今回は、「変えたい!という気持ちを認めることは大切」というお話です。
前回の記事、◆「人生の納得度を上げるには」でお伝えしたことと、
補完し合う内容です。
変えたいという気持ちを否定しない。あきらめを受け入れない。
前回は、人生のあらゆる要素について、ほかでもないあなた自身の「納得度」があなたに影響するということをお話ししました。
その中で、自分の本心を騙そうとしても無駄であること、感じ方だけをただ変えようとしてもそうはいかないことにふれました。
あなたが心から物事に納得するとき、それは自発的に起こることで、自分の内側の何かを打ち消したり、閉じ込めたりすることで「作り出す」ものではないのです。
つまり、「納得するために本心を殺す」というのは、表面上のみ繕った不自然な考えです。
本当は納得していないからこそ本心を殺す、沈黙させる必要が出てくるからです。
このことを留意していただくと、あなたが「今」できることとして、
自分の中に湧き上がってくる「変えたい!」という気持ちを否定しないこと。
それを手がかりに、どうなりたいのか、何を望んでいるのかを認識すること。
それらを元に、「ベストを尽くすこと」が大切だとわかるでしょう。
あきらめたら心が平和になるというのは、錯覚です。
心の一部に蓋をすることで生まれる安心は、蓋がゆるんだり開いたりする出来事があれば崩れます。
あきらめるのは、「できない、無理だ、叶わない」等を信じているからです。
実現しないことを相手に闘って苦しみ続けるのは、もうやめた!という思いから生まれる発想です。
しかし、あなたがそんな闘いから真に解放される方法は、「あきらめ」以外のところにあるのです。
第一歩は、あなたの心が上げている声を聞くことです。
「こうであったら」と願うのは、その選択が存在しているから
あなたが「こうだったらいいのに」とか「変化を起こしたい」と感じる何かは、そうした望みに何らかの形で沿った未来があるからこそ、可能だからこそ、そう感じることができます。
もし、何も道がなければ、選択肢がなければ、それらの思いを生み出すことすらできません。
「想像」できるものはただの幻ではなく、存在しているのです。
ただし、それが「このあなた」の体験する「現実」になるかどうかは、決まっていません。
あなたが今と同じエネルギーを持ち、同じことを信じている人間のまま、自動的に望む現実へ辿り着けるかというと、そうとは限りません。
それ相応の「変化」が必須なこともあります。
あなたの内からは「こうするといいよ」という提案、導きがあらゆる形で、いつも伝えられています。
たとえば変える必要があるところがあれば、あなたが変えたくなるように、気づけるように、あなたの内面も、現実も、導いてくれているのです。
もちろんそうですよね、外に見える「現実」もあなたの意識の中にある「あなたの一部」なのですから。
あなたはあらゆる材料を……内面から来るものも、外の状況から見つめるものも、自身の道標として使うことができるのです。
すべてはあなたを助けていると、意識して受け取ることができるんですよ。
納得できないものを納得するのではなく、従来の道で苦しみながら闘うのでもなく、あなたには第三の道がある
同じ観念を持って生きているとき、あなたが同じあり方で同じエネルギーを発しているとき、あなたの体験する現実はその反映ですから、出来事や状況が変わっても、本質的に同じ構造を見せてくれます。
私たちがよくやってしまうのは、
「それが世の中の現状だ」
「人生とはそういうものなのだ」
「地球とは、人間とは、そのようにできている」
などと解釈することです。
すると、責任のありかは自分ではなくなり、自力で何ができるか考える必要もなくなります。
そして、できるだけその「気に入らない現実の中で」自己の平安を保とうと心がけ、努力するかもしれません。
あるいは、あなたが「あきらめた」何かと闘い続けている人の苦しみを見て、身につまされるような気持ち、あるいは自分はそこから卒業したような気持ちで、
「早くあきらめればいいのに」
「無駄なのに」
「愚かだ」
「かわいそう」
……などの感想を抱くかもわかりません。
私が提案するのは、そうした道ではありません。
あなたが無理矢理、自己を納得させたり、納得できないからと「これまでずっと苦しんできたやり方」を歯をくいしばって実践し続けたりすることの、どちらでもない方法。
いわば「第三の道」をお伝えしたいのです。
本当は、第三と言わず、選択は数多くあるのですが……。
表現として、「あれか、これか」ではなく、つらい二者択一のどちらかでもないという意味で、第三のと呼びました。
同じ観念を持っているとき、発想はそこから派生するものに閉じ込められています。
すると、他の世界、他の方法は見えません。
その人にとっては本当に「ない」し、「見えない」のです。
これは物理的にもそうです。
本人にとって存在しないものを、「ある」と言われても、信じられないのは当然です。
「見たら、信じるよ」と言って、「もしそういう現実が自分に訪れたなら、信じよう」と考えます。
ところが私たちひとりひとりは「自分の現実のクリエイター」なので、
自覚を持たない限り、「外から変えてもらおう」と考える限り、そのまま自分は「現状維持」の反映を続けることになるのです。
あなたが出すキュー
あなたはスタジオにいます。
誰かがステージ上のドアをノックしてくれたら、このドラマは次のシーンへ進展すると、期待します。
ところが、あなたはこのドラマの監督でもありますので、あなたがじっとステージを見つめて「待つ」だけではその訪れはないのです。
あなたが「意図(指示・許可)する」と初めて、ドアはノックされます。
あなたの選択がどのようであっても、ノックされる可能性そのものは存在します。
でも、「ノックされるという希望を持つものの、結局はノックされないのが現実であると深く信じている」というシナリオに沿うならば、その可能性を実現しないことこそが、監督であるあなたの指示です。
自分の意識の「立ち位置」を確認しよう
もし、あなたが受動的なあり方に傾きすぎていて、人生の多くの物事に翻弄されているように感じるなら、あまりにも「出演者である自分」の立場だけに自己を移入している状態です。
意識を使っている自分、脚本家や監督として創造している自分が今もいるということを忘れています。
あなたの内から生まれる思いを、感情を、まずは認めましょう。
「変えたい!」という気持ちを、苦しみに結び付けて解釈することはやめましょう。
一体それらのエネルギーがどんな立ち位置から生まれていて、何を信じているのかを確認するのです。
★今度の日曜日、17日の講座はエネルギーを自己に戻す!がテーマです。
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