まだ2月入って間もないというのに、今日外を歩いたら、
早くも春の気配を感じました。
それは気候的な条件等によるものではなくて、まるで、
春の精
を感じたと表現したい感覚でした。
そういえば木々のつぼみも春に向かってふくらんでいますしね。
春の精はもう、舞い降りていたんでしょうね。
そんな本日の空と太陽。
今回のタイトルは、「思っていることを容認する」です。
私たちはよく、自分の本当に思っていることを裁く ということをします。
自分の内から湧き上がる思いを見張っていて、
こんなことを思ってはいけない!と、否定することがよくあるのです。
☆個人セッション☆でこれについてお話しすると、
皆さん思い当たる節があるようですが、たまに驚かれることもあります。
え、じゃあ、思ったことをそのまま認めちゃっていいんですか!
と、驚かれる方もいらっしゃるのです。
そうですよね、お気持ちわかります。
私たちの多くは、そんな未熟な自分は何とかするべきだ、
変えるべきだ、直すべきだ!
…と、言われ続けてきましたものね。
でも、
あなたがただそう思った
ということ自体を否定してもどうしようもありません。
むしろ、それを否定することで起こることの方が厄介です。
問題とは、あなたの思いを認め受け入れることによってではなく、
そうしなかったことによって起きるものなのです。
たとえば、あなたが誰かと知り合って、とっさに
「不細工だな!」
と、思ってしまったとします。
(★前回ワークショップで容姿にまつわる観念のシェアもありましたので、
あえてこれを例に挙げますが、最後まで、記事全体をよく読んでくださいね!)
すると、あなたの中の「良い子」の度合いが強ければ強いほど、
そう思ってしまった自分をあわてて打ち消したり、
「こんなこと思ってはいけないんだ!」
と、考えるのではないでしょうか。
相手に対してこんな失礼なことを思うなんて…
自分は嫌な人間だ!
そう、自分自身を嫌悪して、罪悪感を感じる人もいるかもしれません。
でも、あなたが「そう思ってしまった」ことに、
そんなにも罪があるのでしょうか。
湧いた思いを否定しても、どうしようもありません。
まずは、あなたにはそう映ったのだと自分の中で認めていいのです。
この例ならば、不細工という思いが該当しますが、
私たちは人に対して「世間で良くないと思われてること」や
「コンプレックスとされることに結び付くこと」を心の中で思った場合、
そう思った自分自身を律したり罰したりする傾向にあります。
相手への「悪口」と感じるからですね。
でも、根本的に、あなたが観察した“現象”そのものは、
本当はよくもわるくもないのです。
たとえば、誰かに対して、
この人太ってるなー
とあなたが思ったとしても、太っていること自体に良し悪しはありません。
でも、「太っていること=よくない!」と信じている人なら、
人にそう思ってしまうことで、自分に罪悪感を感じる可能性があります。
人間が太めだろうとやせていようと、どんな体型だろうと、
そこにまったく良し悪しはないし、
あなたが感じたことにも良し悪しはないのですが。
このことは、その他のどんな現象に対しても一緒で、
観察した現象自体について抱く罪悪感、
自分が感じたこと・思ったことに対する罪悪感、
があったら、よく注意してください。
まずは、
外にあるもの、見えるものに「あらかじめ決まった解釈はない」
と思い出してください。
あなたがそれをどう思うかは、あなたの判断として観察し、
「自分では容認する」ようにしてください。
それをわざわざ人に告げる必要はありませんが、
自分の感じたこととして受け入れることは必要です。
そして、自分自身の行動の参考とすることも大事です。
それはたとえば、こんな場合です。
ある場所へ出かけて、
あなたが「うわっ ひどいところだなぁ」と感じたら、
あなたはそこが好きではない、何か抵抗を感じているとわかります。
それを無理に「違うように感じよう」と説得する必要はないのです。
むしろそんなことをすると、あなたが本当は何を感じているかが
自分にとってわかりづらくなります。
この例ならば、同じ場所を「大好き」という人もいるかもしれず、
あなたはあなたの感じたことをこそ、
「自分の行動の参考に」する必要があります。
ところがここで、
「人がどう思う?」、「○○に書いてあることはどうだろう?」と、
外を参考にし始めると、悩みます。
あなたはあなたの感じたことを信頼せず外に答えを探すので、
「頭」が吟味し納得する行動をしても、なんだか気持ち悪いのです。
最初の例の不細工のような、失礼と感じる感想にしたってそうです。
あなたがそう感じたからといって、
世の中の全ての人がそのように感じるわけではない。
あなたがどのような感想を持ち判断しようが、相手に対して
「世界全体を代表して判定を下す役割」を担っているわけではない!
ならば、「私はこう感じたんだな」と、恐れず認めてはいかがでしょうか。
もしかするとそんな感想を抱いた相手と親しくなればなるほど、
その人の美しさ・魅力が目につくようになり、見方が変わるかもしれないし、
ただ単に、その人はあなたには魅力がなく、
深い関わりを持ちたくない相手だった、というだけかもしれません。
自分の感じることを否定してもしょうがない。
素直なあなたの気持ちに「赤」を入れて修正することはやめましょう。
自分の「素直に思うこと・感じてしまうこと」から、
自分の持っている観念を見ていくことは、あなた自身に役に立ちます。
でも、自分を否定し、悪い人間だと思い、
「罪悪感からテコ入れする」ということは、動機自体が誤っています。
あなたの心を信頼し、耳を傾けてあげる必要があるんですよ。
スピリチュアルカウンセリング個人セッション
対面、スカイプ、電話でお話しします
「個人セッションについて☆」