BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

死と再生、陰と陽

前日の夢とは打って変わって、現在の人生にもっと近く、明るいトーンではあるものの、示唆に富んだ夢を見ました。

前日の夢は、日常の延長というよりも別の側面、霊的次元にフォーカスされていました。↓
平安時代から続く、もののけとの攻防譚の夢」

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この後説明する、今回見た夢から読み取れる象徴を言葉にしたものが、「死と再生、陰と陽」です。

実はこのテーマは、晦日から明確に意識に持ち上がっていました。
晦日、目が覚めたときから、これまで以上にパキッと、この人生の「死」までの時間を意識して、「逆から考えて生きる」ような感覚を持ったのです。
自分の肉体の死か、別の意味での死、つまり大きな転換期か何かを表すのかわかりませんが、具体的な数字も見えていました。

その後、一時的にお正月のムードでそれも曖昧になったかに感じられたのですが(笑)、新年明けた後の日常に戻ってからは、やはり再浮上したのです。

そんな中、つい先日も偶然、友人に別件でメールを送ったところ、こんな報告を受けて驚きました。
それまでスピリチュアル分野に興味はなかった友人のパートナーが、意識の別の次元や、そこでのあり方について関心を深めながら、自分の死への恐れと向き合い、「死」は怖くないの?と、死後生や別の次元を認識している私がどう感じているのか(友人に)尋ねていたそうなのです(※私のこの仕事を知っています)。
友人たちがまさにそれを話題にしていた瞬間に、当の私からメールが来たということで……(笑)私も、全くそういった話題を出す予定ではなかった流れで、ぽんと差し挟まれたエピソードに、今自分の意識内で育っているテーマを再認識しました。

ここからは、夢の内容を紹介しながら、続けます。

夢の内容

イントロ:まるで自分はデータ・ストレージ。

先に書いた通りこの夢はごく普通に、現在の私の人生から考えても、わりと自然な内容ばかりです。この自分のパーソナリティー、この人生を中心に、材料を調達している形です。
とはいえ前日の夢の直後に今度はこっち、と意識内のあまりに多様なストーリーを眺めると、まるで自分が「大容量データストレージ」になった気分ですね(笑)

それを言ったら、私たちみんながそうなんですけどね(笑)

夢:心を通い合わせていた黒猫が亡くなる。名前はルナ。

この夢の中では、私は今と同じ自分で、生活は違っており、実家の家族と暮らしながら猫を飼っていました。

起きている間の現実では、私は猫を飼ったことがありません。
猫との縁はよくあって、自分も猫が好きな方なのですが、家で飼ったことはないのです。
両親が猫が得意ではないので、今後も実家で飼うことはきっとなさそうです。

ところが、この夢では、辻褄まで合う、よくできたストーリーがありました。

妹が、アメリカに住んでいるとき(実際にあちらの大学に行っていて、トータルするとけっこう長年向こうに住んでいました)、家族ぐるみで親しくしていた彼の家に、猫がいたのです。数匹いた猫の中でも、一番賢かった子がルナという名前でした。
私も、ルナの写真を見せてもらったことがあります。

その経緯がそのまま生き、夢では、妹がアメリカで猫をかわいがっているうちに大切になり、帰国時に連れて帰ってきて、それ以来実家で飼っているという話になっていたのです。
ただし、夢では「ルナ」という名前は同じまま、黒猫になっていて、外見も違う猫でした。
つまり、起きている間の現実で妹が見せてくれた写真の猫とは「別猫」です。
妹が接していたルナという猫は、毛の色や顔立ちも異なり、設定や名前や賢さの要素といった一部が夢の猫と共通していたのでした。

そして実は、黒猫と縁があるのは私なのです。
昔から自分も黒い猫を好きでしたが、黒い猫からもよく好かれました。
また、自分の高校留学中のホストファミリーの家には、黒猫がいました。
といっても、お互い付かず離れずで、特別に絆を築いたわけではなかったのですが。

夢では、家族も、私も「黒猫のルナ」をとてもかわいがっていました。
賢い猫で、心が通い合っていました。

そんなルナが、亡くなったのです。
私はショックを受けました。家族も悲しんでいました。

父が、ルナの亡骸を抱えて外に出ていくのを、私は悲しみに暮れて、ベランダから眺めていました。
あの大切な猫、ルナがもういない……途方に暮れるような気持ちでした。

この夢の空気はあたたかく、家族もいて、部屋の中も居心地がよい空間でした。
しばらくすると、私は「あること」を思い出しました。

それは、もう1匹の猫の存在です。

ぽっちゃりした、動じない猫

なんと、どういうわけかそれまで私の意識には上ってこなかったのですが、家にはもう1匹、猫がいたことを思い出したのでした。
「そうだった!家にはまだ、元気な猫がいる!」と、私ははっとしました。

振り返ると、その猫がいつも通り、丸くなっていました。
ベージュ系の白い色の毛で、ややオレンジ系の茶色がかった縞がうっすら、ありました。
なんとなく金星を思わせる色合いの猫でした。

しなやかな体をし、「叡知」を体現していたルナと、この猫とは全く違うタイプで、この猫はぽっちゃりしていて、のん気な性格でした。
ちょっとのことでは動じない、「……大丈夫?わかってる?」と聞いてみたくなるような猫でしたが、私は今後はこの猫とパートナーになるんだなぁという気持ちがありました。

それで、「どうぞよろしくね」という思いで、そっと、猫の前脚に手で触れてみたのです。
すると、猫は、「うん」とか「大丈夫」とでも言うように、まるでぎゅっと握り返すみたいに、少し前脚の手をまるめて、私の指をつかむようにしてくれたのでした。

夢の中だけで長年交流している友達 

今回ももちろん複数の夢を見ており、別の夢では、ある友達と久しぶりに顔を合わせました。

その人は、実際には一度も会ったことがないけれど、起きている間の現実に存命で、実在しています。
十代の終わり頃か、はたち以降からの交流で、ときどき夢で会っていて、忘れた頃にふと再会して「あ、まただ!」と思います。

たとえば有名人であるとか、自分が関心を寄せている人であるとかは、夢で「象徴」として、「キャラクター」のようにそのイメージを意識が活用することがあります。
象徴という意味では、自分の知っている人すべてが夢で表現され得るのです。

ですから、この交流についても、相手と別次元で交流しているというより、自分のシンボルとして登場するものと途中までは捉えていました。
でも、長年の登場の仕方を観察しながら考察を重ねて、「これは夢の次元では実際に関わっているかも」と思うようになりました。魂グループが一緒だったり、同じプロジェクトのチームに属していたり、という風に。

ここでは友達と書くその人は、まず今回の夢のはじめの方でぱっと現れると、
(日常意識の私からすると、時間的には前回からかなり久しぶりの対面になりますが、)
私が愛用しているある小物を手にしていて、楽しそうに「これ、いいね!いくらくらい?」と、値段を聞きました。
それで私が、「うーん、△円くらいだったかなー」と答えると、そのシーンはそれで終わりました(あるいは私の記憶に残すことができませんでした)。

そしてその後、先に書いた猫の夢などを見ていたのです。

ところが比較的起きる直前の方の夢で、再びその友達が登場しました。
今度は、しっかりと長さのある体験でした。

自宅に遊びに来た友達と、初めて会う小さなお友達。

こちらの夢でも私は実家にいて、実家は今とほぼ同じ建物の家でした。
(夢だと、昔住んでいた家や、少し異なる家に住んでいることもあります。)

私は、自分の部屋でバタバタと身支度をしていました。
友達が訪問する時間が近づいていました。
夢の中で、「友達が□時にやって来る」と決まっていて、時計を見ながら行動していました。

やがて母が、友達が来たことを知らせに2階に上がってきて、友達はその後ろから顔を覗かせました。
私はなぜか着替えの最中で、「今行くから、ちょっと待っててね!」と友達に向かって笑顔で言うと、母を部屋から出し、急いで支度してから下に降りました。

支度している途中、母が「お風呂沸いてるから入っていいよ」と言ったのですが、
私は、えっ……友達が来てるのに!?と戸惑い、それはしませんでした。
ところが、「じゃあ私が入ってくる」と、妹はお風呂に入りに行ってしまいました。
(このシーンは、リアルな母や妹なら取ることはない行動ですが、夢の表現として考えると、「友達とはそのくらい気を遣わない仲である」ということを拍子抜けするほど思い出す効果がありました。家族みんなが当たり前のように過ごしている様子として。)

待っていた友達は、「せっかく遊びに来たのに(父と母しかいなくて、私と妹がそこに不在だったので)、残念~」と、居間でちょっと退屈そうにしており、私は「そうだよね!」と思いながら改めて友人に席についてもらい、食卓のテーブルをはさんで、色々な話を始めました。

父も座って食事を始めていて、母はお雑煮などを用意し、皆に運ぼうとしていました。
私の斜向かいに友達が座り、私の隣には、質の良い黒いセーターを着た小さな子どもが座っていました。初めて連れてきた、友達の子どもなのでした。

私は、隣にいる子どもに「はじめまして」とあいさつしてみました。
その子も、「はじめまして」とあいさつを返してくれました。
小さいのにちゃんとあいさつしてもらって、私は思わず「ありがとう!」と言いました。
その子はにっこり笑っていました。

私は友達に、「お名前、何ていうんだっけ?いつもなんて呼んでるの?」と尋ねました。
子どもの名前を知らないことに気づいたのです。
聞いたことあったっけかな……?と、不思議に思う気持ちもかすかにありました。

毎度おなじみの、「明晰夢になり得たポイント」はここですね(笑)

もし、あなたがとても親しい人との間で「名前すら知らない」という状況に気づいたら、夢かどうか疑う価値はありますよ(笑)

友達は、その子の名前と、普段呼んでいる愛称を教えてくれました。

(夢の話、ここまで)

さまざまな象徴

2種類の夢をご紹介しましたが、どちらにも、実は共通する象徴が表現されています。

象徴は個人的な要素が強く、同じものでも、人によっては違う意味を持ち得ます。
その一方で、集合意識的に共通して認識されやすい象徴もあります。
いずれにしても、象徴は時と場合によって意味が変わります。以下に示す例もこの夢の場合の一例にすぎないので注意してください。

たとえば、「黒」猫、ルナの死。
黒という色も、「ルナ(月)」という名前も、陰の要素を思い浮かべやすく、また、その要素と「死」が重ね合わされています。

さらに、私は個人的に太陽信仰的な人間ではなく、陽の気が強すぎる感じも合いません。
太陽が嫌いなわけではないのですが、太陽を中心として崇める観念がなく、しいて言うなら「星信仰」の方が肌に合います。星々の中では、太陽も「唯一絶対的なもの」ではなくなり、恒星の1つとなりますね。
また、この地球で「星」を見るには「暗闇(陰)」が必要にもなりますよね。

それを思うと、夢の中の私が「大切な黒猫、ルナ」との別れに動揺しているのは納得です。
それまでの自分を支えていた一部が離れていってしまうような感覚でしょう。

一方で、ベージュ系の白猫の方は、ぽってりしていて、のん気で、どことなく金星的でもあると書きました。
この意味は今ではまだ深くは理解できないのですが、少なくとも、
黒猫との色の対比、醸し出す雰囲気や性質の対比、というのはわかりやすいです。

今後、この猫が「生きているパートナー」であるということは、私自身の性質が何かスイッチされる可能性、新たに開拓される方向性を感じさせます。

死は、新たなものの誕生でもあるのです。

もう1つの夢の方でも、友達が子どもを連れてきたという展開で、私は「新しい存在」と対面します。

子どもは黒いセーターを着ていて、亡くなった黒猫が表す「それまでの黒色に象徴されていた陰の要素」も、新たな形で育っていることを示唆しているのかもしれません。

死と生も、陰と陽も、同じひとつのものの側面であることはもちろんですが、それを理解したところで歩みは止まりません。

物事を眺める視点が変われば、その都度、陰の表現も陽の表現もニューバージョンになるのです。

昨年、私の「アウトプット」活動としては、「死」の観念をリフレーミングし、新しい定義で捉えるということをブログでも講座でもお伝えしましたが、今年はそこからさらなる段階へと進んで入って行くことになりそうです。

「死への理解を深める講座と懇親会レポート♪」

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