ふと振り返ると、夏は学びが加速する季節なのだなぁと感じます。
まるで、「遠心分離機」にかけて、
それまで溶け込んで見えなくなっていたものを浮上させるようなもので、
予期せぬ(それでいてどこか予期していた…)課題に直面し、やむをえず、
自己を見つめる作業に精を出している方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そんな方にもぜひお役に立てていただきたい今日のテーマは、
「決める力に気づいてる?」です。
決める力。
このテーマは私自身も、1度気づいて終わりというものではなく、
時期を空けては同テーマに何度も何度も気づくということを繰り返し、
その度に、気づきの「層」が深まっていくという体験をしました。
「私の現実は、私がつくっている(選んでいる)」
こう認識している方であっても、なかなか、
現実に直面して「自分が決めている」と見つめることには、
ときには困難を覚えることもあるのではないでしょうか。
経験する現実を自分で選択しているということを受け入れると、
あなた自身に「力」が戻るのですが、
それは、人生を生きていく中であらわれる被害者意識であったり、
受け身に傾きすぎる姿勢であったり、というものが改まるからです。
ただ、今回私が書こうとしていることは、
もっと深い、根本的なもので、だからこそ言葉であらわしにくいです。
その根本を、概念としてはこれまでも何度も記事に書いてきましたし、
皆さんもきっとどこかで聞いたことがあるでしょうけれども、
日々の現実に従事するとやっぱり忘れてしまうものなのですね。(@_@)
ですから、もう一度こんなたとえで説明します。
あなたの経験する現実(人生全体)とは、
わかりやすく言えば、あなたの製作した映画のようなものです。
監督はあなた。もちろん、脚本の作者(選者)だってあなたです。
実のところ、脚本は多種多様にあるのですが、
「この現実の中を体験している自分」には、
まるでそれだけが唯一の現実のように感じられます。
そのように、
「映画の外の存在」でありながら、
映画の中の“主人公”も経験できているのが今の私たちです。
それでは、このたとえで、あなたの現実に起こる出来事は?というと、
もちろんあなたがそのシーンを撮っています。製作してます。(ゝ。∂)
周囲の人々は?登場人物は?
もちろん、俳優たちには指示通り、演じてもらっているだけですね!(°∀°)b
想像してみましょう。
もし演目の中での“悪役”がいて、舞台挨拶で出てきた素の状態の俳優に、
「なんてひどいやつなんだ!お前を憎むよ!」
なんて罵声を浴びせる人がいたら、ちょっと笑ってしまうかもしれません。
演目や演出の世界にあまりにも没頭、感情移入しちゃって、
本人を「役柄」と同一視しちゃったんだな…ってね。
作品を楽しむとき、私たちは「演技を見ている」とわかっていますから、
役になりきって素晴らしい演技をした俳優さんを賞賛することができます。
ところが、現実世界ではどうでしょうか。
あなたは、「△△○○(あなたの名前)」という役に見事になりきり、
あなた自身をその役と同一視し、
周囲の登場人物皆についてもやはり、各配役そのものとして眺めます。
そして、
あの人がこう言った…この人はこう振る舞った…
私は、こんな状況に「みまわれて」しまった…
などなど、「製作者」である自分を忘れてそのように眺め、
そこに「自分の決定」はないものだと信じています。
みんなそれぞれが分離していて、好き勝手なことを言い、動き、
それはあなたにはどうしようもない。
なんと、人生はままならないのだろう!と。
予期せぬ嬉しさに対してはさほど疑問を抱かなかったとしても、
辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、失望、腹立たしいことがあったときには、
私たちはひしひしとそう感じます。
自分には決める力なんてないんだ、と。
なぜなら、起こることは外からいつのまにか押し付けられるようで、
そこに自分の「決定」が関わっているなんて感じられないからです。
ところが…
私がこの記事でお話ししたいことは、
あなたの「決める力」を思い出していただくこと。
しかも、その「決める力」とは、
あなたが今は使っていないということではなくて、
すでにもう、あなた自身で使っている。
ただ、どのくらいそれを「自覚しているか」に違いがあります。
自覚していない決定に関して、私たちは「勝手にそうなった」と感じます。
それで、ときに被害者だと感じます。自分はただの受け身だと感じます。
人生のこういう要素を必ずしも排除する必要はありませんが、
あなたがもし、何かに苦しんでいたり悩んでいたりするなら、
きっとこの記事は役立つはずです。
あなたの現実に起こっているあらゆることについて…
「人が(誰々が)」そうしたんだ、と見るのをやめます。
自分以外の、「○○の都合で」、「何かの事情で」、
それだけのせいでそれが起こり、私にチョイス(決定権)はない、
そう思っているとき、感じているときを、まず自覚するようにしてください。
(最近の関連記事★「服従癖から自由になろう!」 )
「それは私が決めたし、」
「今後も、私が決めます。」
このことを意識して思い出します。
すぐにはフィットしなくても、納得しなくても、繰り返し思い出すのです。
総監督であるあなたのことを。
最初はそんな実践に戸惑うことがあっても、
案外早くに、あなたはこう気づくかもしれません。
ずっと在った、自分の本当の「アイデンティティー」に、
単に戻るだけなんだということを。
決める力が無いフリを続けるのをやめる。
シンプルなことなのに、大きな違いを生むことがわかるでしょう。
これまでもあなたは(自覚があっても、なくても)決めてきていたし、
これからもあなた自身で決めていくんだということ。
たったこれだけ、
でも、このことを思い出すだけで、あなたには力がよみがえります。
ものごとを新たな目で見つめることができます。
もし、さしたる理由もないのにどこか不安で、
みぞおちやお腹まわりがソワソワと落ち着かなかったり、
足もとが弱々しくなったり、力が漏れる感じがするときがあれば、
「自分の意思と関係なく何かが起こってしまうと信じていないか?」
「自分には決める力がないと感じていないか?」
注意して、今日のテーマを思い出してくださいね。
スピリチュアルカウンセリング個人セッション
対面、スカイプ、電話でお話しします