こんばんは♪
今回のタイトルは、「喜怒哀楽」です。
あなたは、自分の喜怒哀楽を受け入れていますか?
☆昨日の記事☆に書いた先日のワークショップでも、ちょうど、
シェアリングの中で喜怒哀楽というテーマにふれる機会があったのですが。
喜怒哀楽の中の「喜」や「楽」についてはさほど問題にならなくても、
「怒」や「哀」については、自動的に“ネガティブ”なものだと判断してしまう、
ということがあります。
その結果、自分の感じている怒りや悲しみについて、
これを感じるのはいやだ!(そんな風に感じている自分は嫌い)
私はこう感じるべきではない!(このように感じてしまう私は至らないのだ)
こんな嫌な感情、もう感じていないことにしたい!
…などの「否定」の動きが起きるのです。
怒りや悲しみの感情も、
あなたの心にある何かを教えてくれるサインなのですが、
サインそのものに対して、
「嫌なもの、厄介なもの」というレッテルを貼って捉えがちだということです。
そして、そのレッテルを貼ってしまっていると、
「こう感じている」という実際の自分に起こっていることを否定して、
「そう感じなくなる自分になるために」かぶりものをかぶってしまいます。
いくつかの場は、それでもうまくやり過ごせるかもしれません。
でも…
あなたの中で受け入れられなかった「自分自身の気持ち」は、
あなたに認めてほしくて、声高に主張し続けます。
ここで大切なのは、
「他者に受け入れてもらうために」それが起こってるのではなく、
あなたが、あなた自身に伝えるためにその感情を起こしている、
ということです。
たとえば、
あなたが「嫌だ」と感じたことは、少なくともあなたの世界の中では、
「嫌だったのだな」ということを自分が認める必要があります。
他者にとってそれがどう解釈されるか、どうジャッジされるか、は、
また別の問題で、本質的にあなたの「心」には直接関係のないことです。
私はこう感じていた。
感情を通して伝わるその部分を自分自身がないがしろにすると、
その先にある「自己発見」の機会も見逃してしまいます。
なぜあなたがそんなに悲しかったのか。怒ったか。嫌だったのか…。
あなた自身が「受け取らない」ボールを、
たとえ他者や世の中に投げても、まず本当の意味では受け取られません。
さらに、
感情の源にある「自分自身」に目を向けることを忘れると、
関わった他者や物理的な状況の方を「変えさせる」ことで、
自分の感じたことにけりをつけよう、自分の気持ちを変化させよう
…としてしまいます。
これは、自分のかけているレンズに問題があっても、
そこに映る世界の方を「おかしい!」と言って改造するようなもの。
想像していただくとわかる通り、
いくら物理的に物事を変えてもまだ、映る世界は「問題あり」なのです。
このたとえでいう“レンズ”の仕様が、一体どんなものかは、
自分の心の方を通してしか、知ることができません。
それを見ることで初めて、あなた自身の持っている物差し(観念)や、
この人生に生かしている価値観も浮き彫りになるのです。
発見する内容は、「修正が必要で、取り除くべきもの」ばかりではありません。
あなたの本当に大切にしたいことや、歩みたい道も見出すでしょう。
あなたの感情は、それが不快なものであるときも含めて、
「ここだよ、ここだよ」と、あなたが見るべき心の方向の、
矢印を示してくれているんです。
あなたが「嫌だ!」と感じたことの裏側には、
あなたの望みが存在する、というようにね。
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