BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

心の自由と生活。継続しているライフスタイルの近況

今回のお話は、「心の自由と生活。継続しているライフスタイルの近況」です。

私が採用しているライフスタイル(ノーシャンプー、ノースキンケア、ヘナ、布ナプキン等)のその後もまじえます。

こんな生活が夢!という内容を、今の日常に持ってくるには

この人生で本当にそうしたいのか、今まで自分でも疑問だったのですが……、
私は以前からバリ島が好きだと書いているように、海外の熱帯の島で、海に潜ったり、熱帯植物に囲まれて暮らしたりする生活にとても惹かれるのです。 

とはいえ、過去にそれに近い生活をしたことがあるかと言えば、皆無。
これまで、夏といえば海だ!みたいに頻繁に海に出かけるタイプでもありませんでした。
子どもの頃に家族で海水浴に行ったとか、以降も彼氏や友達の誘いでときどき海遊びをしたとかの程度で、国内では、決して自ら積極的に海に入りたがる方ではなかったのです。

ただ、その理由を私なりに説明すると、日本の気候のもとでの、近郊の海には惹かれていないのです。 
気候だけでなく空気の質、色彩のコントラストも私の好きな南の島とはかなり違っています。
赤道に近いあの太陽のもとでだからこそ、の何かがあるのです。

それは海に限ったことではありません。
バリやサイパンに行ったとき、自分の「気」が充填されるような独特の生命力を感じたのですが、日本で暮らしていると、それとは違うモードになります。
すべてがマイルドというか。強烈ではなく薄いというか。

好きな場所は旅行でまた訪れればいいじゃないかと思うものの、複数回訪れたバリ島では、観光することやお決まりの短期滞在には飽きてきていました。
普通の意味での「旅行」としては、もう行かなくてもいいと感じたほどです。

では、海外で暮らしたいのかというと、どうなのだろう?とは何度も考えました。
一方で、一生日本で暮らすのかなと思うと、それも本当に思えない気がするのです。

しばらくこのクエスチョンは保留にして忘れていましたが、ふとしたきっかけで昨夜再登場し、自分はどういう暮らしをしたいかを思うとやはり、あの太陽や鮮烈な色彩のエッセンスが蘇ってきていたのでした。

物理的な移動なしで、できること 

そして内からのその感覚は、物理的に海外に行かなくとも、まずここで自分の心の中からできることがあると認識させてくれました。

生きる姿勢という目に見えないところから、望んでいるそのエッセンスを取り込めるという意味です。
つまり、私が何に惹かれるかを100%認め、形ではなくそれが示す「心」の質にフォーカスするということ。

たとえば、私は服装ひとつとっても、本当は寒い時期の格好が嫌いです。
重ね着というものが苦手で、寒い気候に弱いのに、重ね着をしていると体が苦しくなるのです。
理想は、布一枚巻くだけで暮らしたい!と思うほど、あまり多くのものをまとわずにいたい。
体そのものの感覚が解放されていればいるほど、心地いいのです。

私は裸族(らぞく・家の中では裸で生活する人)ではありませんが、ひとりで暮らしていたときには、着替えやお風呂上がりなどのついでに、裸時間(らじかん)を長めに取るようにしていました。
試せる人は、ぜひ試してみてください。
寒い時期はやめた方がよさそうですが、ほどよい気候のときには、パンいち(パンツ一枚)で、しばらくのびのび過ごしてみるのです。

すると、服というものがいかに拘束感を体に与えているかがわかります。
体全体で呼吸しているような、体の境界がひろがるような、いい気分を味わえます。

もっとのびのび肌を出して、
裸足に近い足の状態で散歩したり、
素潜りしたり、
……
自分の求めている要素は、もっと自然にとけこみたい!自然と一体でありたい!という気持ちを反映しているのだとわかっています。

そしてこれは、自分が軽んじてきたよりは切実で、必要なことなのでした。
どのくらい、どんな度合、どのような自然にとこけみたいか、ふれあっていたいかは、個人個人違いますよね。

自分の選ぶライフスタイルを通して、これまでも理想に近づいていく解放が起こってきましたが、観念を剥いでいけば剥いでいくほど、核心にある「素」の姿が出てきます。 

生活は、自然な表現として 

あなたという存在(霊、非物質的なスピリット)にとって、肉体は「表現」です。
同じように、生活もまた、表現です。

自分に調和した生活を選ぶとき、あたかも「形」を選んでいるように思えるかもしれませんが、その奥には、あなたの心の動機があります。

恐れからではなく、調和から何かを選ぶとき、それは選んだというよりも「自然とそうなる」という流れに感じられます。

おさまるところに、おさまっている 

そのように、私がブログ上でここ数年レポートしてきたライフスタイルも、私にとっては自然でちょうどよかったので、今となっては、ことさら記事にしたいような出来事がなくなってしまいました。
自分にフィットしていると、それについて特別に考えることはないからです。

とはいえ、どちらかというと少数派の生活習慣が含まれており、継続した人の体験談を知りたいという方もいらっしゃるかもしれません。
現状を載せておきます。
※最初の2つの項目は、過去記事で何度もふれているので簡潔な感想です。

★ノー・シャンプー(お湯で洗髪、仕上げにクエン酸を使います。詳しくは日常生活・ライフスタイルカテゴリ内の過去記事をどうぞ。)
加えて月1~2回程度のヘナ(天然ヘナですが、発色のためにインディゴをミックスした製品、★ハーバルカラー★を使っています)
→とても調子がいいです。髪の毛も頭皮も健康で、不満なしというか、今が一番良いのでは!と思うくらい。自分の髪が好きになりました。
定期的にヘナをすることも気に入っていて、ヘナの後は髪の手触りなど全体が心地よく、適度な浄化作用も実感できるので、普段が湯シャンの人にはおすすめしたいです。

★ノー・スキンケア(化粧水や乳液などの製品や、オイル等なにも使いません)
→これもとても調子がいいです。
元々、肌につける製品など外部の刺激に弱い以外は、トラブルが多い肌ではなかったのですが、乾燥はしやすく保湿を必須にしていたタイプでした。
それにも関わらず、何もつけずに春夏秋冬を過ごせています。
肌そのものが強くなったというか、自己治癒力を取り戻した印象です。

布ナプキン(こちらは昨年の夏以降から)
過去記事はこちら「思った以上に普通のこと……布ナプキンの話」
洗う手間を考えてもなお布ナプキンを選んでしまうくらい、布ナプキンは肌に快適です。
両方使ってみると、市販の使い捨てのナプキンでは、吸収された血が固まるようになっているけど、布ナプキンではそうならないんだなとか、今まで当たり前に捉えていて気づいていなかったことが勉強になりました。
私の場合は、こうして布を使う体験をするまで、市販の使い捨てナプキンの中身について関心を抱いたことがなかったからです。
それを目の当たりにすると、体に及ぼす影響を考える人がいるのもわかります。
市販の使い捨てナプキンを直接肌に当てないよう、上に布を載せるだけでも違いは出るというのもなるほどと思いました(私も最近この方法を併用し、観察中)。

色々な都合やコンディションがあるので、全部を徹底して布ナプキンにしなくとも、「月経時の選択肢」として、布を経験してみると良いのではと思います。
私は、外出先で自分のペースで席を立てなそうな用事があるときなど、使い捨てナプキンを選ぶことがあります。
そうでない外出時は、アルカリウォッシュを溶かした水を入れたスプレーボトル※と、使用済みナプキンを入れるためのジップロックのような袋、そして替えの布ナプキンを持参すれば、布ナプキンで過ごせます。
(※使用済みの布ナプキンをすぐに水に漬け置きできないとき、これをスプレーしておくといいのです。こうした具体的な使い方は、布ナプキン関連のサイトで詳しく紹介されていますよ♪)

人によっては、繰り返し洗う布ナプキンではなく、捨てていい布を使うなど、色々と自分に負荷をかけないスタイルを編み出しているみたいです。
何かひとつだけをスタンダードだと思い込まずに新鮮な目で見れば、思いがけない良い方法や、自分に合ったものが発見できますね。

布ナプキン後日談はこちら
布ナプキンよりも便利!と思った簡単な方法」

beats-and-love.hatenablog.com

★ふんどし(こちらも昨年の夏以降から)
→寒い時期は、防寒優先で、着用する気が失せていました!
でも、暑い季節が近付いてきたので、前回購入したのとは違うブランドのふんどしも購入してみました。
前回の内容はこちら「真夏のヘナ部活動報告と、ふんどしレポート」
越中型は布地が大きすぎて、服の下でかさばるため、通常の下着とあまり変わらないもっこ型の追加です(紐で結ぶことは慣れました)。
ふんどしの販売店も、品物の種類も増えています。ご興味ある方はまずはお気に入りを探して、家の中でのオフタイムに試す形で、身に着けてみることをおすすめします。

昨年9月の★自分らしいライフスタイルお話し会★では、ご愛用の、素材がシルクでデザインも素敵な高級ふんティ(というのかな?)ブランドを教えてくれた方もいましたよ!

ふと思う、女性の解放と、共にある男性の解放

こうしたライフスタイルの中で、女性の解放ということに思いを馳せることがありました。

たとえば、ふんどしの話題も、女性として、
どうして、肌に下着の痕がつくのが当たり前になっているほどの、負担があるブラや下着が女性には常用されているんだろう?
これは何のためなんだろう?
男性にはどうしてそれが必要ないんだろう?
と、考えてしまったことから始まりました。

暑い時期、裸に近い格好になるというようなことだって、男性の方が受け入れられます。

一例ですが、
女性は色々なところを隠すのがたしなみ。「女性らしく」美しく整えて。
男性の性欲を刺激しないように、自己責任なんだから、服装も気をつけて。
(でも、ちょうどいいときにはそれを刺激できるように装いなさいね。)
そんなことを、観念の「お荷物」として、持っていることはありませんか?
そういう、たどっていくとバカバカしい観念から派生して「こういうものだ」と作られ、守られている文化や生活習慣に、気づいたことはありませんか。

女性の月経にまつわるあれこれも、「女同士でこっそり教え合うもの」みたいにされていることがあります。
でも、そうした話題を、女性の間だけでとどめる意味は何なんでしょう。

どんな男性も、女性から生まれますし、生涯を通して様々な女性と関わります。
それだけでなく、以前からお話ししているように、人間は誰もが男性性と女性性の両方を自身の内に含んでいます。
女性が不自然に「自己を制限しなければならない」状況にあれば、男性もまた、そのような観念ベースの世界に縛られているということです。

性別に関係なく、どんな人もまず、心が自由であることができるように。
そして、その結果として、心にあるものをナチュラルな形で、生活に表現できるように。

そう思い続けています。


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