BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

自分の中心と自己中の違い

こんばんは☆

夕暮れがとてもきれいになってきました。

夏の夕暮れもきれいだけれど、だんだん寒くなってくるにつれ、

夕暮れや夜空の情緒がぐっと増すと思うのは私だけでしょうか。

ここ最近しょっちゅう、夕空の淡いグラデーションに感動しています。



今日のテーマは、「自分の中心と自己中の違い」


精神世界やスピリチュアル、あるいは「心」についてのお話の中で、

「自分の中心」だとか、「自分軸」といった言葉を聞くことがあると思います。


それは、外の影響や、他者がどう思うか・感じるかを中心にするのではなく、

「私は…」という自分自身の素直な思いや感覚を大切に、

内から発せられる「純粋な自分の表現」を中心に据えて生きていく

ということなのですが、


この「自分の中心」感覚というのは、

“自己中心的”という意味で使われる「自己中(じこちゅー)」と、

どのように違うのでしょうか。


それについて、お話しします。


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自己中とは、本当は「自分を信頼していない人」のことである。


一見、「自分のことばかり」考えていそうな自己中心的な性質は、

実は、「私(自己)」を中心に置くことができない、

「他者ありきの自己」という観点から、生まれています。


その心の中には、

常に他者や、外の何かの基準と比較され、検証され、さらされる、

自分は無力だ!と、ひしひしと感じている自己
が存在しているのです。


無力と信じているからこそ・自分の価値を感じられないからこそ、

「私」を一生懸命守ります。主張します。認めさせたいと思います。

外をコントロールしようとします。


私が!私が!

という風に見える自己中心的な様子の人の心をのぞくと、

その「私」とは「本心からの素直な私」に耳を傾けているわけではなく


「世間から私はどう見られているか。私の力を思い知らせられたか?

見くびられてはならない!低く(軽く)見られてはならない!」

と、怯えていたり…

「私の存在を認めてほしい、絶対に評価してほしい!」

という(自分でそれを認められないからこその)アピールに満ちています。


そういった恐れや不安というのは視野を狭くしますから、

結果として、自分の考えの外に出てみようという余裕もありません。

「なりふりかまわぬ自己中」になってしまい、

周囲の世界もまた、そのエネルギーを反映した世界になっていきます。


そのエネルギーとは、自己中心的な考えや行動を生む元になった、

自己価値への不信感や恐れや不安のエネルギー
の方なのです。


どんな強気な表現も振る舞いも、

元になっているエネルギーを隠すことはできません。



一方で、

「自分の中心」に定まっているときのエネルギーはどうでしょうか。


存在そのものの純粋な波動なので、「よろこび」を発しています。

それは何も、常時「わーいわーい!」と騒ぐような意味のよろこびじゃなくて、

静かな、穏やかなよろこびのこともあるんですよ。


簡単に言えば、軸がぶれていないので自然体であり、

なんだか周囲も一緒に心地よくなるような…楽しく感じるような…

そんなエネルギーを放っています。


また、

「自分の中心」から発するエネルギーと、それに沿った選択は、

周囲にとっても結局、(周囲もあなたの延長ですから、)

パズルのピースがちょうどよくおさまるように、調和した現実となります。


たとえば、

あなたがそのように「自分の中心」から生きているとき、もしも周りに、

あなたの考えや行動に個人的に同意しないという人がいたとしても、

あなたとわざわざ対立して嫌な感じになるということはありません。


なぜなら、あなたの方が、「闘う(争う)必要」を感じないからですね。

(対立するには、あなたと相手の両方が必要になりますね!)



誰かがあなたに同意するかどうか、共感するかどうかに関係なく、

あなたはあなたを生きているので、充実しているのです。


そしてまた、そういうあなたを見ていると、

あなたとは違った価値観を持ち、異なる生き方をしている人でも、

「この人は、こういう人なんだな。こういう人もいるんだな~」

と、なんとなく見守る感じになることが多いでしょう。


そう、周囲の人があなたを批難したり…

あなたは間違っていると糾弾したり…説き伏せようとしたり…

あなたのあり方について、とても否定的になって攻撃してくるときは…


それは本当は、

あなた自身の中にある迷いや葛藤、恐れ、罪悪感を、

「外の出来事として」体験していることがほとんどです。


それはあなたの心の中にあるものなのですが、

他者という「協力者」を経て、あたかも役者に劇を演じてもらうように、

出来事という形で見せてもらっているのですね。


それが、あなた自身の迷いや恐れや葛藤や罪悪感でない場合には、

あなたはそういう出来事に遭遇しても共振せず、ダメージを受けることなく

「その人(相手)自身の信じていることや気持ちを訴えているんだな」

と、中立に見つめることができます。


共に震える(共振する)とき、必ず、

あなたも同じ要素を自身の中に抱えているのです。



「自分の中心」から生きることを決めると、

あなたが自分の本心とは違うものに共振してしまったとき、

素早く「自分の恐れや不安」が何かを発見することができます。


それを、「外に属するものとして見るのではなく」、

自分の内にあるものが現れてくれたのだとして、

その「出どころ」、自分の内側に向き直ることができるのです。



自分の中心から生きるということは、現実(世界)と自分との関係を、

自己内の世界を経験しているのだと自覚している「夢主」の視点です。


一方、“自己中心的”であるということは、

本当は自分など世界中に多くいる登場人物の1人でしかなく、

取るに足らない、簡単に押しつぶされてしまう無力な存在だと信じている

そんな不安な心による、あらわれなのです。

「自分とは何か」ということを錯覚しているがゆえの表現だったのです。



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