こんばんは。
今日は、国立では雨にも負けず1日中お祭りの音が聞こえ、
お神輿もかつがれていましたよ。
昨日あたりから打楽器を叩きたくて仕方ないコンディションだった私は
(どんなコンディションだ!?とツッコミを入れてもらってかまわない)、
うきうきしたお囃子がうらやましくてしょうがない。
でも参加させてもらえるなら笛がいいな…などと考えていました。
あの笛、いいよねぇ!
お神輿も、地域のはっぴも、ときめきます!
そういえば今年に入ってからの個人的な変容で、
みるみる私に戻ってきたのが「音楽」のパワーで、
かつて好きだったジャンルの音楽も含めて、全体的に、
この数年間は急に音楽に関心を失っていたのが、不思議でしょうがない。
それを考えると、昨日の記事◆「エネルギー配分量」の内容とも繋がるけど、
音楽に向けるエネルギーを、どっか別のところに費やしちゃってたのかも!?
と思いました。
つまり、自分がある一定の生活スタイルに浸り切っているとき、
しっかりとした「優先順位」の枠組みを無意識的にでも定めてしまうとき、
その定めた色やサイクル「外」にあるものが見えなくなってしまったり、
関心を失ったりしてしまう、いい例なのかもしれないなと思ったのです。
それは、本人にとってはあたかも「自然とそうなった」と思っているから、
本当は自分が今でも音楽が大好きだとか、わからなくなるんですよね。
それでも、自分自身のエネルギーに戻ると、
それらは失われていなくて、ちゃんと表出してくるから面白い。
そう、あなたも…
何も、失っているものなんて無いんです。
あなた自身を見つめるなら、「あなたの内から」、
発見するものはたくさん、宝がたくさん、そこに待っているんです。
そして今日のタイトル「円環」。
これは…また、感覚的なものなのですが。
昨日あたりからすごくこの「円環」という言葉が浮かんでいてね。
それは、サイクルの完結とか終了という意味とは違うのです。
ひとつのものが直線的にどこかに向かっていって、終わる、
というような意味を持つものじゃなくて。
一定のプロセスが「完了」するというピリオドを示すものじゃなくて。
端と端が繋がり接続する、そのポイントを感じたようなイメージでしょうか。
なぜ、今の時期に私がこう感じたのか、
自分でもよくわからないのですがキーワードは「円環」だったのです。
考えてみると、明日の講座でお話しする「現実」のシステムというのも、
円環の1つではあります。
ひとつひとつの現実が、自分の発したものが自分に戻ってくるという円環。
…と、同時に、もっと大きな円環もあって、
それは内側で大きく軌道を描いているもの。
さらに大きな視点に立たないと見えないもの。
私たちはここで、人生という経験をしながら、
「すべてを見る」ことはできないけれど、
それと同時に「すべてを見ている」自分を感じてもいる。
内側で感じているというそのことがキーで、
私たちはこれ以上、それを軽んじるサイクルには入っていかないのではないかな。
見えるものと、見えないもの。
分ける時代は終わりにしましょう。
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