BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

「今」を生きると執着が薄れるのか

作成しようと思っていた記事が進まず、また気が向いたときに書くことにして、

今回は最近思っていること。


「今」を生きると執着が薄れるのか。



 
イルミネーション、始まりましたねぇ。
外出先で見たツリー。



最近とみに時間の「非」連続性を感じていて、止められない。

ここ数ヶ月、ときどきそのことを記事に書いていましたが。


今を生きるということは、

今、今、今、今、今…

今の連続であり、「過去」や「未来」はない。



一応、この世界に合わせた思考上では、

過去や未来という概念に合わせることはできるけど、

実感としては、もうかなり薄い。



すると、どうなるでしょうか。


前ほど物事に執着できないのです。

「集中」することはできるけれど、「執着」は難しい。


何がなんでも…!

とか、

絶対に…!

とかの発想が薄くなっている。


「どうでもいい」というとネガティブに響くかもしれないけれど、

「今」の連続で生きていると、「なるようになる」ことへのフォーカスが強まる。

瞬間瞬間を答えとして受け取って、それを過大評価も過小評価もしない感じ。



このあり方は、動物に近いのだろうと思います。


動物たちは、「今」を生きていますよね。

動物は、過去を思ってくよくよしたり、未来を思って悩んだりはしない。


でも、この状態を決して、

何かいいことの「お手本」のようにしてシェアしているのではなくて、


気づいたらこうなっているなぁ。

という、だたの感想と驚きの表明なのです。



「しがみついてもムダ」の記事で書いたように、

本当に日々が「日めくりカレンダー」のようで、

こんなにも1日1日というのは独立していたのかと思います。


今の私にとって、「昨日」への精神的距離と、

「1ヶ月前」への精神的距離、「1年前」への精神的距離、

みな「遠い」という意味で一様なのではないかと。


「今」現れるものにその都度、すべてが凝縮されているようで。

それ以上のものも、それ以下のものもなく。



そして未来は、イメージ上に存在するけれど、

具体的に描くというよりは、「何が出てくるか目をこらす」という感じ。

深いところでは「知っている」という感覚があるので、

今、贈り物の包み紙を引きちぎって開封したくはない、とたとえられるように、

あえて“ぼんやり”させている風味もある。



色々なことへの「どっちでもいい」感は、

瞬間瞬間には自分の意図や希望をしっかり持っているけれど、

それが思った通りに形にならなくても「どっちでもいい」ということです。



ボールを投げる。

でも、それがどう返ってくるかには一喜一憂しない。


それはただ、どんな風な表現をとっても必ず返ってくることを知っている、

とだけ言える。



見える「形」に関しては、それならそれでいいさ、という感覚で、

それが一見、思いに沿わなくても、

何かを「失った」というようにはもう感じないのです。



宇宙はどんな経路を通ってでも、本当は「私の思った通りの」こと、

そして中でも、最善の形を運んでくれているのだと、知っているから。


そこに「疑い」が差し挟めなくなったということでもあるでしょう。



これまで複雑だと信じていたことが、すごーくシンプルになってしまって、

それでも、「見かけ上の世界の機能」は変わらないので

それまであった「枠」が外れてしまった自分だけが、不思議なようにも思える。


でも、外は内にある。


どんなに“そっくり”に見えても、

それは全く違う、新しい世界の誕生なのかもしれない。


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