BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

見える景色も感じ方も一変する

今回は、「見える景色も感じ方も一変する」というお話。

ちょうど前回、過去のあなたや未来のあなたと今のあなたは「違う人」なんだよということにふれました。

「今やりたいことは、今だからやりたいこと」

beats-and-love.hatenablog.com

変化は、自覚しないほどゆっくりなこともあります。
そしてある時点でのあなたと、現在のあなたとで違う思いや好みを持っているからといって、どちらかが間違っていた、自分を見誤っていたということでもありません。

同じ「自分」を持続させていると思っていたのに、こんなに変化している部分があったんだ。

そう知ると、きっと未来のあなたがどんな様子かも、楽しみになると思います。
それはあなたの予想できるシナリオとは異なる展開を描く、意外性を持つからです。

 「好き」をやり切って、次の「好き」へ

変化についてよくある誤解が、「山あり谷あり・アップダウンの思い込み」です。

たとえば、あなたが何か変化を起こすとき、
「今までの状態が嫌いだったから。苦しかったから」
という動機で動くことがありませんでしたか。

その一方で、同じ変化を起こすのでも、
「これまでの状態も大好きだった。でも、もうやり切って満足したから、次に行く」
ということもあるでしょう。

先の例が「嫌い!」からの脱出を求めた結果であるのに対し、後の例は「好き」から「好き」への移動です。

これは行為だけ見たら同じように見えて、エネルギーは全然違うんですね。
心の中にある動機、感じている内容が異なるからです。

まず、変化そのものと、「状況に追い立てられて仕方なく変化を起こすこと、アップダウンを感じながら動くこと」とは結び付いていないということを認識してみましょう。
それはイコールの関係ではありません。
変化を恐れるとき、「平穏無事でいたい」、「安定していたい」という気持ちを持っていて、望ましくない揺さぶりやアップダウンが変化には付き物だと信じていることがあります。

ところが、物事はいつでも変化していて、変化はただ楽しいものであってもいいのです。

こうした観念・感じ方の違いは、現実にそのまま反映されます。

「苦しいから、逃げ出したいから」何かをするとき、そこにあるベースのエネルギーは、さらなる苦しみの現実や、似たような状況を映し出してくれます。
行動上で変化を起こしても、内側にある根本原因は解決しておらず、意識・エネルギーは同じ状態にある場合です。
その状態からは、場所を移動しようが、関わる人々を変えようが、自分の中にある観念や残留エネルギーをどうにかしない限り、「あなたの現実は同じものの別バージョンを反映する」ということなんですね。

決して、状況にお尻を叩かれなくても、
主体的に、あなたが惹かれるものから惹かれるものへ、「ただそうしたいから」という望みを元に動くことができます。

苦しみにコールされて変化するのではなくて、感じることに素直になって変化し続けるあり方もあるんだということです。

私個人の惹かれるものの変化

私は2年ちょっと前に、こんな記事を書いていました。
「夢のマイホームも人それぞれ」

beats-and-love.hatenablog.com

その記事を書きながら自分の思いをそのまま認めたことが、次なる変化を引き起こし、その後たった1ヶ月未満で、こんな風に見方・感じ方が変わっていました。↓
「いいとこいっぱい見つけたよ♪」

beats-and-love.hatenablog.com

そして「今いるところもいいな」と実感できるようになってから、さらに惹かれる次の場所(現在までいたところ)が見つかる、という展開があったのでした。
「ここはいやだ、別の場所に行きたい」と思っていたときに動いたのではなくて。

そのとき、自分のエネルギーが軽やかで、動機がそのような形だと、色々な物事がスムーズに運ぶとわかりました。

なお、このときは結局、その前に元々住んで活動拠点にしていた国立へ再び戻る(同エリア内で違う場所を見つける)という私にしては珍しい形を選びましたが、それは「まだやり切っていない感じ」、残留エネルギーがあったからだとも感じていました。

そこで満足し終わって移動したというわけでなく、直接の要因が共に暮らしていたパートナーとの「解散!」だったので、自分で納得して行動したこととはいえ、「もう少し、あの土地で仕事を続けたかった」という思いも残っていたんですね。
自分の中での「ここはもういい」という感覚が訪れておらず、クロージングが行われていなかったのです。

再び同じエリアへ戻ってきて、さらに時を経た今となっては、この場所への後ろ髪ひかれ感はゼロです。
いつものように、「ここでやることは終わった」という感覚があるし、自分の内側も相当変化したために、惹かれる場所も暮らし方も変わったことを実感しています。 

変化が決定的になったきっかけ

上で紹介した過去記事の中で、私は一戸建てはいやだとか色々書いていましたが、そのときの自分と今の自分は「別人」です。

かつての私からすると「望ましくない」と思っていた暮らしが、今の私には望ましい暮らしであったりもします。

その変化はじわじわと時間をかけて起こっていたことは確かですが、確定させることになった劇的なきっかけがありました。

それは、自分の望む未来を吟味していたときに、ある異国の文化に惹かれたことです。

日本にいながらに持ってみる、外国人の視点

そこにずっと住みたいのかどうかまでは疑問でしたが、しばらく暮らす実地体験をすることについては具体的に考えました。

すると、色々なことが「今までの暮らしとだいぶ違うぞ」と想像できました。

言語や文化の違い以外に、物理的な生活環境が、日本での暮らしのようにはいきません。
もちろん、その土地へ観光に行って素敵なホテルに滞在するなら別ですが。
私が望むのはそういうものではなかったのです。

トイレやお風呂……虫……交通……ネットの環境とかはどうなのかな……

色々物理的な条件を調べているうち、その視点で「日本の生活」も眺めるようになりました。

すると、これまで不満に思っていた環境も含めて、
「めっちゃ快適だよね!」
と、感じるようになってしまったのです。

これは何とも言葉で説明し難く、本当に感じ方が一変してしまったとしか言いようがありません(笑)
無理に「ありがたいね」と思おうとしているわけではないのです。

むしろ、「こんなに恵まれた環境で生活していて、他国でやっていけるのか」と自分を鍛える気持ちにすらなってきました(笑)

ちなみに過去記事を読んでくださっている方はご存知のように、私は高校時代アメリカ留学をしていましたが、アメリカではそこまでの差は感じません。

……が、私は留学中、アジア人が自分以外に誰ひとりいない地域で暮らしていたので、帰国して周囲を見ると「皆アジア人の顔!」であることを新鮮に感じたり、その頃社宅住まいだった家を、「え!小さい!」と驚いたりしました(日本のマンションの基準で言ったら、そんなに狭い方ではなかったです)。

また、「日本のお母さんって、よく働くなぁー!」とも感じました。

私の留学先のホスト・マザーは、仕事をしながらもお料理を日常的にする人で、アメリカ人の家庭の中では、かなり家事もする方だったと思うのです。
お料理好きで、料理学校に通っていたこともあると言い、よくおいしい南部料理を作ってくれました。

それでも、私のいたアメリカの家庭(田舎ではあるが、少し裕福な中流家庭)では、食器洗いは紙皿だから不要か食洗機使用だし、食事は簡単に済ませる日も多く、そういうときはテイクアウトか外食、もしくはハンバーガー用のバンズと具を並べて、肉を焼くのは庭でお父さんの役割だし、洗濯物は干す手間がなく乾燥機使用だしで、お母さんは皆と一緒に団らんしているのが日常でした。
機械を使うだけでも手間は軽減されますが、それを私たち子どもが分担したりもします。

1年間それが日常で、帰国して母を見てみると……
外で働いてもいるのに、家でもちょこまか、ちょこまか、いつも動いている印象!
家族みんなと一緒にどっしりとテレビを見ていたりは、していなかったんですね。

「お母さん、もっと休んで!そんなに働かなくていいよ!」と、心底思ったものです。

もちろんこれは各家庭によって違うことでしょうし、うちも今では父と母の暮らしが変わり、役割分担もだいぶ変わっていますが、その当時の感想です。

話を戻すと、この度もふとした流れで、
日本にいながら、異文化の視点を持ってみる
シフトが起こり、これまでの感じ方がすっかり変化して、新たな光のもとで見るようになったということです。

空間の理想も、変わる

そして、今回は空が見えづらい環境にいたことや、暮らしの空間について考え直したことなども手伝って、私は一戸建ての魅力に気づいてしまいました。

庭があって土があることも、今ではプラスの要素と感じるようになりました。
元々、高層マンションなどには惹かれないタイプではあったんですけどね(地面があまりにも遠すぎるといやだという感覚)。
でも、うちの家族の場合、庭を特に望んでいたのは父のみだったのです。
それが私も、今ではそのありがたさが身に沁み入るとは。

リンクを張った過去記事を読んでくださった方、これって笑えませんか!?
こうも変化するものなんですね、人間って。

しかも昔以上に一層「自然界を感じることに対する欲求」が強まっていることを実感します。
動物も、散歩している犬など見ると「かわいいかわいいかわいいかわいい……」と大変な愛しさを内心かみしめ、持てあまし気味です。

そんな私には、庭木に鳥のエサ台を設けている父を見るのは癒しです。
父、ヒヨドリに独占させずに小さな鳥にも食べさせられるよう、ペットボトルを細工してエサ入れを工夫してることもありました。そういうことを黙々と行っているんですよね。

また、母の生活を見るのも楽しいです。

昔は、両親の価値観の、自分とは違う部分が苦しみになったりもしていたのですが、今では「癒し」なんですね。
自分だけの世界にいると自己完結していて楽ですが、違う価値観の人たちを見ることは面白いし、刺激になります。

別な言い方をすれば、私は私として、自分の芯にあるものは変える必要を全く感じなくなったからこそ、そんな風に楽しめるということです。

人と関わるのは変わらず好きな方な上に、家族のことも結局は好きでしたから、それを再認識しただけとも言えますね。

さぁ、今後の私はどんな生活を構築していくのでしょうか。

この内容の続きとなる記事はこちらです。
「あなたと共鳴し合うエネルギー・何を信頼するかの選択」

beats-and-love.hatenablog.com

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