BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

クラシック音楽にうっとり。趣味と仕事、ヘルパー存在の波長、魂からの情熱の話。

今回は趣味と仕事についての見解、私の趣味であるクラシック音楽や演奏と、それに関連したヘルパー存在(非物質的なヘルパー)の波長の話題など複数のテーマについて語ります。

クラシック音楽にうっとり。趣味と仕事、ヘルパー存在の波長、魂からの情熱の話。」

その好きは、どんな好き?

「好きを仕事に!」という表現を聞くことがありますが、「好き」にも色々な種類や度合い、質があります。

たとえば「趣味」というのは、好きなこと、自分の気持ちが自ずと向く活動とも言えますが、好きと趣味はイコールかというとそうとも言い切れません。

具体例として私のことを挙げれば、今しているスピリチュアル分野の仕事は「好き」とは言えますが、「趣味」ではありません。

私は、趣味でスピリチュアルな探求に興味を持ったり、様々な現象に携わること、たとえば夢や明晰夢や体外離脱、エネルギー世界の知覚などを「起こそう」とする性格ではありません。
それらは私自身に「元から起こってしまっていた」ので、自分を知るために理解が必要だったというだけです。

そのことは昔から、私が個人の余暇に、自らスピリチュアル分野の勉強会や催しに行く発想が全くないことからも明らかで、 それらは私にとって「amuse」の(自分を楽しませる)感覚を伴うものではないのです。
自分の趣味としては、他のやりたいことがあります。

もちろんこれはただ私の例にすぎず、スピリチュアル分野が趣味になるという人もいます。
小さな頃から近いジャンルに関心があり、好きでたまらなかった、という人はそうでしょう。
例として、それらの「形」がスピリチュアル分野と必ずしもイコールになるわけではありませんが、子どもの頃から魔術やまじない、占星術やタロット、オカルトや神秘主義など何らかの精神世界的なジャンルにワクワクしていた人は、大人になっても、それらを趣味として深めていけるのかもしれません。
つまり、そこに「amuse」の感覚を伴いながら、続けていくことができるということです。

私の場合は、スピリチュアルや精神世界と呼ばれるジャンルに該当する理解が深まることも、また、人に教えることなども「よろこび」にはなりますが、それははっきりと自分自身の「amuse」とは異なるという自覚があって、もし「あなたは、趣味を仕事にしていますか?」と尋ねられれば、答えは「いいえ」です。
しかし、「好きなことが仕事ですか?」と尋ねられれば、イエスということになるでしょう。

このように、細かな違いやニュアンスを認識していくと、「好きを仕事に」という表現は実は幅広い見方ができ「遊びと区別がつかないほど仕事が好き」という人もいれば、「好きではあるが個人の楽しみとは異なる」という人、また、「プレッシャー等もあってつらいために、てっきり好きではないと思っていたが、実は自分にとってこの仕事は好きなのだ」と気づく人もいるでしょう。

クラシック音楽と、ヘルパー存在Aの波長、別の自分の好み

私にとって、自分自身を楽しませるamuseの要素を持つ趣味のひとつは、音楽です。
ブログに書いているようにラップやR&Bといった音楽を聴くことも好きですが、自分で楽器を演奏すること、そしてクラシック音楽を聴くことも好きです。

私の場合は幼少期から音楽教室通いと、個人レッスンではクラシックピアノを習ってもいたので、個人の楽器演奏ではどうしても、「クラシックの曲を演奏することが多かった」ことが、クラシックへの興味が向くようになった要素のひとつではあります。

とはいえ、過去記事でも書いたことがあるのですが、昔は今のようにクラシック音楽の魅力を感じていたわけではありませんでした。
好きな曲があったり、聴いた曲や演奏に感動したりということはありましたが、自発的に行う趣味というほどではなかったのです。
音楽教室で、クラス皆で色々な音楽を合奏するのは楽しかったのですが、個人レッスンの方で練習するクラシックの楽曲は、私にとってはその頃「義務の練習」でしかありませんでした。

ピアノを楽しめなかった時代

ピアノの個人レッスンは、ある時期まで、通っている音楽教室の傘下の個人レッスンを受けていたのですが(個人の契約ではなく、音楽教室との契約で先生があてがわれる形。母に確認したところ個人レッスンもセットで必修になるコースだったのだそう)、何年も続けていると、担当の先生はやめてしまったり何らかの都合で変更になったりもしたし、そこで出会った先生たちとはあまり良い思い出がなく、ときには先生がイライラして怖かったりだるそうだったりしていたことも印象に残っていて、楽しく教わる感じではありませんでした。
その頃は子どもでしたし、他のレッスンの様子を知らなかったので、ピアノを習っている友達の優しい先生の話など聞くと、不思議だなと羨ましく思っても、自分のピアノの個人レッスンとはこのようなものなのだと受け入れてしまっていました。

逆に、途中で1人だけ(担当の先生の産休の間、一時代わりとして)、熱意のある先生と出会ったときのことが印象に残っています。その期間だけは、先生の教え方のうまさに驚いたし、すでにやる気を失っていた私でもだんだん「楽しい」と思うようになったのです。
中学1年も終わりに差しかかっていた頃で、私はちょうど「もうピアノなんてやりたくない。音楽は好きだけど、別の楽器を独自にやっていく」と、かつてないほど本当にピアノが嫌になっていて、母も、本人がそう言うならそろそろ仕方ないか……とやめることを承諾しかけていたのですが、その先生が「もったいない。やめないで、ピアノを続けてほしい。絶対に後からもっと楽しめるようになるから。」と熱心に説得してくれました。
演奏からも感じたのですが、その先生は本当に、ピアノへの愛情を持っていました。

さらに後には、実はとうに音楽教室のコースを修了して、個人レッスンまでそこで習う必要はなくなっていたため、友人が通っていた、近所の個人経営でピアノを教えている先生のもとへ中学の後半から行くようになりました。
この頃にはもう、受験のための塾やら他のことに忙しくて、ろくに練習もせずに通っていたのですが、やはり、この先生もご自身が音楽をとても好きなんだろうな、とわかる先生でした。
すでに基礎が仕上がってしまった後からの比較的短い間、高校の途中でアメリカ留学が決まりレッスンをやめるまで2~3年未満しかお世話にならなかったので、自分へもたらした変化はあまりなかったのですが。

元々ピアノが好きでたまらず、自ら才覚をあらわすお子さんの場合は別として、私の経験から振り返ると、子ども時代のピアノの個人レッスンでは、先生がどんな人かはかなり影響すると思います。
どんな経験をしても、後から自分次第でポジティブに活かすことができますが、いち体験談としてお話しするならばそうです。

こうした経緯もあって、大人になって自分がクラシック音楽に惹かれることも、ピアノ演奏に情熱を見出すなどということも、起こるとは予想していませんでした(笑)

スピリチュアルな再接続を経験した後、クラシックの魅力に開眼 

音楽自体はずっと好きだったものの、「ええっ……なんて豊かな世界なんだろう!」と新たな驚きを持ってクラシック音楽に惹かれるようになったのは、私の「スピリチュアルな再接続」が起こった少し後の時期なのです。

その頃は、私自身の「魂的な自覚」というものがどんどん取り戻されていた時期で、霧が晴れるように色んなことがわかるようになっていました。
「この人生の個人」というアイデンティティーではなく、より大きな自己、多次元的に同時に存在する自分というアイデンティティを、はっきり取り戻した頃です。

そこには当然、私自身の「より膨大なデータ」への自覚が芽生えるので、活用できる感受性や素質、能力といったものも増すのです。
(これについては、「個人セッションについて」内の説明も参考になるかと思います。)

それはちょうど「次元が増える」という表現で伝えることができるかもしれません。
たとえば、これまでぺら紙一枚のように見えていたものが、立体的な奥行きを持ち、味や色や香りや感触、動きを持ち、様々な側面から堪能できるとしたら、その違いは大きいですよね。
これはたとえにすぎませんが、そのように経験の深みが増すということです。

さらに、私と繋がっている存在(ブログでは「ヘルパー存在A」の仮名でおなじみ) のエネルギーが、クラシック音楽と相性がいいというか、波長が合ってもいるので、ときどき私自身が「彼に同調したエネルギー・モード」になると、がーっとクラシック音楽にのめり込みます。

関連記事。ヘルパー存在のエネルギーを取り入れることなど。↓
「What's Your Color?」

beats-and-love.hatenablog.com

「クラシックの世界へようこそ」

beats-and-love.hatenablog.com

ヘルパー存在紹介 

beats-and-love.hatenablog.com

こうしてクラシック音楽の受け取り方や、演奏に対する情熱は劇的に変化したのですが、次に進行する課題は、私に「それを表現するだけのスキル」を持たせることでした。

自分の思い描く通りの演奏をするためには、この肉体での「練習」が必要です。
残念ながらこの人生の「私」、他の楽器はともかく、ピアノの演奏は、長年の練習の割には「苦手なんじゃない?」と、思っていました。
普段、さほど手が小さいとは思ってなかったのに、指が1オクターブ届くのにやっとなこともネックでした。大きい手の人がパーンとおさえられるところも、音が濁ってしまいます。

でも、こうした問題点は、プロのピアニストでも持っている方はいて、色々な工夫で乗り越えているということが最近わかり、勇気と、練習を見直す情熱とが湧いてきました。

ちなみに、そう知って新しい希望が生まれたのは、先月末にピアノ演奏に関する不思議な夢を見た後のことでした!
該当記事「あなたの内側は経験の宝庫」

beats-and-love.hatenablog.com

死ぬまでに……そう、人生を終えるまでに。
まだ時間はあり、できることがありますね。

あなたの人生を見たときに、仕事でとか、これこれの理由でとか、何も思い当る「実用的な」目的がなくとも達成したい物事があるとき、軽視も無視もしないことです。
それは魂からの情熱で、ただ追求し実行するだけで、その過程までもがあなた自身を楽しませ活気づける、生命の輝きに欠かせないものなのです。 

クラシックの素敵な演奏をご紹介♪

私にとって、すでに下地ができているということで深めていきやすいのはピアノなのですが、実は純粋に「音の好み」でいうと、他にもっと好きな楽器がたくさんあります。

大人になってから、音の素敵さにうっとりしてしまったのは、オーボエです。

オーボエの演奏にも色々な個性がありますが、Youtubeで動画を色々見ていて、私が好きだった演奏はこの方でした。

Johannes Grossoさんの、2014年プラハでの演奏で、
曲は人気の高い、モーツァルトオーボエ協奏曲K.314です。

★Mozart Oboe Concerto Johannes Grosso Prague 2014

 

はぁぁぁぁ……っと天に舞い上がるような心地になってしまいますね。 
エッジのとがらないまろやかな演奏で、モーツァルトのこのオーボエ協奏曲を様々な人が演奏しているのを聴いた中では、私好みのオーボエの音です。
お気に入りに追加しようとしたら、1年以上前にすでに追加していたのを発見したくらい(笑)

Johannes Grosso(ヨハネス・グロッソ)さんはフランス出身の演奏家で、フランクフルト国立歌劇場管弦楽団のソロ・オーボエ奏者だそう。
日本にも何度かいらしていて、イベントで教えていらっしゃることもあるようです。

フランスのオーボエメーカー・マリゴのサイト内の演奏者紹介ページ↓

www.marigaux.com

モーツァルトについて

ここでちょっとモーツァルトについて言及を。
先に紹介したこちらの記事内でも、少しモーツァルトについてふれているのですが。↓

beats-and-love.hatenablog.com

私はモーツァルト、好きか嫌いかで言ったら即答で「好き」ですが、モーツァルトと言っても色々な曲があることは承知の上で、私がよく感じることを書いてみると。

モーツァルトの曲は、聴く度に「すんごいな……」と感心してしまうのですが、しょっちゅう流して聴いていたいか、あるいは演奏し続けたいかいうと、ノーになるのです(笑)

モーツァルトの曲は間違いなく華やかで、特有の「モーツァルト・ハイ」になれるのですが、その「心上がる感じ、アップ感」が私には過剰で疲れることもあるのです。

音のバランスとして、ではなくて、ファッションの好みのように「好みの問題」で言えば、「装飾過剰」。レースのふりふりが沢山あしらわれているみたいな感じ。

モーツァルトの楽曲についてこの感覚をずっと抱いていたら、ちょうどいい表現を以下の情報の中に発見しました。「ロココ様式」。↓

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト - Wikipedia

ああそうだ、私が感じていたものはロココと表現するとぴったりだと納得しました。
芸術は源はひとつというか、絵や建築で表現しているものが音で表現しているものと共通していたり、似た感覚を共有して別の種類の作品で表していたり、ということに気づきますよね。

モーツァルト・ハイは気持ちいいし、天上の音楽かというように感じるのですが、もうこのへんで……というところでやめてくれず、「まだいくか!?」というくらい上がり続けるので、途中で「もうそろそろ、いいのでは」と思ってしまいます。
料理でいうと贅沢なフルコースがなかなか終わってくれず、出され続けるような。

楽しいけど毎回じゃなくていい、そんな感想でした(笑)

素晴らしいオーボエを奏でるリトアニアの少年音楽家

そしてこちらは私が目下一押しの演奏家リトアニアオーボエ奏者、Pijus君。

動画は2014年のリトアニア室内管弦楽団オーケストラとの演奏で、このとき11歳!
Vivaldi Oboe Concerto in a minor, RV 461, Ennio Mo

 

アンコール(14分59秒から)の曲を知らなかったので調べると、映画「The Mission(邦題ミッション)」のエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)作曲「ガブリエルのオーボエ」という曲だそうです。
あれだけの演奏をした最後に、この情緒あふれる曲を堂々と奏で切ったのがまた圧巻ですね。

すっかりPijus君の演奏に魅了されてしまった私は、アップされているPijus君の演奏は全て聴いてしまいました。(数は多くないですが、ここに紹介している他にもあります。)
この年齢でオーボエが上手!という驚きのせいではなく、その演奏が、胸にぐっとくる、私の好きな演奏だったからです。

こちらはさかのぼってなんと10歳のとき。2014年ヴィリニュスで行われたコンサート。
★トマゾ・アルビノーニ オーボエ協奏曲ニ短調 Op.9 

続いてPijus君13歳、2015年クライペダ室内管弦楽団との演奏。↓
★ドメニコ・チマローザ オーボエ協奏曲

素敵な演奏としか言いようがない!!

そして最後に、これでさらにノックアウトされてしまいました。
先にご紹介した、モーツァルトオーボエ協奏曲KV314を、13歳のPijus君が演奏。
2016年、リトアニア国立フィルハーモニック・ソサエティにて。↓

 

胸踊る演奏!

自分の好きな演奏、素晴らしい演奏を聴いていると、胸が高鳴りドキドキしてきます。
その感覚は他の何にもたとえようがないもので、圧倒的です。
ただ感動して聴くのみならず、私なりの演奏も磨いていこう!という情熱が押し寄せてきて、じっとしていられない気持ちになるのでした。 


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