今回のテーマは、「憧れは一旦崩してみると良い」です。
今の自分以外の自分になりたい…
何もかもが可能だったら、もっとこういう暮らしがしたいなぁ…
自分も、あんな風に生きることができたらいいのに…
というようなことを、あなたも思ったことがあるかもしれません。
それははっきりとした、または漠然とした、「憧れ」と感じられるかもしれません。
願望それ自体に気づくことは、あなたの心を知るヒントとなりますが、
それが本当にあなた自身この人生でやりたいこと「そのもの」なのかどうかは、
また別の話です。
ときにはそれは、あなたの中にある何らかの見つめたい要素の「投影」や、
別のことに気づくための「インストラクション」に過ぎず、
それ自体があなたの道やスタイルなわけではない、ということもあるのです。
その違いを判別するためにも、
憧れは、いったん崩してみるといいのです。
憧れを、どこか遠いところに祭るようにして、
「いつかそこに届きたいけれど、今は届かないもの」
というような視点で眺めるのをやめます。
そのようなあり方だと、あなたは常にそれを自分から離れたところに置いて、
「遠くから眺めること」に親しんで、ただ追いかけ続けてしまうからです。
永遠に憧れは憧れのまま、というわけです。
そんなときには、憧れとして自分から離れたところに置いたものの「一歩」が、
実は今、手の届く小さなアクションからでかまわない、ということに思い至らず、
自分自身がしっかり制限をかけ、それを実現しようとしないのです。
むしろ自分から遠ざけておくために、そのもののハードルを高くするのです。
完璧主義的な思考を保守する…と言えばわかりやすいでしょうか。
たとえば、あなたが「世界各地を旅するのが夢」と思っていたとします。
(※これはたとえ話であって、例である内容そのものに問題はありません。)
しかも、あなたはそう多く旅に出かけたことはないとします。
この夢をただ「遠い憧れ」の対象に取って置き、
「いつかは仕事もやめて、まとまった長期の時間を作って、世界を巡るんだ」
というように、それを「負荷の大きい」夢にしてしまうと、どうでしょう。
現実には今はまだ仕事を続けていたくて、
世界を連続で旅して回るほどの時間もなかなか作れないあなたには、
「憧れ」は憧れのままであり続け、それに焦がれる気持ちを持ちながらも、
「いつか」の遠いイメージとして温存します。
それを現実に実行している人を羨ましく思ったり、そうしている人に憧れたり、
自分にはそれができないんだという劣等感を覚えるかもしれません。
ここで気づいてほしいのは、
この場合、憧れは憧れのまま安全なので、崩れないということです。
あなた自身が実際に体験しなくていいからです。
一方で、
時間のとれる度に行きたい旅先へ少しずつ行ってみる、など、
何度かあなたにできる「一歩」を踏み出すことを繰り返していくと、
あなたにとって「憧れ」として描いていたものがぐんと身近になってきます。
描いていたものそのものではなくても、今できる「一歩」を踏み出すことで、
想像の中だけにあったものの雰囲気がわかったり、実感がつかめたりします。
この例に限らず、そのように一歩を踏み出し体感してみたとき、
あなたの心のセンサーに注目してください。
あなたの「憧れ」が、本当にこの人生であなた自身「そうありたい姿」なら、
動き出すとますますその世界に惹かれるでしょう。
もっとこれをしたい!とよろこびを感じるでしょう。
それがただの象徴、「自分には足りない要素だ」と思っていたからこその憧れ、
あるいは「現在の自分の生活やあり方を過小評価した結果」であったなら、
実際に体験するその世界にはさほどワクワクせず、居心地が悪くなったり、
「もう十分。おなかいっぱい」と感じたりして、興味を失うでしょう。
もちろん、「行動」をしなくても、
あなたの意識を精査するだけで答えが出るときもあります。
あなた自身の「憧れ」の気持ちをよく観察し、その対象の世界の中に、
想像を使ってエネルギー的に入り、感覚を確かめてみることで、
自分が何を求めているかの答えが明らかになることもあるのです。
そのように吟味することで、先に答えがわかっても、
実際に飛び込んで、経験をしてから答えが出ても、
どんな結果になってもいずれにせよ、憧れが崩れるときは祝福なのです。
あなた自身がその世界の中の住人になってしまうか、
あなたの望みとは一致せず、ほしがる必要もない・不要だったと気づくか、
どちらにしてもその属する先は「あなたの中に」帰ることができるからです。
ですから…「自分には到底手の及ばないものがある」と思い込み、
憧れを膨らませたり、不足感のストックを増やしていく代わりに、
憧れを見つけたら「一旦、崩して」くださいね。
どんなに素敵な物事や人が「外」に見え、それに惹かれているように思えても、
あなたは本当は、その“モデル(形態)”や“誰か”になりたいのではなく、
いつでも必ず、「あなたそのもの」になりたいのです。
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