ、銅いくつ」と計上し、
報道が過熱していくのにも長く違和感を覚えていました。
私からみると、それらのあり方は「旧エネルギー」に属しています。
もちろん、まだ、旧エネルギーの勢いは持続するでしょう。
でも、それが収束しつつあるのもまた事実です。
他の在り方を模索し実現しようとしている人々もいて、その勢いもあるからです。
「内的現実」が分かれ始めているのです。
これまでは明るみに出ていなかったとしても、
私たちがずっと(無意識であれ、意識的であれ)同意し生きていた、
「旧エネルギーの生んだ歪み」、「不調和」の部分は、
現実の出来事を通して、これからも表に出てくるだろう、ということです。
特定の個人が関わっている具体的な出来事に見えても、
それらは集合的な意識で起こっていることを反映しているのです。
今回のオリンピック関連で起こる問題もまたそうです。
もちろん、同じ“東京オリンピック”の開催でも、
1964年の東京五輪開催と今回とは全く違う意味を持っています。
色々な物事の「真実探し」や「糾弾」に便乗するのではなく、
スピリチュアリティーにフォーカスするのであれば、
背後にあるエネルギーに注目してください。
出来事の詳細ではなく「本質を見る」と、
スピリチュアル的にどんなことが起こっているのかを読み取れます。
もちろん、前回の記事で情報の選別について書いた通り、
私の見解にもまた、あなたが無理に同意する必要はありません。
あなた自身が感じることを、尊重してくださいね。
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