前回の記事で、愛がテーマの12月のイベントをご紹介しました。
そのプロローグとして、今回のテーマは、
「我慢しなくていーよ~愛のバランス~」です。
★12月のイベント情報はこちらです。
愛についてもっとフォーカスしたい方は、ぜひいらしてくださいね!↓
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「2016年の最後、愛について語ろう」
12月23日(金・祝)14:00~16:00
★受付終了しました★
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今回のお話は、どんな愛にも言えることですが、
とくに恋愛についてはそうだなぁ、と思って書きます。
☆☆☆
今年は私にとって、「愛」について振り返りの多い年でした。
「愛」とは、恋愛に限定しない全般についてでしたが、
「恋愛」についての気づきも多かったと言えます。
エネルギー的に、なんだかそれらの「総まとめ」のような体験をした年でした。
その中で、恋愛に関して私自身が気づいたこととして、
私は、誰かを好きになると「全負け」の観念があったなぁと思い至りました。
どういうことかというと、私の信じていた基本的な観念が、
「好きになったら、全部負け!」という感じで、
無理をしてでも相手をどんどん受け入れようという姿勢だったのです。
特定の相手を好きになると、その“責任”のようなものを、
(本来は、これを責任というのには語弊があるのですが、)
積極的に取ろうとするタイプで、
たとえ関係性の中で違和感を覚えたり、合わないと感じる点があっても、
「私が(自分で、)この人を好きになったんだから…!」
と、能動的に、それらを受け入れようとするのです。
すべてが、「他の人ではなくその人を好きになったんだからしょうがない」。
実際には受け入れられないことがあっても、根本の気持ちはそうでした。
すると、人生の一部が自分ではなく「他者ベース」になってしまいます。
能動的に、「受動的」なポジションに向かう、と言ってもいいあり方です。
しかもそのような姿勢でいるとき、本当に心に抵抗がなく、
「あ、それもいいよね」
「そういうあり方も素敵だね」
と受け入れているのならいいのですが、
実はものすごくやせ我慢をしていたり、
「努力」して何かを受け入れようとしているというとき、
エネルギー的にはそれは「無理」なのです。
ちょっとオーバーに言うと、自分に対する殺人なのです。
愛のバランス。
まず向かうべき「自分」に愛が向かっていないと、どうなるでしょう。
あなたが「ノー」と思ったことに関しては、
あなたは「ノー」だというスタンスを貫いていいのです。
それはあなた自身を受け入れることであり、愛です。
そしてその愛は、自然なあなたという調和したエネルギーで、
「外」にも向かいます。発信されます。還元されます。
あなた自身の意識の決定には、「他者」はいっさい関係ありません。
また、他者のあり方をどうこうしようとする必要も、ありません。
もし、それぞれの「あるがまま」、自然な状態であるときに、
噛み合わない者同士なら、「一緒にいない」という選択ができます。
ところが「恋愛」になってくると、
「一緒にいない方がいいとわかっているのに、一緒にいたい」
というわけのわからない状況が生じ得るんですよね(笑)
でも、そんな風に葛藤してしまうときには、大切なことを見誤っているのです。
あなたは、この人生できっと、
たくさんの人と同時に「パートナー」になりたいわけではないでしょう。
中にはそういう人もいるかもしれませんが、基本的にはカップルとして、
あなたの意識が向く相手と1対1で向き合う関係を望んでいると思います。
ということは、あなたが個人的に「フォーカスする相手」は、
一度にたった1人でいいわけで、たくさんの人に対して無作為に、闇雲に、
意識を向けまくり“親密に”関わる必要はありませんよね。
つまり、
「たくさんの人に好かれる必要はないけれど、自分の惹かれる人で、
なおかつそのままの自分のことを自然と好きでいてくれる人は必ずいて、
その人こそが自分の相手になる人だ。」
ということを、知っておくことは大切です。
あなたが、そのような人と出会いたいとしたら。
そのような現実が実在することを信じられないと、
「合わない相手」と合わせてでも、一緒にいようとしてしまいます。
常に妥協すること、我慢することこそが「恋愛のスタンダード」になるのです。
望む現実を見たいなら、
望まない現実に自ら参加しない・選ばないことは大切です。
また、その人は、あなたにとって芯から満足する相手、
本当にこの人とずっと一緒にいたい、と自ら思う相手であるべきです。
もちろん個性はひとりひとり違うので、合う部分・合わない部分、
多かれ少なかれ誰とでも生じてきますが、
最低限、「この人と人生を歩みたい」と自然に感じる気持ちや、
根本的な尊敬の気持ち、フィット感(居心地の良さ)などが必要です。
あなたにとっては大切なことを「妥協」したり、「我慢」したり、
「ちょっと(またはだいぶ)苦しいのにそれを表現したら関係がお終いだったり」、
そんな関係の中にあえているのなら、立ち止まる時かもしれません。
内心もがき、あなた自身を曲げながら誰かと関わっているのなら、
本当にあなたはもっと長いことそうし続けたいのか、
そんな風に人生を過ごしたいのか、
「あなた自身にフォーカスを戻し」熟慮する必要があるかもしれません。
自己愛なくして他者は愛せません。
「この人がもう少しこう変わってくれたらな」
あるいは、
「私がもうちょっと、こういう人になれたらいいのかもしれない」
これはよくある落とし穴です。
そんな風に思考してしまうとき、フォーカスがずれているのです。
あなたは、あなた自身のために、変わることはできます。
その人は、その人自身のために、変わることはできます。
でも、究極的に不動の真実は、
「あなたはあなたである必要がある」ということだけです。
恋愛のドラマを通して、「自分を見つける」という作業もあるでしょう。
飛び込んでしまってから、わかることもあるでしょう。
でも、「常に自分に回帰する」という姿勢を意識することは、
状況がどのようであれ、あなたを助けます。
ちょっとでも、あなたが我慢していたり、
本当は無理をしているのに「こうしなくては」と言い聞かせているとき、
自分自身に言ってみるのです。
「我慢しなくていーよ。
私は、私とずっと一緒にいるよ。」
そんなことを思うのは照れくさいかもしれませんが、本気でそうしてみてください。
しかもそれは、真実なのですから。
チューニングが「ただの自分」に合ったとき、肩の荷を降ろしたとき、
あなたはまだその誰かと一緒にいたいですか?
それとも、その誰かのことを、もう手放してもいいなと思えますか?
どうしたいか、何か変化を感じるかどうか、観察してください。
「外から」やってくる苦しみはありません。
「外から」やってくる愛もありません。
どこかを犠牲にすることで、バランスが取れる愛はありません。
愛の「形」にこだわらなければ、逆説的に、
あなたがどのような形でそれぞれの人と関わりたいかを、
見極めることができるのです。
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