今回は、「人間のままでいいんだよ(神になろうとする必要はない2)」
というお話です。
昨日の記事に引き続き、今回のテーマもやはり過去に、
◆「神になろうとする必要はない」というタイトルの記事を書いていますので、
「2」ということにしました。
昨夜の月。
精神世界の修養では、よく、「エゴ」を問題視します。
それをそぎ落とし、黙らせ、精神を浄化し、神に近付こうとする…
そんなイメージを持っている方もいるかもしれません。
でも、エゴもまぎれもなく「自己」の一部です。
それ自体に問題はありません。
人間は、あまりにも自分たちに厳し過ぎるなぁ、と私は感じます。
“エゴ”が暴走するように見えることがあれば、それは、
自分自身を締め上げすぎているだけなのに。
「つらいよ!」という反動が「エゴの暴走」になるのです。
誰も、生まれつきエゴイスティックな人間なんていません。
傷ついているから、不足を感じているから、怖いから、
“エゴ”は自分の身を守ろうと必死になってくれているのです。
自分の中にあるものを、嫌う必要なんてありません。
あなたの中に、「悪い」ものなんてないのです。
魂であり、存在そのものであるあなたは、
あえて今「人間」という体験にフォーカスしています。
それは心躍る、あなた自身の望んだ冒険です。
せっかくそんな貴重な経験をしているのに、
「神になろうと」しないでください。
たとえば、「すべての人間を愛さねば」なんて、
そんなことを自分に課さないでください。
人間であり個性あるあなたは、
あなたに合う人、合わない人、
好きな人、好きになれない人にも出会うでしょう。
それでいいのです。それは必要なことでもあるのです。
愛せないものを愛そうとするよりも、
もっと簡単な道を選んでください。
すなわち、あなたが自然と愛せるものを認めるのです。
あなたが誰かを愛すると、その人に関わる色々なことが愛しくなります。
今まで自分と関わりを持たなかったその人の生まれ故郷、
育った町、年代、思い出、好きな食べ物や趣味…色々なことが、
あなたの人生の中で愛しいものになっていくのです。
あなたが、ある動物を深く愛した経験があるなら、
その動物と同じ種や、似た動物や、その動物が食べる自然界のもの、
生息地、そういったすべてが愛おしくなります。
「努力」しなくても、どんどん、今までとは違った意味を持つんです。
愛とは、自然に拡大していくもの。
私たちは、「エゴ」を統制しようとする必要はありません。
それは、自然の一部です。
私たちがこの経験をするために持っている機能です。
「すべての人を愛そう」なんて無理しなくても、
あなたはすでに心に愛を持っていて、
自分の日常で向けられる範囲で、それを発していることでしょう。
地球全体を守れるあなたではないかもしれないけど、
ネットで見かけただけの海外の人の無事をふと気にしたり、
旅先で関わった誰かを思い出し、その幸せを願ってみたりもするでしょう。
そんな風に、自然発生している「愛」を認めてください。
全人類を愛すべく、努力したりはしなくていいから。
あなたは気づいているはずです。
たとえ人を激しく憎むようなことがあっても、本当はあなたは、
その人を愛しく思う部分も根底には持っているということを。
あなたの心の枷になるような厄介な相手がいたとしても、
その人が無心にものを食べているところや、
心をゆるしている人に思わず笑顔を向けているところ、
もし、その人の生活を遠くから「見守る目線」で眺めてしまったら、
あなたはきっと「憎みきれない」自分の心に戸惑うのではないでしょうか。
誰かの、生まれたての産声をあげた姿や、
無垢な目で世界を見回していた幼い姿、
それを目の当たりにしたら、気持ちは変わってしまうのではないでしょうか。
誰もが、根底にある愛に本当は気づいていて、
その優しい心をどうしていいかわからない。
私たちは人間だから、神のようにはなれない自分を、もてあます。
でも、それでいいのです。
あなたの揺れ動く心も、
自分を守ろうとするときの「エゴ」の働きも、
なんて味わい深い、貴重な経験なのでしょうか。
間違ってもそれを「責める」ことはせず、
その代わりに、透明な目で、あなたの経験を慈しんでください。
それこそがあなたの望んだことです。
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