こんばんは。(*^.^*)
今日のテーマは、「最も大きな思い込み」。
最も…っていうのはタイトルの語呂上というか、
これだけが“最”大の思い込みだよと言えるわけでもないんですけど、
私たちの現実に思いっきり影を落としている思い込みを扱うので、
こんなタイトルにしてみました。
過去記事を多くご覧くださった方にはすでにお馴染みですが、
私たちの人生の「現実」という経験そのもの、これは、
ある言い方をすれば「思い込みや錯覚」で成り立っています。
これについては様々な表現でこれまでもお話ししてきましたが、
たとえばあなたにとって、「読書や映画、芸術鑑賞の体験」が、
「これは架空の世界の中の出来事だ、ヴァーチャルなんだ。」
と、はっきりわかっていても…
それを楽しむことができるし、そのときの“経験”そのものは本物ですね。
架空であるはずのその経験が、あなたの心の糧になったり、感動を生んだり、
それによってあなた自身が考えたり刺激を受けたりと、
経験によってもたらされる“質”は、あなたに残ります。
私たちの人生の経験も同様です。
あなたが、
「私は、○○△△(氏名)という個人に限定されていない、
大きな存在だったんだ!」
と気づいたからといって、
この舞台での「個人のあなた」に意味がなくなるわけではありません。
たとえて言うなら、単に、
自分がゲームの画面内の「キャラクター」だという思い込みから、
ゲームのプレイヤーやクリエイターに認識が移るようなもの。
あなたの創造性は引き続き、「この舞台で」表現できます。
ところが…
私たちは何かと虚無的になります。投げやりになります。
イージーな答えを見つけ「終わりにしよう、白黒つけよう」とあせります。
その傾向にさらにドッキングする形で、
日常の生活においても、精神世界・スピリチュアル分野の中でも、
私たちにはびこるほとほと根強い思い込みが見受けられるんです。
それは、
「自分は、信頼できない存在である!(`Δ´) 」
という思い込みです(笑)
精神世界・スピリチュアル分野になると、この同じ観念が、
「低次の自己は信頼できず、高次の自己(ハイヤーセルフ)は信頼できる」
「個人の私は信頼できないから、全体の私を信頼する」
などなど、ヴァリエーションをもって細分化していくのですが…。
ざっくり言えば、あなたがどんな形式を採用するにせよ、何かと、
あなた自身を信頼しないことをたっぷりと学んできたのです。
これは決して「先天的なもの」ではないんですよ。
振り返ってみてください…
子供のとき、「えっ、これでいいんじゃない?」と感じていても、
「こういうものなんだよ」、「そのままじゃいけないよ」
と、自分の感性や発想を修正された経験があるかもしれませんし、
大人になっても、
「まともな大人でいるため」、「適応するため」、「役に立つため」…
あなたが必要と感じてきた様々な理由で、
自分自身よりも外にある正しさを信頼するよう努力したかもしれません。
そして、スピリチュアルな分野に興味を持った場合には、
あなた自身が自然に思い・感じることを疑い、
生じたフィーリングや、浮上してきた疑問も疑い、
それらは信頼に足らぬ「自己」が起こすものなので、消さねば!
…と、頑張った方もいるかもしれません。
どれもこれも、
「自分自身を信頼してはならない!」
という根強い思い込みから生まれる動きです。
すると、あなたは…
常に内から湧いてきて変貌自在の表現を持つ、
瞬間瞬間の真理、存在の息吹から、わざわざ目をそらします。
あなた自身など、信頼するに足らないと学習しているから。
自分を信頼しないプロになってしまったのです。
そしてどこかに既存の真理を探し、「これは信頼に足る」と認定できたら、
自らをその「型」にふさわしいものに変えようと…
その真理が指定するゴールらしきものに到達しようとか、模倣しようとか、
何とかそれを掴もうとする、興味深いゲームのスタートです!ヽ(;´Д`)ノ
やめていいんじゃない?
目を覚ましていいんじゃない?
あなたの生の心は何と言っているだろう?
存在の源に、何の切れ目もないならば、
あなたの感じること、思うこと、何もかもが価値あること。
ユニークな「あなた」としての視点、発想、感性、その全て。
唯一無二の経験を、なぜ信頼しないのでしょうか。
昨日は、EVERYBODY“みんな”は幻想、という話にもふれましたね。
◆「万人に受けることを手放す」
色んなムーブメントに情報、どこかの素晴らしく見える誰かの教え、
参考にしてもいいのですが、いつでも、あなたの内がささやく、
「本当は私は、こう思う、こう感じてる…」という声にこそ、
積極的に耳を傾けてください。
たとえもし、情報や観念がインストールされすぎて、
雑音が多くなってしまい、自分の心がわかりづらくなっていたとしても、
あなたの内から湧いてくるものに注目することをあきらめないで。
それは決して、消えてしまうことはないからです。
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