グッド・イブニング~。
今宵はゆるゆるっと、「気負わぬ話」です。
最近私の感じていること、体験したことなどを書きます。
一昨日あった体外離脱の話も出ますよ(笑)
美しい美しい小宇宙。
気負わぬ、をタイトルにした通り、最近の私は、
完璧主義とはほど遠い…力を抜いて構えざるをえない状況が続いています。
そんな日々の中で、地味に色んな発見をしているのですが。
たとえば昨日の記事◆「落ち着く自分を手放すな」に書いたように、
根底にある“落ち着く自分を大切にしていく”一方で、
それ以外のところは押さない、ごり押ししない、自分を貫き通さない、
…という姿勢に変わってきています。
どうも今は、そのような「気負わなさ」が大切だと実感しています。
よく考えるとどーでもいいところ、と、
本当に大切なところの区別が、はっきりしてきたような感じです。
以前はもっと間違えて(笑)、よく考えるとどうでもいいところにも、
だいぶエネルギーを使っていたと思います。
「自分らしく」というのは、「全部が全部自分の思い通りにする」
ということとはまったく異なっていて、
どんな制限つきの環境の中でもやっぱり体現できるはずですから、
そこを見つめてみるのは面白いです。
これについての捉え方がずれてしまって、
ままならないところの方をあえて動かそうと…
しかも、それがあなたにとって本当は重要でない所だったりすると、
けっこう苦しいトラブルにも発展しがちです。
「気負わない」という点では、最近の「夢見」の経験もそうなのです。
もうこの何年間かずっとですが、
体外離脱体験も、主に「体から出る!」という仕様ではなくなりました。
かつては、みなさんがよく耳にするであろう体外離脱のマニュアルのように、
体に振動があったり…独特の前触れがあって…体から抜ける、
という体験もしていたのですが。
(昔は、意識的にその練習をしてみた時期もありましたし。)
もう長い間めっきりその体験は減っていて、
代わりにどうなったかというと、「明晰夢」と地続きになったのです。
つまり、夢の中で、ふと意識を回復して自覚する経験が多くなり、
そのとき、体外離脱もしているのだということに気づくのです。
眠る前に、体外離脱を意識して「出る」ということをしなくても、
眠って、自然に体外離脱状態になっているところから意識が回復する、
という順序です。
過去記事でもご説明していますが、夢も体外離脱も明晰夢も、
同じ経験の「意識の度合いの差」があるだけですから、
それらの敷居が自分の中で消えつつあるのかな、とも思います。
意識を回復した後は、飛んだり、ある程度自由に行動できるのですが、
以前記事に書いた(☆こちら☆)ような飛べる高さに限界のある場合と違って、
一昨日の体験では、どこまでも高く自由に飛べていました。
また、すごい勢いで建造物などを通過しまくり、
(体外離脱状態では物体を通り抜けできます)
「夢なんだからあれもくぐり抜けちゃおう!(`・▽・´)」
みたいな感じで、そこにやる気を出している自分がいました(笑)
この度の意識の回復の仕方も絶妙で、
特に物理的なきっかけがあったわけではなかったのですが、
「あぁ、これは夢だな」と、ただ気づいたのです。
以前は、何か違和感をおぼえるような奇妙な現象、
あるはずのないものや、異様な風景…
そういうことがきっかけで「おかしいな」という気持ちから、
夢だと気づくことが多かったのですが。
これについても「気負わずにそのまま」意識がシフトするようになったというか、
特に敷居を設けない形で、意識の切り替えが起こるようになったようです。
このところ日常生活が慌ただしかったので、
夢の体験はけっこうないがしろ…だと思い込んでいたのですが、
意外に、夢の日常ライフの方も途切れず活発なものですね。
夢も、現実も、「特別な扱いで肩に力を入れて」向き合うものじゃなく、
自然なものだから……“頑張って”何かをする感じではない。
この実感が不動のものになってきていて、
色んな意味で、気負わない自分になってきたなぁと発見する日々です。
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