今回は、「人生に飽きることと余生」です。
もうだいぶ以前から、自分の人生を「余生みたいだなぁ」と感じています。
何年も前からそういう感じがしていましたが、趣が変わるということもなく、
ますますそのような感じは深まっています。
「余生」というからには、その前の時期はどうだったかというと、
明らかに、もっと人間として生きていた時期がありました。
人間として生きる、というのも私なりの感じ方による説明ですが、
悩んだり苦しんだり、欲望や強い望みがあったり、叶えたい目標があったり……
と、もっと情熱的だったということです。
ある種の情熱があるからこそ、悩み苦しむこともできます。
(◆「期待と感情の大きさの比例」という記事もご参考にどうぞ)
つまり、人生の“中に”入って、力の限り演じることができていたと言えます。
それは、舞台俳優が、舞台上で役になりきって、見事に演じるようなもの。
ところがいつからか、
どうやってもそこに「入り込む」感覚は薄れていく一方で、
こういう仕事をしているとますますその傾向に拍車がかかります。
相変わらず、自然の美しさに感動したりと日々のよろこびはありますが、
自分の人生のインパクトというものは、薄れたということが否めません。
決して、私が「無私無欲になった」と言いたいのではありません。
ただ、明らかに、ここ(地球)にいる意味みたいなものが、
自分の人生のプライベートな問題のあれやこれやを解決していくことや、
自分個人の興味に情熱的に邁進していく……
というところから手すきになったことを感じていて、だからこそ「余生」のよう。
私が案外早く死ぬ人生なのか、
そうではないのなら、余生と感じてからの活動が長いのか(笑)
これは「人生に飽きてくる」感覚と言えなくもないです。
たとえば、それまで居心地のよかった場所や活動に対し、
あるとき「エネルギーがなくなって、手ごたえがなくなって」、
あれ?私はここから卒業するのかな…移動するのかな…
もはや自分にとって、ここにいる時期は終わったのかな…?
と、感じたことがありませんか。
そして実際に、それまでの仕事や活動を辞めたり、引越したりしませんか。
そう感じながら無理に同じところに留まっていると、
どうしても、それまでは面白かったはずのことや、
味わっていたはずのよろこびが、もう味わえなくなっている。
この場合の「飽きた」は、そんな感覚に似ていると言えるでしょう。
私に関していえば、
小さなことは色々あっても、強い「ああしたい、こうしたい」がなく、
かつてのように、「人類をこうしたい」とか「世界がこうなったら」
という強い願いも抱いていません。
それは、あきらめたり無関心になったからというわけでなく、
基本的に、根本的に、「それぞれが力を持っている」ということを思い出すと、
どんな経験であろうとひとりひとりに力はあり、それを糧にできる、
そんな視点から眺めてしまうからです。
すると、「これが絶対にダメで」、「これが絶対にいいはず」
という判断はなくなってしまいます。
もちろん私個人の好みはありますが、
それは私が選択すればいいことであって、そのために活動をしたい!
という動機にはなりません。
唯一、まだ興味を持って何かできそうだな、と思っていることは、
現代の人間にしっかり認識されてはいない、世界の側面……
異世界と呼ばれるあれこれや、一般に宇宙人やら精霊やら、
ファンタジーや「架空」扱いされているあれこれ、
そういった存在たちの窓口や案内役になることでしょうか。
それについては情熱は途切れていないどころか、
自身の興味も様々な形で深まっているので、
私の余生はもっとそこにかかっていくのかもしれませんね。
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