グッド・イブニング☆
本日のテーマは、「ぬるくていいから好きにやる」です。
☆この記事☆や☆この記事☆に載せた自宅サクランボのつぼみが、
こんな風に花開きました♪ 独特の奥深い香りがします☆\(^O^)/
前回の記事は◆「夢のマイホームも人それぞれ」でしたが、これを書いた後、
不思議なことに「ひとサイクル終わった」実感が降りてきました。
まるでカトリック教会に「告解部屋」があるように、
それまで持っていた心の葛藤を記事にしたことで、清算されたのでしょうか?
…いえ、その前にまず、自分の意識の変化があったのですが、
「書く」という行為は、その変化が定着することを助けてくれました。
着地点が記事だった…というか。
「着地点」という言葉を使った通り、
ようやくまた新しい道に足をつけて、歩き始めた という感じがしています。
すると、この「アップデイト感」は日常ともシンクロしていて、
引越しと関係ない分野においてまで、色々新しくしたり、更新したり。
再開したり、新たに始めたりと、すべてが足並み揃えて動いているのです。
以前もこんなシンクロを記事に書いたことがありますが、面白いですよね。
夜から今朝にかけては久しぶりに、
自分の中にあったものが形として表れたのであろう「怖い夢」も見ました。
恐怖のせいで、眠っている身が固まるような体験は、
そういえばもう長い間なかったので、気づいたときは新鮮ですらありました!
そしてつくづく思ったことが、「夢でプロセスした」ということです。
夢見の形で、私は自分の中にあったものを処理したのでしょう。
そう、あなたも「怖い夢」を見ているときには、
何かをプロセスしている、処理したり浄化したり変化させている、
そう考えて間違いないのですよ。
ですから、怖い夢そのものを嫌悪してこわがらないでくださいね。
そんなこともあってますます、言葉にするなら
一周回って着地した
という感じがすとん、としたのです。
所用があって、父と車で少し先のエリアまででかけたときにも、
途中の風景が今までとは違う感覚を帯びて…
(いつもは気分が沈んでしまったり、心に馴染まない風景なのでしたが)
それは私が、それらの景色をこれまでのように、
「自分に(仕方なく)属するもの」と固定して見るのを止め、
自分の感じる好き・嫌いや感想について抱くジャッジ、罪悪感を引っ込め、
まるで旅行者のように、海外旅行をしているように、
ただ「新鮮に見る」という視点になっていたからでした。
「自分がどうしても好きにならなければいけないもの(-"-;)」、
という意識から解放されれば、そのプレッシャーが外れれば、
自分はもう何を感じてもいいわけだし、(←この喜びだけでも元気になる)
純粋な興味によってのみ、景色を眺めることができます。
☆☆☆
ここ最近ずっと受け取っていたメッセージは、
「ぬるくていいから好きにやる」
でした。
具体的な言葉でひらめく前から、そのように促される流れでした。
私はどちらかというと、何かをやるときは真剣になるというか、
手を抜くというよりは突き詰めていく、そんな姿勢になりがちでした。
もちろん、手を抜いている分野もよく見ればたくさんあるのですが…(笑)、
自分の中の気構え、みたいなものの話です。
でも、「そうできない」状況になってみて、いかに、
オール・オア・ナッシング的な「気負い」が窮屈か、
自分のエネルギーを浸食していたか、気づくのです。
「ぬるくていいから好きにやるということを大切に」、
完璧に何かをしたり、
完璧な何かを求めない。
ただ、どこまで、何をするか、したいかどうか、選り分けるのは「自身の感覚」。
たとえ「詰め」があまくても、
やりながら、始めながら、
考えたり、学んでいくのでもいい。
それがあなたの気持ちにそったものであれば、
自ら帆を上げて進んだものであれば、
どんな風向きになっても、必ず、何かに続いていくから。
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