BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

バカになる☆゚.:。+゚

こんばんは。

今うちで満開のハナミズキを写真に撮りました。

近所でもいっせいに花水木が咲いていて、とてもきれいです。(*^▽^*)








昨日の記事の写真として入れた藤の花もすみっこに写っています。キラキラ☆

今日は「バカになる☆゚.:。+゚ 」というお話です。

前回の「ふるまい方に囚われない」に続くエピソードです。

beats-and-love.hatenablog.com

あのメッセージからの流れで実は、しばらく間をあけてから、

今度は私の心にもうひとつメッセージが浮かびました。

ときは、かつてよく書いていたように「入浴中」…。

※お風呂タイムのインスピレーションに関する過去記事から、
いくつかピックアップしました↓


「内なる感覚こぼれ話」

beats-and-love.hatenablog.com

「心動くことがリアル」

beats-and-love.hatenablog.com

「本当と嘘の価値」

beats-and-love.hatenablog.com

あ、こうして「お風呂タイムのインスピレーション」の話で関連記事を選んだら、

奇遇なことに、時事的にもこれまたタイムリーというか、

最近の動向にぴったりな記事とも重複していました。

びっくり。偶発的なフローのようでいて、

用意周到なヘルパー存在たちがほほ笑んでいる感じがしますね(笑)

(普段私は用事がなければ自分の過去記事を読み返さないのです。)


ちなみに、紹介した中で3つめの記事内にリンクのある、

「福島のこと」という過去記事は、

beats-and-love.hatenablog.com

先日、「情報とのつきあい方」という記事で言及したことを、

beats-and-love.hatenablog.com

当時の私の言葉でより詳しく書いています。


…話を戻しまして、入浴中に受け取ったそのメッセージは、

前回記事の答えからの流れのつづきで、

「バカになれキラキラ☆ということでした。


そしてそれは、

「賢明なバカになれ」

と、続きました。


このメッセージには、私の最近の考え事も背景に関わっていて、

それだけの言葉を引き金に、一気に腑に落ちました。

ちょうど私はその直前の数日間、色々な情報を収集する過程で、

時事や政治や経済や科学的なことや…

さまざまな専門知識に精通している方々の、

さまざまなサイトを見る機会を作っていました。


こういうときの自分はものすごく集中して、

感覚的に「もういい」というフル状態になるまで、

センサーにひっかかる情報をたくさん読むのですが、

結局、いつもと同じ感想が残りました。

「これだけの豊富な知識や分析や意見を提示されているというのに、

何かがむなしい。ひろがる心地良いエネルギーが、感じられない。

見えるのは、苦しみや絶望や、ときに怒りや悲しみ、憎しみ、不安のエネルギー。

これは一体、何なのだろう…。」

観察しながら常々違和感をおぼえていたこと、

その答えが、「バカになれキラキラ☆ 」のメッセージとともに、合点がいったのです。


そう、私がエネルギー的に感じ取ったもの、見ていたものは、

さまざまな形を取ってはいるものの、

「世界は悪意で動かされていて、自分たちはその犠牲者である。

または、それと闘っている」

という観念だったのです。(平和や理想を目指すという形をとっていても。)


そのさらに奥には、

「人とは悪意ある存在である」

という人間の性質についての観念があります。

その観念がある限り、誰が勝とうと、何が変化しようと、

何が正しいと認められようと、絶望はなくなりません。


じゅんぐりに、悪意をもっているとする「相手」を変えて、

闘いが続く
だけなのです。

昨日の味方が今日は敵、とでもいうように。


そして、そういった自分の根本的な恐れをカバーするために、

「知識」や、相手を「論破することのできる知的な姿勢」を身に付けます。

自分はこれだけのことを知っている。

これだけ頭がきれる。考えて、分析することができる。

それが、武器。


けれどもそれらの「外套」が身ぐるみはがされたら、

その奥にあるのは「おびえた、ひとりの人間」です。

つまりおびえている「対象」は、誰にとっても、自分の外にあるのではなく、

自分の心の中にある観念、

自分で「これが真実だ」と信じていることそのものなのです。


恐れに人生を支配させると、どうなるでしょうか。


悪意を信じる世界を自分の中で「リアルだ」とする限り、

あげ足をとりあい、油断なく考え、

お気楽な者たちや「わかってない者たち」を笑い、嘆き、どやしつけ、

そのくせ、自分もどうなるかはわからないという、一寸先は闇…

そんな世界が、「本人の中で」現実として意味を持つのです。


私たちがどんなに賢しげにふるまっても、

頭の回転や勉強した知識を誇っても、

心の中の現実は嘘をつきません。そこに誤魔化しはききません。

心の中であなたが信じていることは、

「自分自身の人生におけるリアル」として影響するのです。


たとえ、他者から完璧な立ち居振る舞いとして評価され、

誰もが羨ましがるような自分になっても、

「あなた」自身がそれを好きでなければ、

心の中がむなしかったり、おびえていたり、平安がないのであれば、

それは「あなたの人生としては不幸」と言わざるをえません。


反対に、あなたの心が満たされていて、安らぎや、よろこびや、

愛の感覚を素直に抱くことができるなら、

あなたの人生は誰にどう評されようが「充実している」と言えます。


あなたが「このあなた」としての人生を終えるとき、

あなたが「何をしたか」以上に「何を感じてきたか」が意味を持ちます。

この世界では、自分の心を遠くに離し見ないふりをすることもできますが、

やはり、あなたは、あなたの心を知っているのです。


想定していた悪や、恐れや、あなたを脅かすさまざまな観念の正体が、

自分自身の「ただの観念」だったなら、

「もっと楽しく生きればよかったなぁ」

「リラックスすればよかったなぁ」

肩肘張ってないで、もっと“バカ”になってよかったなぁ、

…と、感じるかもしれません。


私たちが、こんな自分を見せたらはずかしい、とか、

自分を利口に見せたい、とか考えてしまうとき、

自分自身の中にある観念におびえているのです。


「賢明なバカになる」とは、自分に従うという意味です。

これまであなたの学んできた観念に照らし合わせると、

あまりにうぶで、純粋で、無邪気で、誤解されそう、だとしても。

この世界で学んだ基準から見たら「バカみたい」かもしれない、

あなたの内なる「賢明さ」を、あなた自身が受け入れるのです。


ああっ!今日書こうと思っていた夢の話まで入らなかったー!
機会をあらためて書きます(´▽`)ノ 

 

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