今回は、今朝見たばかりの夢の話なのですが、
私自身の象徴的体験であると同時に、今年はじめ頃に連載した
☆日本神話や歴史その他☆にも関わっていそうな内容でした。
それで、ブログのカテゴリ分けも迷ったのですが、
謎解きや考察を伴う記事にするつもりはないので、まずは、
☆夢、明晰夢、体外離脱☆のグループに入れました。
今回も、またしても、
神社や神々と呼ばれる存在(※私たちの存在の源の神という意味でなく、
霊的存在であり、人々に神々と呼ばれている個性ある存在のこと。)が、
私にとっては唐突に夢に出てきた上に、とても印象深い体験だったのです。
ちなみに前夜の私は、眠る前に何を考えていたかというと、
動物たちのことを集中して考えていたのです。
たまたま寝る直前まで、最近知った、
難病にかかったとてもかわいいうさぎさんの記録を見ていて、
そのうさぎさんは、もう亡くなったうさぎさんなのですが、
私自身のうさぎとの経験も思い出し、心の中で色々振り返ったりしました。
起きている間の意識では私はそんな状態で寝たのですが、
夢の内容は思いがけず、以下のようなものだったのです…!
※補足……夢は、ストーリー的には思いがけないものでしたが、
私の持つ動物への思いや、一緒に暮らした今は亡きうさぎとの間にある愛情、
そういうものが「トリガー」になった夢だと感じています。
そのフィーリングと、夢の中で経験している愛や一体感のフィーリングは、
同じものであり、私の思いの「答え」となるような会話も夢の中にあります。
(以下、夢の内容)
最初は、いたって普通の夢でした。
夢の中で私は、もう優に20年以上は連絡をとっていない、
昔親しかった友人(女性)と一緒にカフェでお茶したりしていました。
お店探しをしたり、座るテーブルを探して店員さんとのやりとりがあったり、
飲物やアイスクリームを選んだり…日常の延長のような夢です。
ところが、いつのまにか友人は私の家に遊びに来ていた、
という設定に変わっていて、日が暮れる前に友人を見送ることになりました。
家といっても今私が住んでいる場所のことではないし、
感覚としては“実家”の感覚に近いのですが、
場所そのものが現在実家のある場所だというわけでもありません。
暗くなる前に、そこまで送るよ…
と言って、一緒に道を歩いていたのですが、
まだ外は明るく、夕日が差している風景ではありませんでした。
それでも友人の家は遠いので、ちょうどいい時間なようです。
私はふと、周囲の光景に違和感を覚えて、
「あれ?こんな道だったっけ?」と話すと、
友人は方向を確かめるように見まわしながら、
「うん、合ってるよ。そこに○○橋があるし…」
と、ある橋の名前を言いました。
私は、(そんな橋あったっけかなぁ!?)と、思うのですが、
友人の方が家に来てくれた道順を覚えているのだと思い、
(元々私は方向音痴なので、道案内は得意ではありません)
友人のインストラクションに従って、てくてく歩いていきました。
するとすぐに、駅のような表札が見えたので(最寄駅ではない)、
「えっ!?もう隣の駅なの?」とびっくりしながら行ってみると…
○○神社
と書いてあるのです。
この神社の名前もはっきり覚えているので、
起きてから調べてもみましたが、
繋がりがあるかどうか微妙なのでここでは伏せておきます。
それは規模は小さいけど、歴史のありそうな古い神社で、
こんな近所に神社があったんだ!
と、驚いて近寄って見てみました。
古の歴史にも興味があるし、初詣はここに来ようかな?
と私は思い、中に入ってみたくなりました。
社務所はもう閉まっていましたが、中には入れました。
鳥居や普段見慣れた神社の装飾は、そこには無かったかもしれません。
石の門のようなものの間を入って、すぐに「水」に出くわしました。
まるで温泉でも湧いているかのように、足元一面が水なのです。
奥にはさらに門がありましたが、そちらはきっちりと閉まっていて、
その先は、見ることも行くこともできませんでした。
水は数か所から湧いていて、天然の湧き水ではなく、
管のようなものが設置され、そこから流れ出るように作られていました。
でも、社務所が閉まっている時間だからか、
どの管からの水も流れを止めていて、何も出ていなかったのです。
それにもかかわらず、神社の入り口はまるで全体が池のよう。
水で満たされていて、その中には魚まで泳いでいました。
水の周辺の岩のあたりでは、
地元の人らしき人々が何人か憩っていましたから、
この時間にここにいること自体に問題はないようでした。
私は、浅い水の中を歩いて渡りながら、つくづくと、
足元で泳いでいる魚たちを観察してみましたが、
和金の種類というか…見慣れた鯉のように見える魚もいるのですが、
どの金魚もとても大型で、全体的に丸っこい形をしているのです。
長い体をしていても胴体の断面はきれいに丸い円になる感じ。
また、体の模様も独特の四角形や幾何学模様型の光を放っていて、
一体この魚達は何なんだろう…?と、やや不思議に思って眺めていました。
また、足元の水は温水と言ってもいいくらいあたたかい水でした。
そうやって魚を見ていると、鴨のような鳥もすいーっと横切ったのですが、
その鴨のような鳥もまた、普通ではありえないくらいに丸いのです。
それを見て、また不思議な気持ちになりました!
神社の奥には入れないので、それだけ見て表へ出ると、
そこの町内ではお祭りのような儀式のようなものの準備が行われていて、
祭司のおばさんが白馬と黒馬を1頭ずつ並べて引いていました。
おばさんは、メガネをかけていて肩の上くらいまでの長さの黒髪、
朗らかな笑顔の、ご近所にいそうな普通の現代人です。
ただ、飾った馬を代表して引いていたために祭司だとわかったのです。
彼らの行き先にもまた他の神社があり、この町内には、
神社がいくつも点在しているということがわかりましたが、
それらの神社は私たちが見たあの神社の「分社」のような感じでした。
祭司のおばさんは、私と友人を見ると親しげに話しかけてきて、
私たちに馬に乗るようにと誘ってくれました。
白馬も黒馬も大人なのですが、普通の馬より明らかに小さい体です。
おばさんは、馬に乗るために「荷物を置いてきたら?」と、
荷物を置ける場所の鍵まで渡してすすめてくれました。
でも、改めて見ると私は黒い小さなポシェットを斜めがけにしていて、
荷物はそれだけだったので、鍵はお返ししました。
馬に乗ることを断る友人に、「乗らせてもらおうよ」と私は言い、
おばさんや、周りの人たちも応じてくれて、
そのときです…
馬たちが急に暴れ出し、とんでもない暴れ馬になったのです!
はじめに、白い馬から暴れ出し、
祭司のおばさんの手に握られていた手綱を振り切って逃げだし、
黒い馬も激しく暴れながら同じように町内を駆けて行きました。
このとき、なぜか馬たちは私たち(私と友人)をそれぞれ追う形になり、
私たちは追い詰められながら必死で走りました。
友人は、町の道の途中から低地へ伸びている長細い階段を下りていき、
白馬も友人に続いて、やはりその階段を駆け下りて追います。
私は走りながら、その1本先にも全く同じような階段を見つけたので、
そこを下りていったのですが…私の後には、黒馬が追いかけます。
町は丘のような高地にあるらしく、見晴らしがよくて、
眼下にある家々の景色を一望して眺めることができました。
そしてまた、私の方の長い階段を下りながらも、
1本先の階段の友人と、友人を追う白馬の様子を見て取ることもできました。
友人はどこまでもどこまでも走って、階段を下り終わっても、
その先にある道を引き続き走って逃げて行きました。
その道は、私のいる道とは別々に分かれていて、繋がらない道です。
私はといえば、階段の途中で立ち止まり、黒馬に向き直り、
(急な階段の途中だし、暴れ馬状態になっていて怖かったのですが、)
逃げるのではなく黒馬に乗ろう!受け止めよう!と決めました。
すごい勢いで走り降りてくる黒馬…
私の真ん前に来たとき、私が決意して黒馬に向かっていくと、
私は黒馬と融合し、黒馬がはっきりと人の姿に見えたのです!!
その姿は男性の姿で、その声を聞くこともできました。
黒馬は馬ではなく、私が見ている人の姿の、
「男神」であるということがわかったのです。
私たちは融合し、一体の存在となった「中で向き合っていた」のですが、
男神はそのとき、私にこう言いました、
「あの道へ逃げた友人は、そなたの友人ではないであろう。」
(※これは起きてから考えたことですが、確かに、
その旧い友人はいっとき仲の良い時期はあったものの、結果として、
私とは全く別の道を選択し歩んでいき、合流することはありませんでした。
タイプが違ってしまい、互いに友人として色々共有できなくなったのです。
夢の中でみた光景は、別々の道を行ったということを描いていたようです。)
ところで、この「男神」が黒馬の姿になっていて、
私(多分彼とは同じ存在の一部である)と、こちらで出会って融合し、
そしてまた個々の存在として分離する、というプロセスを踏むのは、
どうやら「誰かによって」そうなってしまった“わけあり”の背景があるらしく…
融合し、ひとつのものの内面で向き合っていた私たちがまた、
分離してそれぞれの「個」の存在へと戻るとき、
(本当は一体である方が心地良いのでそのままでいたいくらいだけど、
そうもいかない何かがあるらしい。)
この、分離して→再び出会って→また分離をする、
という体験をわざわざすることはとても難儀というか、
強い意志を持たなければ再び分離することを怠りたくなるので、
こういうことをする羽目になったことに関わった誰かのことを指して、
「人の姿をした鬼め…」
と、男神はつぶやいていました(笑)
これは言葉だけを書くときつい響きに聞こえるかもしれませんが、
実際は舌打ち程度というか、分離がめんどくさくなる誘惑を振り切るため、
思わずもれたつぶやきという感じでした。
それからは、元通り私は個人の私に戻り、
相手は男神の姿になって立っていたわけなのですが、
もう彼は、「黒馬」の姿にはならなかったのです。
ただし…
この世界では、やはりそのままの姿ではいられないらしく、
今度は、「大きな鳩」の姿になって私と一緒にいるようになったのです。
鳩といっても、現代の私たちが街でよく見るドバト(カワラバト)ではなく、
キジバトの、特大サイズ…に、見えます。
見かけはそのように完全に「大鳩」なのですが、
私には不思議と、彼は他の鳩とはまったく違って見えるんですよね。
その、大きさの違いを除いたとしても。
姿は鳩でも…その眼差しも、たたずまいも、全く「彼だ」とわかるのです。
一方で、周囲にいる普通の鳩たちは、やっぱり鳩なんですよね!
つづく場面では、私たちはいくつかの町の合同の集会に出ていました。
集会所といっても完全な屋内ではなく、寺の大屋根の下みたいな所に、
壁のない吹き抜けで地面や畳があり、思い思い場所をとって座って話す、
というような集会でした。
ここには、普通の鳩たちも入り込んで止まっていました(笑)
私は、寝椅子に座るように上半身を少し起こした状態で横たわると、
お腹~胸部のあたりに、男神である大鳩を抱えて載せていました。
私には、彼の声もはっきり聞こえていて会話もできるのですが、
(音声を伴わないテレパシーの会話です。)
私が集会の内容を聞き流しながら、
「これからは、いつも一緒にいられる?」
と、鳩の姿の男神に尋ねると、
「肉体を持つ者は、いつも一緒にはいない方がいいのだ。
でも、私たちの心はいつでも必ず一緒にいるよ。」
という返事を返されました。
そのように他には聞こえないやりとりをしていると、
集会に参加していた別の町あるいは別の勢力に属する年配の男性が、
私に向かって突然、
「あなたはその鳩を好きなようにしか見えないんだが。」
と、鋭く言葉を投げかけてきたのです。
その問いかけに対し、私だけに聞こえる男神の声は、
「はぐらかした方がよいな」
と、落ち着いてアドバイスをくれ、
私は従って、
「それはそうですが…
まさか、人を好きになるように好きにはなれませんよね! 笑」
と、おどけた感じで、当然そうであることを前提に、
会場のみんなを共感させ、何気なく笑わせることができました。
もちろん、他に思い当たる節などあるわけないよという演技なのですが。
すると、言葉を投げかけた年配の男性はくやしそうに黙りました。
(夢の内容、ここまで。)
…ここまで読んでくださった皆さんにお伝えしておきますが、
私は数年前まで鳥類はどちらかというと苦手で、
特に、「ハト」
…子供の頃から近くに鳩がいるとびくびくして逃げてしまうほど、
大の苦手でした!!
今でも、身近に見る動物として愛情を感じることはあっても、
鳩が好き!とは…言えないくらいです。
ですので、そんな私が、特大サイズのキジバトを抱っこしているなんて…
夢とはいえビックリです!
この夢をみた後、気になって調べてみた事柄もいくつかありましたが、
(するとまた、神話や日本の歴史に繋がる感じなのですが…。)
それについて明確な結論や直観には至っていないので、
今のところ、私個人の中で色々な推測として楽しむにとどめます。
ただ、この体験をきっかけに、“象徴として”の意味以外にも、
「動物の姿をとる神」について改めて考えるようになりました。
そういう言い伝えは、日本のみならずあちこちにありますから。
それでは今日は、このへんで!!(*^∇^*)ノシ
スピリチュアルカウンセリング個人セッション
対面、スカイプ、電話でお話しします
「個人セッションについて☆」