今日のテーマは「小さな頃からのエネルギーレッスン」。
最近の夢見の状態で経験した、亡くなった方との交流と、
同じ夢の中で受け取った、子供たちについてのメッセージを記事にします。
今週はじめ頃の空、お月様と美しい雲。
眠っている間の「夢見」の状態で亡くなった人と交流するとき、
寝るまでに特に自覚できる予兆はないのですが、
起床してから出来事を振り返れば、「そういえば…」と、
自分なりに適した条件が揃っていることに気づくことがあります。
ブログでは私の経験から、気候の条件や月齢、体のサイクル等、
「それが起こりやすい条件」を観察してきました。
でも、日常の中であらかじめ、
「今日は○○だから、夢で亡くなった人に遭遇するだろうな」
なんて考えたり、心の準備をして眠るということはまず、ありません。
経験してから、後で検証するといった具合です。
今回も、そのように、突然起こった出来事です。
しばらく前の出来事ですが、
夢の中で私は、40代~50代くらいの年齢の男性を見ていました。
この男性はすでに亡くなっている人です。
以下、夢で見た通りを書きますが、
人によってはご不快に感じる描写があるかもしれません、
心配な方は、読まないでください。
☆☆☆
この男性は、電車の人身事故で亡くなっていました。
詳しいいきさつはわからなかったのですが、男性の死の場面、
列車に轢かれる瞬間を私も追体験しました。
それは案外、重たく鈍い衝撃などではなくて、
くしゃっ!と生卵が割れるときのような瞬間の衝撃として経験されました。
即死だったのだと思います。
死後の…というべきか、目の前にいる霊としての男性はとても元気で、
「自分は自殺ではない!あれは事故だった!」
ということを勢いよく、伝えてきました。
自分が自殺なんかするわけないだろう!と元気満々で明るいのです。
わざわざこう伝えてくるということは、きっと、出来事そのものは、
事故か自殺かわからないということで周囲に処理されたのでしょう。
どうやらこの男性は、死んだということを自覚しているものの、
まだしばらくは現状のままを楽しんでいたいようでした。
霊としてさまよっているけれど亡くなったことは自覚していて、
次の行く所へ向かうまで、もう少しこのままでいたいという感じです。
私は、元気いっぱいのこの男性に、若干困惑していました(笑)
とにかく自殺でないということは伝えたかったんだな…と理解しつつ、
男性の、手持ち無沙汰を楽しんでいるような、でもどこか暇そうな状態の、
お相手をしたいとは思っていなかったので…
さて、困ったなぁ。どうしよう?という気持ちでいたのです。
そもそも、なぜこの方が現れたのかも不明なのです。※
(※この夢がきっかけで、朝起きてからの私は、あらためて、
頻発している列車の人身事故のことを考えました。
都心では日常茶飯事のようになっており、通勤をしたことのある方なら、
それで電車が遅れた、動かなくなった…という経験はよくあると思います。
でも、その都度何らかの形で、誰かが亡くなったりケガしたりしている。
本当はこれは、当たり前になってはならないことだよなぁ…と思いました。)
…そんな風に夢の中では、男性の扱いにやや困惑していたのですが、
やがて、ナレーションのように流れてくる「声」が、私に色々教えてくれました。
その内容は、主に、エネルギー的なプロテクションについてでした。
エネルギーのセルフケアと言ってもいいかもしれません。
簡単に言うと、自分のエネルギーを強く、純粋な状態に保つということ、
余分なエネルギーやノイズ(雑音)を取り込まないということです。
導かれるままに、そのための具体的なエネルギー技法などを実習し、
次第に「声」は、子供たちについての説明とヴィジョンを見せてくれました。
それは、大人が絵本の読み聞かせをするときのように子供たちを集め、
遊びの感覚で、小さな頃から「エネルギーの扱い方を教えている」
という楽しいヴィジョンでした。
子供たちにとって、それはたやすいことなんです。
教える人がいれば、子供たちはエネルギーを扱うことがとても上手です。
なぜなら、大人のように「物質的な世界だけがリアル」だとは決めていない、
そう固く思い込んでいないからです。
大人になってしまうと、エネルギーを扱う…と言われても、
「見えない、感じない、わからない」となってしまう場合がありますが、
これは、私たちが子供の頃から
「五感で捉えられるものが現実である」
というルールに馴染み、適応した結果です。
そのために、エネルギーのように「モノ」でないものは、
あたかも「無いこと」にすることができるようになったのです。
これも、「訓練」の賜物なんですね!
小さな頃からエネルギーについて「ある」ということを認めていれば、
エネルギーを捉えることも、扱うことも普通のことになりますし、
自分自身のことも「肉体=存在(生命)である」と捉えるのではなく、
エネルギー的な存在として見つめることでセルフヒーリングも上達します。
また、周囲の世界(全体)と繋がっていることも、おのずと実感できます。
子供たちに関するこの情報が、エネルギープロテクションの説明と、
どう繋がっていたかというと…
私たちは、特に都心のように人口も情報も多いところでは、
「集合意識」に影響を受け、
自分のエネルギー内に余分なものを取り込んでいることがある、
ということを伝えていたのでした。
影響を受けることも、もちろん「自分の選択」なのではありますが、
生きていれば、肉体を持っていれば、あなたもちょうど「放送局」のように、
自分自身が“電波”(エネルギー)を発信しているだけでなく、
集合意識という“電波”を受信してもいるのだということです。
そのとき、自分自身の純粋なエネルギーがどんなものか自覚していれば、
「何か余分なものを入れてしまったな」と気づくことができるので、
ちょうどラジオの局を、混線状態から望む周波数に合わせ直すように、
自分のエネルギーを調整し直すことができるんですね。
ところが、
「エネルギーなど、無い」という前提でそういう習慣がないと、
自分のエネルギーが何なのか、どんな風なのかわからなくなったまま、
どんどん、ずれた周波数の状態で暮らしてしまい、
気づくと、ストレスがひどく溜まっていたり、人生に絶望していたり…※
(※純粋な自分自身でなくなるということは、辛いことなのです。)
自分自身からずれるという、足場の「もろい」状態であるからこそ、
集合的なネガティブなエネルギーにも共鳴してしまい、
不安や怒りや悲しみや絶望や…つらい思いが増大して、
ついには、自らの生命を絶とうとしてしまうこともあると…。
そういうわけで、この「エネルギープロテクションの話」が、
今回の夢の中ではキーだったのでした。
小さな頃から、エネルギーレッスンが楽しく行えるような社会。
エネルギーという目に見えない視野を当たり前に持てる、
そうやって育った子供たちが大人になったとき、
世の中の価値観もずいぶん違っているでしょうね。
「自分が自分であること」をより大きな視野から認め、慈しむことができると、
集合意識的なネガティブな連鎖も起こらなくなり、
その構成自体がばらばらに外れて、成り立たなくなるのです。
そんな社会では、あえて自殺という形で命を絶とうとする人も、
きっと減少していくに違いありません。
もちろん、今回のお話は、
子供たちにスピリチュアルな英才教育をするという意味ではありません。
個人個人が自分の意思で何を信じてもかまわないけれど、
子供たちに一方的に大人が信じている価値観を注ぎ込み、
それに沿った期待を押しつけるなら、それは有害になりえます。
そうではなく、私たちが信じている「五感」よりも広い範囲にわたる、
すでに存在している能力や創造性を認め、当たり前に使っていく…
ということを、今回はお話ししました。
それは、私たちの呼吸や、体の機能や、自然界にあふれる生命の力、
それらと何ら変わりのないものだからです。
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