今回は、また突如見た、不思議な夢のお話です。
「平安時代から続くもののけとの攻防譚の夢」。
眠っている間、複数の夢を見ていることに気づいていますか
1回の睡眠の長さにもよりますが、眠っている間の夢は、何本(何種類)かを見ているということに、気づいていますか?
人によっては、起きる直前の「最後の夢」をよく覚えているのかもしれません。
辿っていくと、複数の種類の異なる夢を一晩に見ていることがわかって、面白いですよ。
私が今回書くのは昨夜の夢に該当するのですが、同じ睡眠の中でもいくつかの夢を見て、先には、家族や友人が出てくるような「日常に沿った普通の夢」も見ていました。
そちらはストーリーがしっかりあるというよりも、切れ切れの情景を記憶している夢らしい夢で、内容もほのぼのと穏やかなものでした。
一方、これから書く内容は、起きてから振り返ると「通常の夢の何本か分」全部繋がっていてひとつのストーリーだったんだなぁ……!と気づき、ちょっと感心したくらい、なかなか長いものでした。第1幕、第2幕……と分かれているかのように。
それは、「時を渡って」連綿と続く物語だったからで、時代や登場人物が変わっても、ひとつの話が続いていたんです。
ちなみに昨日は日中も眠る前も「何もインプットしたくない感覚の日」で、音楽を聴いたり、本を読んだり、ネットで何か見たりといった活動も控えていました。他の活動を振り返っても、この夢の内容に繋がるような少しでも心当たりのある情報は「ゼロだった」と書き添えておきます。
もののけが人々に見えていた時代
この夢の最初に記憶しているシーンは、平安時代であると感じていました。
そして、この話にはいわゆる「物の怪(もののけ)」が出てきます。
夢を見ているときから、対象を霊と呼ぶことはなく、浮かんでいた言葉が「もののけ」でしたので、文中でもそれで統一していきます。
(これを書こうとパソコンに向かってから、「あやかし」という言葉と混乱し、どっちだったっけ!?と迷いましたが、おおかた「もののけ」だったように思います。)
私は昔から、ときどきこうした「日本の古い時代の、もののけが出てくる夢」を唐突に見て、夢の中でその時代の登場人物となって「その世界を体験」した経験から、当時の人々は実際にそういった存在が「見えていた」のではと考えるようになりました。
日本の歴史や古い物語に出てくるもののけや妖怪の話は、もちろん人々の幻想や想像も含まれているにしても、現実に、今よりも「見えない存在」が可視化されていた時代もあったのだという考えです。
そのトピックには、以下の過去記事でもふれています。
◆「満月と半妖、更級日記」(記事後半部が該当)
◆「精霊・妖怪的な記憶」(北米の精霊の話も)
簡潔に言うと、人々の観念(信じていることや、常識の基準)が違っていれば、集合意識的に何が「現実」になるかも異なり、「見えるものも変わる」ということです。
全員にそういった存在がはっきり見えていたかどうかまではわかりませんが、歴史や古い物語を見ると、現代社会よりも見えない存在の話が多く登場し重視されてもいるのは、その存在をリアルに感じ取れたからという要素も関係していると思います。
もちろん鶏が先か卵が先かみたいな話で、「信じれば、感じられる」のですが。
この後は、夢の内容に入ります。
前置きとして、この夢は私にとっては、冒頭の「もののけに追いかけられている女」に自分がなって体験しているとき以外、恐れの感情は一切なく、景色が美しかったり、移り変わる展開を映画のように味わったりと印象深い内容でしたが、人によっては苦手なジャンルかもしれません。
もののけとの連綿と続く戦いの話であり、それ相応の描写もあることをお断りしておきます。
夢の内容
平安時代の、身分ある男性の首だけの「もののけ」
夢の中で私が認識していた時は平安時代、場は、私から見ると縁日や市場に似た風景。
私は、そこにいる「女(むすめ)」になっていて、もののけから逃げていました。
長い黒髪を下の方で結わえて、白っぽい簡潔な着物(豪奢でないもの)を着て、必死で逃げています。
ただし、村むすめという感じではない、独特の雰囲気があったので、後で振り返るとこの人は巫女のような身分だったのかもしれないとも思いました。
不思議だったのは、私(その女)は、ふわり、ふわりと、飛びながら逃げていたことです。
逃げながら浮かび上がって、やぐらのような高いところに着地することもできるのです。
これも後から振り返って、この女も生きている人ではなかったのか?と不思議に思いました。
女がどこへ逃げても、もののけも同じように飛びながら、笑みを浮かべて追いかけて来ます。
もののけの姿は、平安時代の貴族か、身分ある男性のように見えます。
烏帽子をかぶる、あの髪型をしていますが、首だけの姿です。
この男性も元は生きていた人なのでしょう。あるいは亡くなったその人の姿を借りている他のもののけなのかもわかりませんが、正体や、そうなったいきさつは、最後まで不明でした。
助けてくれた男性が、もののけの右目を射抜く
逃げている私(むすめ)の姿を見て、とっさに助けてくれた男性がいました。
毅然とした佇まいの、武道に慣れて見える男性でした。
男性は弓矢を持っており、まず、何本かの矢でもののけを射ると、白い布を張った壁のような場所に打ちつけ、身動きを封じました。
しかし、痛くもかゆくもないのでしょうか、この時点ではもののけはまだ変わらず笑っていたのです。
男性は続いて、もののけの右目を射抜き、とどめを刺しました。
その途端、もののけは怒り狂い、すさまじい形相に変化したのです。
矢の刺さった右目から、溶岩のように赤い濁流が何本もあふれ出て、蛸の太い足のようにうねって見えました。
それは血というよりも、怒涛のように流れる溶岩という表現が合っています。
もののけはどんどん巨大化して、今や黒髪を振り乱し、顔は割れ、恐ろしい鬼のような表情で空いっぱいに広がっていきました。
一気に空が暗くなり、激しい雷が起きて、巨大化したもののけの顔から地面に向かって稲妻が叩きつけられます。
人々は逃げまどい、私はそばにいる人たちと走って、前方に2軒ほどあった木造の小屋に入りました。
小屋に入ってしまうと、外では雷鳴が続き、もののけが大暴れしていても、それ以上の被害は降りかかって来ないようで、「この時代は、こうしてもののけの怒りをしのいでいたのか?」と、この夢を見ている側の目線の私が、ちょっと不思議に思いました。
ここまでが、平安時代の話です。
舞台は現代に……?
気づくと、今度はシーンが変わって、中高生くらいの男の子2人が談笑している場面になりました。見るからに現代の子です。
一見、別の夢に移ってしまったかのようでした。
二人とも、ほどよく日に焼けた小麦色の肌をしていて、すらっとした快活そうな男の子です。
二人は同じ住宅街で育っていて、「あの車かっけー!」とか、自分たちが運転できるようになったらどの車を買ってもらうか楽しそうに話していました。
その様子から、二人とも一戸建てに住んでいて、免許を取ったならすぐに親に車を買い与えてもらえるほどには裕福なのがわかりました。
二人が欲しがっていた車は、フォルクスワーゲンのタイプ2というのに似た、四角いポップな感じの、でもそんなに大きくない車でした(私が車に詳しくないので、夢で見ていたイメージから似たのを調べました。フォルクスワーゲンというのはあくまで私の知ってるメーカーから辿った場合で、BulliというのやI.D.Buzzというのに似ている。でも、日本車かもしれない!)。
本題からは逸れるけど参考写真↓
●Bulli
●I.D.Buzz
この二人の顔を見ていたら、はっと気づいたことがありました。
私から見て手前側にいる方の一人はやや細面で、顔立ちが、平安時代にもののけを撃った男性そっくりだったのです。
「これは、源(みなもとの)○○そっくりだ……そうだ、子孫なんだ!」と私は思いました。
この子には、まだ小学生の弟が一人いました。
このとき自然に名前が浮かんだことで、矢を射った男性が平安時代の源氏の誰かだったのだと気づきました(今では下の名前は覚えていません)。
そして、まさかと思い奥にいるもう一人を見ると、もののけの首の男性の顔が重なりました。
そう、もう一人の男の子は、もののけになった男性の子孫だったのです!
ここで、私は夢の中でよくある「このストーリー展開を知っている感じ」をおぼえ、この後に起こってくることもわかりました。※
この子たちは何も知らないけど、二人は、もののけの首の姿になっていた男性と、それを矢で射った男性(平安時代の源氏の誰か)の子孫で、これからこういう展開が起こるんだ……と、「思い出した」のです。
※全く同じ現実が繰り返されるわけではなく、その都度の選択によって展開は変わり得ます。こちらの記事でも、夢で「先の展開を知っている」ケースを説明しています。↓
◆「霊的次元にもあるパトロール。怖い夢やホラーな現象も変えられる。あなたの力を思い出そう!」
そしてそれは、「いやな展開」で、何とか止めたいと思うものでした。
時を超えて遂げられる怨念
はるか遠い先祖によく似た顔の男の子に、例のもののけが乗り移って、怨念を遂げようとして事件を起こす……仲の良い友達であるもう一人の男の子の家に被害をもたらすのです。
肉体が似ているということは、どこか組成が共通しているということで、他の子孫よりも乗り移りやすいのかどうか知りませんが、とにかく時を渡って、もののけはそれを実行する。
自分の右目を射った男への復讐の念から。
次のシーンでは、その事件の日になっていました。
もののけを撃った方の子孫の男の子の家には、弟がいたにも関わらず、もののけが乗り移った男の子によって火事が起こされていました。
夢の中の私はいつの間にか、火をつけられた方の家の男の子(兄)になっており、母親に知らせに必死で駆けているところでした。
母親は、セミロングの髪の毛を後ろで1本に束ねた、落ち着いた感じの人で、外で仕事していました。勤務先は、家から近いようでした。
私(男の子)はどういう事情でかわかりませんが、そのとき家の中にはおらず、状況を知って母に知らせに走って来たようでした。
母親は血相を変えると、弟を助けるために無我夢中で走り去りました。
そのとき、夢を見ている私は「行っちゃだめ!」と、強く思いました。
行ったら殺される!もののけに右目を潰されて、殺されると。だから、行かないで!
夢を見ている私は、その結末を「知っている」のです。
しかし私は、夢の中では兄である男の子で、いくらお母さんに「行かないで!」と止めたくても、母親が弟を救おうと走り去ってしまうのを止められないのでした。
まるで状況を全部知って眺めている体のない守護天使のように、「行ってはだめ!」と、どうにかして教えたいのに、どうにもできないというシーン。
それはそうです、たとえ、弟はもう助からないから、行ったらお母さんまで亡くなってしまうから、行かないでと説明しても、それを聞いて納得する人がいるでしょうか。
そこで黙って、現場に行かずにとどまる母親がいるでしょうか。
このとき夢を見ている側の私は、知っている通りになってしまった結末を悲しく思いながら、「この展開は変えられないのか?」と、心の中で自問していました。
赤い鳥居を見ながら
誰でもない私(誰になっているか定かではない私)が、車の中から、窓ごしに見える赤い鳥居を眺めているシーンがありました。
鳥居は一つではなく連続していくつかが道沿いに続いていて、全部高さが低めの鳥居でした。
コンクリートの道路のそばにあったので、赤い色が目立ちました。
それを見て、これまでの夢の流れを思いながら、
「昔の人は鳥居を、もののけの世界と分けるために境界として使用したのかもしれない。実際あんな風にもののけが感じられたら怖いものなぁ。入って来られないようにと、実用のために置いたのかも。」
と、考えました。
これは、鳥居の太古の由来などではなくて、もののけの存在がリアルだった時代なら、鳥居はそのようにも使用されただろう、と実感したという私の感想です。
また別の現代(並行現実?)。もののけはまだ、活動している。
今度は、人格としては「今の私」に近い感覚で、私は18~20代前半くらいの女性でした。
街頭インタビューなどがされている、モニュメントのあるにぎやかな広場にいました。
国際的な雰囲気で、外国人も多くいました。
私は、時を超えてまだ暗躍しているあのもののけから「逃げながら、行動しているグループ」に属していました。つまり、同じ立場にいる仲間もいました。
まだ、もののけとの攻防は続いていたのです。
私たちのグループには複数の国の仲間がいて、いざというときに避難できる秘密の隠れ家なども持っていました。
あのもののけは、今では別の成人男性の体の中に入っており、彼の行動に私たちは注意していました。すでに、彼の手にかかって亡くなった仲間もいました。
今回も、人波にまぎれて、もののけは姿を現しました。
そして、私たちの仲間(ハントする対象)を探しています。
(起きてから考える素朴な疑問としては、もはやこうなるとエネルギー的なグループとして、「私」はもののけを撃った側の一味であるということになりますよね。それどころか、物語をさかのぼれば、最初っからもののけに追われて「逃げていた女」でもありましたね。)
それに気づいた40代くらいの白人男性の仲間が、「Go, go, go, go, go!」とせっぱつまった小声で私をせかして、逃がしました。
私は隠れ家へ向かって、もののけから見えない側を回って道路に出ると、走って行きました。
並行して通っている舗装されていない少し高い位置にある道には、仲間の一人であるAmandaが、やはり独自の判断で、隠れ家へ向かって走り始めているのが見えました。
夢の中の私と同い年くらいの白人女性です。
途中でルートは別々になりますが、互いに無事、隠れ家に着けるといいなと思いながら、私も走り続けました。
ところで、長距離走り続けているうち、途中で妙な現象が起こりました。
だんだんと、景色は山中に差しかかっていたのですが……。
走るときの手足の動かし方を、忘れる。明晰夢にもう一歩な現象。
これは夢なので、当然と言えば当然なのですが、私の意識が明晰になってしまえば、「走らないで飛ぶ」ことも、「物理的な移動なしで移動する」ことも可能なんですね。
何も、えっちらおっちら、物理的現実と同じように走らなくたって(笑)
意識の明晰さが半ば回復したみたいで、私は夢の中で急に、「走っている自分」を自覚して、「あれ?走るときの感覚ってこんなだっけ?」と、まず疑問に思いました。
あなたも、夢の中で走ったらいつまでも疲れなかったとか、ぐんぐんスピードが出せたとかの経験はありませんか?(逆に、走っても走っても進まない経験もあるかもしれませんね。)
一度、そのように「走っている自分」に疑問を持ってしまうと、手足の動かし方がよくわからなくなってしまいました。
走るときって、手と足をどう動かすんだっけ?と。
すると、いきなり膝のあたりがしびれたようになって、足が急に疲れて鉛になったみたいに、全く動かなくなってしまいました。
それでも、走って隠れ家に行く途中ですので(笑)、「あれ?あれ?」となりながら、手と足を一緒に動かしてみたり(笑)、なんとか大きく振り切って、勢いをつけてみたりしながら、どうにかこうにか進めることに気づき、
「フォームが変だけど、ま、いいや」
という感じで、移動し続けました(笑)
このときは、絶景の中をマラソンしているような気分でした。
なぜなら、辺りは静かで、景色は紅葉のシーズン、色とりどりの赤や黄色、走っている周辺はイチョウの葉っぱがたくさんはらはらと舞い落ちてきて、とても美しかったからです。
すぐにトンネルをくぐっていくような山道に入って、その場所には見覚えがあり、「あ、もう少しだ!思ったよりゴールに近かった」と、うれしく思いました。
隠れ家にて
果たして、「ほら穴」のようになっている場所に入ると、私たちがつい最近も使ったばかりの毛布などが、そのままの形で確認できました。
隠れ家は、まだ外部の誰にも見つかっていないようです。
でも、今回の避難に使うのは、そのさらに奥にある、慎重に隠れる必要があるとき用の小部屋でした。
その小部屋には、一度に6人ほど入れます。
暗証番号が2種類あって、その2種類をクリアーして初めて第1の扉が開き、そこから手順を間違えずにさらに必要な行動をして入るのです。
毎回使うわけではないので、私は「まだやり方覚えてるかな……」と若干不安になりながら、奥の秘密の通路から小部屋へ出ると、扉の前にやってきました。
すると、ありがたいことに、他の仲間が到着しました。
「よかった!」と思いながら、喜んでわーっと話しかけると、私より年上で背が高く、大柄なその女性は、
「着いたばかりで話しかけられるの、私苦手なの、悪いけど……」
と言って、ちょっと黙ってよ、という仕草をしました。
そこで私が「そうなんだ、それは悪かったなぁ」と思って静かにしていると、今度は逆に女性の方が気を遣って話しかけてくれたので、「いや、大丈夫ですよ」と、お互いに気を遣い合う状況になっているうち、3人目のメンバーも到着しました。
この小部屋は、一人ずつ完全に個室の中に入って扉を閉めてしまうと、まるでロッカーのように見えるのですが、その中にいる限り、あのもののけには決して見つからないのです。
個室の扉を見ながら、私は、すでに殺されてしまった若い男性のメンバーを思い出し、悲しく思いました。
彼は用心深くて、度々、ちゃんとこの中に入っていたのに……。
あの日に限って、外にいた。何事もない日には、ここにいたのに。
あの日も、ここに入っていたら、殺されなかったのになぁ。
もののけの手で殺されるときには、必ず右目を潰されてしまうのでした。
平安時代の、あの出来事を再現するように。
(夢の話、ここまで)
決着のつかない話
こうした「どっから出てきたの!?」と思うくせに既視感のある夢では、まるでバリ島のバロンとランダ(バリ・ヒンドゥー教の善と悪の象徴)の物語のように、「戦いは終わっていない(どちらが勝ちでもない)」というストーリーを目にすることがよくあります。
しかもこれといって「ピリオド」だとか「エンディング」に該当するものはなく、現在進行形なのです。
なんだか文章にしてみると、けっこう恐ろしい話のような風味ですが、夢としてリアルに体験していたときの映像や雰囲気は、わりと明るかったり美しかったりしていたのでした。
景色や人々の雰囲気は、文字だと伝えられないので、そこは加味してみてください。
それから、書き終わって読み直しをしていたら、含まれるエピソードを1つ飛ばしていたことに気づきました。
時代設定はやはり「現代」に該当する、もう1つの別の「攻防譚」もありましたが、さすがに長いので省略することにします。
スペクタクルな夢におつきあいくださった、異世界への好奇心旺盛なあなた!
本日も、おもしろき夢を。
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