BEATS AND LOVE

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自分のプログラムを崩すということ

今回は、「自分のプログラムを崩すということ」

この話題は12月15日の講座「内的静寂から生きる」に関連するほか、スピリチュアルカウンセリング個人セッションや、現在モニターセッション承り中の「アニマルコミュニケーション」によって、私も実感を深めていることです。
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「予想外」を受け入れられますか

私たちは自分の経験や学んだこと、信じたことを元に、物事を予測したがる傾向にあります。
これこれはこうであるという、既知の方程式に従いたいのです。

あなたは、自分の人生に起こる「予想外」の流れや出来事を受け入れていますか。
それとも、自分の知っている形、想定していた内容に物事を当てはめて、コントロールしようとしますか。

自分がとる態度の影響は、自分の現実にダイレクトに表れます。

たとえば、ある人が「動物は人間ほど賢くなく、高度な知性を持つはずがない」と強く信じるなら、その人は技術的には動物と会話する手法を身につけたとしても、その信念の範囲内の話しか動物と交わせないでしょう。

「論理的な吟味」がインスピレーションを邪魔することがある

自分の知識や経験を元に論理的に吟味することは、正しい道筋であるかのように思えますが、「知っていること」の枠組みの中で行われているので、「その範囲の外にある知らないこと」に辿り着けません。

たとえとして、他のセッションでも共通ですが、アニマルコミュニケーションを例に挙げて説明しましょう。

もし、私がアニマルコミュニケーションのセッション中に受け取ったあるイメージを、「これは○○という動物にはありきたりなことだから、私が作り出したイメージである可能性もあるし、他の話題と比べると些細な情報だろう。伝えないでおこう。」と、自分でジャッジ(価値判断)してしまうと、どうなるでしょうか。

そのイメージが、セッションでお話ししている動物とご依頼者の方との間で私の知らない意味を持ち、そのときそれを伝えることが大切な場合、私自身の思い込みで情報を伏せてしまうことになりますよね。
「自分の認識できている枠の外で進行していること」を邪魔して、制限する結果になるのです。

インスピレーションや直観を受け取るとき、私たちにとってチャレンジとなるのは、
「受け取った情報を、既知のプログラムによって邪魔しないでいられるかどうか」です。
「自分の知っていることに囚われず、直接受け取ったものを信頼する」というレッスンです。

それを実行したとき、サプライズで素敵なギフトをもらったようにワクワクする現実へと導かれます。

インスピレーションや直観はいつでも届いている

心を透明にし、内的静寂から生きるとき、私たちはインスピレーションや直観と呼ばれる情報を自分の内から直接受け取りますが、ここではっきりさせておくと、それはいつでも届いているのです。

自分の内側と「繋がっていない」、「不通になっている」という人はいません。

では、何が違いを生むかというと、あなたの心にどれくらい「こうでなければならない」と主張しているプログラムがあり、それらが内にある叡知を遮っているかという点です。

自分の予測、こうあってほしいという期待、こうでなければならないというプログラムが少なくなればなるほど、あなたは自由になります。
自身の内から湧いてくるものを、ただそのまま生きることができるからです。

そうとわかっていても「そんな生き方、できない」と思うとき、直観やインスピレーションよりも「私が知っていること、経験したこと」を信じたい、その方が正しいと思い込んでいます。
なぜって、そちらは「あなたがすでに実体験したこと」「現実を見渡して、本当のこと(=人々の共通の合意)だと納得できていること」であって、信頼に足ると考えているからです。

冷静に調べれば、いかに集団の合意が間違っていることがあるか、自分の「実体験」に盲点や歪みがあるか、いくらでもその崩壊のきっかけとなる「ヒビ」を見つけることができるのですが、私たちの感情は観念(自分が信じていること)に従うため、観念の内容から外れようとすると、恐れなどの感情が湧いてくるのです。

つまり、直観やインスピレーションに従って生きるには、
自分の中でプログラム済みの考えや、観念に反応して引き起こされる感情
に意識的に注意し、そうした感情や感覚がなぜ起きているのかを「見る」意思が必要です。

全体が見えている運転手と、目の前の教科書を見ている運転手

景色の全体を眺めつつ、今どこを進んでいるか、何が起きているか、必要な詳細全てを把握している運転手がいます。

その運転手はあなたの「中に」存在するのですが、一方で、「地球人生で得た知識の教科書」を目の前に広げ、視界を教科書によって遮りながら、目の前の風景すら直接見ようともせずに運転する「あなたの一部」も存在しています。

どちらの運転手が、あなたの人生を任せるにふさわしいでしょうか。
あなたはどちらの「視点」を信頼するでしょうか。

踏襲してきた様々なプログラムを崩すということは、人生の進行を「自己の内側の、真に知っている部分」にあずけるということです。
自身の内側にある叡知に対し「聴く耳」を持ち、プログラムによる既知の思考の声を「リプレイすることをやめる」という意思です。

いつだって、それは「選択」です。

何を元に生きたいか。
この世界という映画の「中」で作られた視点か、それとも、映画を創作している側という「外」の視点か。

「私」という存在の本質を思い出せば、どちらのリアリティーをあてにすればよいかはおのずと明らかになるでしょう。


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