この記事は、前回の記事、
◆「愛を感じているときが幸せ」に続く内容です。
前回の記事の中でも書きましたが、私たちという存在そのものが、
そもそも源である「ひとつの私」の愛で構成されているのです。
ですから、私たちが「愛を感じられない」、「愛がない」、
と思い込むことも、それを「現実に経験する」ことも可能ではありますが、
実際には愛の存在しないところなど、どこにもないのです。
私たちは愛の土台によって、この「夢(個人としての人生)」を経験できています。
しかも私たちひとりひとりが創造主そのものなので、
その夢の中でも、自分の思う通りの経験ができるのです。
真実の視点から見るといかにそれが不可能であっても、
それぞれの夢の中では、「愛されていない」という経験をすることができます。
私たちの人生を、「映画」にたとえると…
私たちはただひとつの私である源に完全に愛されているので、
他のあらゆる観念と同様に、「愛されていないという信念」を持つことも、
その信念に基づいて「愛されていないという脚本の映画(現実の経験)」を、
自ら作ることも可能なのです。
もしもあなたが、愛されていないと感じて心がスカスカするとき、
落ちこんだり、悲しくなったり、絶望したりしているとき、
それがどんな状況でも自分で制作しているドラマなんだと気づいてください。
あなたがやってみたくてそれをやっているのなら、
どんな経験もOKなのです。
すべての経験には価値があり、そこから学べることがあります。
でも、それがあなたにとって好ましくなかったり、
そのような体験はもうお腹いっぱいで楽しくないのなら、
あなたは無力感に浸る代わりに、自分の心にある観念を見ればいいのです。
その状況が「外にある」ものなのではなく、
あなたの内側で描かれた脚本であると見ます。
そのように認めることができない限り、あなたにとって外の状況は、
自分以外の要因によって起こった「事実」という立ち位置になり、
変えることはできないのです。
ときには、あなた自身の心をよく見ると、
なぜあなたがそんな状況を「いやだ、苦しい」と感じながらも作っていたか、
そこに関わっていた観念がわかることもあります。
たとえば、あなたにとって、愛は安全なものでしょうか?
愛を求めながら、愛に望ましくない余計な定義付けをしていませんか?
そして、“愛にもれなくついてくると信じている望ましくないもの”
を経験するくらいなら、そんな苦しい思いをするくらいなら、
愛そのものを遠ざけておいた方が楽だとか安全だとか信じていませんか?
実際は、いかなる形でも私たちは常に愛の中にいるのですが…
それはそれとして、ここでの「経験」はあなたの作る映画のようなものですから、
どんなドラマも、ストーリーも、あなたが自分の意識によって選ぶのです。
心の内に、矛盾する観念を見つけたら、
あなたがその複雑な状況を作っているメリット、正体がわかります。
あるいは、あなたはただ、外に起きていることは仕方のないことで、
自分には何もできない。現実を変える力はない、と信じてきたのでしょうか。
いずれにしても、あなたが意識的に自分の現実と向き合いたいなら、
現実に起きていることは自分自身の内側の現象である、と認める
必要があるのです。
本当にこの夢(人生)を目覚めたままで経験したいと感じているなら、
幾度でも思い出して、このポイントに立ち返ってくださいね!
たった今も創造主から愛されているあなた、
愛そのものであるあなたという基点から、
望む現実のあり方へとあなたの意識の力を向けてください。
あなたには、本当にそれができるのです。
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