予告通り、今日2つめの記事です。
眠っている間の「夢」では、そのときどきであなたに必要なことが起こっているので、夢のパターンのようなものも時期によって変化します。
昔はこういう夢をよく見たけど、最近はまったく見ないとか、
近頃はこういう夢が増えたけど、かつては見たことがなかったとか、
気をつけていると、その変化に気がつくことができるでしょう。
私は最近、2回ほど、裸足で地面を歩いている印象的な夢を見ました。
これは、かつては見たことがなかった夢で、裸足で歩き移動している際の足の裏の感触もとてもリアルでした。
アスファルトの上ではなく、砂地や土や草の生えた地面の上を歩いていました。
住宅街の芝生の上を歩いたりもしました。
1度目にその夢を見たときには、夢のワンシーンとしてたいして気にとめなかったのですが、そう間をあけずして2度目に同じタイプの夢を見たとき、興味を持って心に残りました。
私は現実の(起きている間の)実生活では、裸足で歩くということはしていません。
きっと何年も前に、最後に海に行ったときに砂浜で裸足になったかもしれませんが、そのとき以外思いつきません。
ただ、これを象徴的にとると思い当ることとして、最近私が深く考えていたことがありました。
それは、「地球と一体になること」が実は、人間にとってのより難易度の高いゴールであるということです。
スピリチュアルなことが好きな人たちの間では、体の下側にあるチャクラよりも、上側にあるチャクラの方が「高次」であるという認識を持たれていることが、ままあります。
チャクラは沢山の数あるのですが、一般的には、背骨に沿った7つのチャクラが有名ですよね。下から順に第1チャクラから第7チャクラと数えられて呼ばれています。
楽器の鍵盤やオクターブがどれも必要であるように、どのチャクラがより重要だとか、より“高次”であるとかの言い方は本当はできないのですが、
どうも「チャクラが開く」というような言われ方をする場合、基底部の第1チャクラや第2チャクラよりも、ハート(第4)チャクラよりも上の方、特に第三の眼に相当する第6チャクラや、頭頂部の第7チャクラが「高次」で成熟しているという見方がされているようです。
ヴァイブレーション的に見た場合に表現されるトーンの違いや、役割の違いを理解することはかまわないのですが、そこに「価値」や「尊さ」や「成熟度」を盛り込まないよう注意してください。
私が今回お話ししたいのはこうです。
人間は、元から「霊的存在」です。
それ以外のものにはなれないし、今も(忘れているふりをしている人もいますが)霊的存在のままなのです。
肉体の死を迎えた後も、やはり霊的存在です。
そんな人間たちにとって、上の方のチャクラ、第7チャクラや第6チャクラが活性化するのは実は自然なことで、そう難しいことではありません。
私たちの性質からして、もっともたやすいこととも言えます。
ところが、「Down to Earth」(※英語で地に足をつけるとか、現実的という意味の表現ですが、ここでは比喩的に地球へ繋がるという意味で使っています)…
地球へ向かって一体化すること、こちらの方が難易度が高いと、私は最近認識するようになりました。
本当は、昔から自分ではそのように感じていたのですが、あまりにも“スピリチュアル分野”のメインストリームで言われていることと逆を行く考えだったので、自分の中だけであたためていたのです。
ところが近年、それは確信に変わりました。
「人間体験」を極めるマスタリーのようなものがあるとしたら、霊的存在が地球と一体化した「人間」になることでしょう。
地球と一体になるには……自然の中に住んで原始的な生活をするとか、そういう物理的な条件が必要なわけではありません。(そういうスタイルを選ぶこと自体は、個人の道としては自由ですが。)
これもまた、精神的な話なのです。
多くの「精神世界」の教えと一見「さかさま」のことを言っているように感じる方もいるかもしれません。
私がお話ししているのは、「意識の“目覚め”とともに、基底部から上に向かってチャクラが活性化していきます」というセオリーではありません。
むしろ、(象徴的には)地面の方に向かっていく流れを意識してほしいのです。
あなたの意識は、いつでも目覚めています。
そして、目的を持ってこの地球での体験をしています。
イメージとしては…
霊的存在から→
霊的存在の我と人間の自我の溶接点である第4チャクラ(ハート)を通り→
第3チャクラの「個人化(個性の確立・意識の自立)」を果たしてから→
家族(※ここでは血縁に限らない、精神的な意味での家族)など広い絆・集合体としての「私」をつくる第2チャクラを通り→
そして地球で生きるということそのもの(全ての生物を内包する「地球という私」)へ繋がる第1チャクラへ
…降りていくということです。
この概念を理解していただくと、地球そのものが私である、という視点で生きていくことが「マスタリー」になる意味がわかると思います。
「私は霊的存在だから、“目覚めたら”地球は関係ないの♪ 卒業よ~バイバーイ」
という感覚は、大幅にずれているのです。
裸足で地面を歩くことを、最近では英語で「アーシング」と呼ぶみたいですが、足の裏にも、もちろん大切なチャクラがあります。
その意味で、そうしたい人は裸足で歩くことは助けになるでしょうが、そういった物理的な「形」よりももっと大切なのは、地球と自分とを切り離してしまわないということです。
私たちは地球の一部です。
肉体は地球の細胞で、地球からもらい受け、地球にかえっていきます。
そして同時に地球は、私たちの意識の一部です。
この関係を「別々のもの」にしないで、生きていくこと。
Down to Earth、あなたの中の地球と一体になりたい部分を、無いものにしないで…耳をすませて。これも自己「一致」です。
地球という「私」と繋がってください。
そこから見える何かがあります。
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