こんばんは。
今回は、「法則を先に置かず、内をよく見る」というお話です。
人生の中で何かを学ぶと、
その学んだことを、自分の感覚よりも尊重してしまうことがあります。
ハウツーやルール、人生訓、○○の法則…
それらは、あなたの内側から湧いてくる感覚以上のものではありません。
そうしたものに信頼を置き過ぎてしまって、
…これは○○の法則によると、こういうことなのだから、
私はこういう風に振る舞うべきなのだ…
と、頭で考えて、そのように振る舞っても、
あなたの内面の感覚がそれに伴っていなければ、
その源になるエネルギーは変化していません。
エネルギーは、あなたの本心の方を表すのです。
精神世界やスピリチュアルの分野でも、
色々なハウツー、○○の法則などに、親しむ機会がありますよね。
あなたが心ひかれたものを学んで、自ら考え、
色々な視点を持ってみることは、きっと役立ちます。
ですが、たとえば、先にルールの方が頭の中にあって、
「因果(カルマ)の法則では、こうしたらこうなるはずだから、
(結果をおそれて)私はこうしよう…」とか、
「(自分自身の)徳を積みたいから、こうしよう…」とか、
もし、そういう考えがあなたの行動や選択の動機になっていたら、
それは果たして、本当に「自分の心を見て」いることになるのでしょうか。
表面的には、スピリチュアルな知識を使いこなしているように見えますが、
実際は、自分自身に気づいていると言えるのでしょうか。
生身の人間としてあなたが感じたこと、思ったこと、
それをただ否定し、フタをしても、仕方がないのです。
何かの法則に沿うつもりで、自分を「変えた気になっても」、
その奥にあるエネルギーを認識しなければ、意味がないのです。
先ほど挙げた例でいえば、
「そんな風に考えるということは、私は、罪悪感を持っているのかな?
自分にとって“悪い”と感じている部分を、恐れているのかな?」
「徳を積まなければ…と考えるということは、
私はどんな世界観を信じているのかな?
また、私は一体何を、徳や善行として捉えているのだろうか。」
等々、自分をよく観察することで、その「元」を掘り下げることができます。
すると、それまで自分が信じていたことが果たして、真実なのかどうか、
見直す機会を持つこともできます。
そこまで注意すると、
自分が何におびえていたか…何を信じてしまっていたために、
「ありのままの自分」よりも、法則に沿う自分を作り出そうと思ったのか
という点にも、気がつくはずです。
あなたが、あなた以外の者を装わなければならないと信じるとき、
自分の感覚や直感以上に、何かの「法則」へ信頼を置いたとき、
あなたはすっかり、頭に入れてある「理解・学習」に頼ってしまい、
「想定外」に対処することができなくなってしまいます。
また、
ある法則の、あなたの現・理解よりもさらに奥深い側面を知る機会になる、
そんなチャンスにも、今までの自分の「うわべの解釈」で対処してしまいます。
なぜなら、自分自身の内から湧いた感覚に注意するよりも、
「こうであるはずだ」という思い込みの物差しに従うからです。
法則は、ツールとして参考に用いても、自らをその中に押し込めずに…
「あなたの内から湧いてくるものは、もっと確かで、
常にあなたをふさわしい答えに導いている。」
ということを覚えていてくださいね。
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