BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

エゴは長い長い暇つぶしをする「自分を生きないということ」(+オンライン講座予告)

5月18日から、単発でご受講いただけるオンライン講座がスタートしました。
終了後、第2回目のテーマを吟味していたのですが、
「人生をエゴで台無しにしないために~エゴの声から離れ、あなたを生きる方法~」
という内容に決定しました。
タイトルは仮ですが、個人セッション講座でお話しした方々の、不明に思っている点や難しく感じている点を見ていると、これが思い浮かんだのです。
この講座では即、実践していただけるよう、ベースの理解を促すとともに具体的にどうするかを強化して説明します。

日程は、6月の最終日、6月30日(日)13時~15時です。
まもなくご案内の記事を公開しますので、そのときお申込み受付をスタートします。
ご受講に興味がある方は、スカイプの音声通話の環境を整えてお待ちくださいませ。
スカイプのダウンロードページはこちら
Skype をダウンロード | 無料通話

公開したご案内記事はこちら
「6月30日(日)オンライン講座『エゴの声から離れ、あなたを生きる方法』ご案内」

beats-and-love.hatenablog.com

☆前回のオンライン講座レポートはこちら
「【レポート】オンライン講座『目覚めとは』、ありがとうございました!」

beats-and-love.hatenablog.com

この記事では、6月30日のオンライン講座テーマと関連する、こんなお話です。
「エゴは長い長い暇つぶしをする『自分を生きないということ』」 。

エゴにとっては退屈な長い人生

私が用いているエゴという語は、「分離を信じている自我」を指します。
個としての自己認識そのものをエゴと呼んでいるわけではありませんので、その区別に注意してください。
また、常にエゴ100%で生きている人間というのもいませんが、あまりにこの世界の観念の中で眠り込んだ状態にある(自覚度が下がっている)とき、これからお話しするようなことが起きていないかチェックしてください。

さて、
エゴにとって、人生というのは何のためにあるか、本当のところ不明なものです。

エゴ目線の人生の目的

肉体と自己を同一視している間のエゴは、自分の存続のために、肉体の生存条件を揃えることを真っ先に考えます。
衣食住を確保すること、現代のような経済社会では、その手段としてお金を得ることも「目的」として何よりの優先事項に入れられます。
それから、健康。人によっては自分の思う美しさの実現など外見も。体、体、体……。

そのようにエゴにとっては肉体の存続が重要ですが、
一方で、肉体からの解放を待ち望んでもいます。

自分のやりたくないこと、苦役を強いる肉体を、エゴは憎んでいますが、
同時に、肉体を通して得られる快楽を信じていて、それを求めてもいます。

はい、エゴの世界観の定番の~!「愛憎」
愛と憎しみがセットになっています。

エゴの世界では、一喜一憂、上昇しては下降する、ジェットコースターのようなハラハラ体験が生まれます。
得たら、失う。
好きの裏には、嫌いがある。
ちょっとの間の平和は、たちまち不安定な日常に変わります。

何かに振り回されている「被害者」のように感じているエゴは、この人生が一体何のためにあるのかわかりません。
束の間、これが目的だと思い込むことはできるのですが、それすらもすぐに熱を失って、確信が持てません。

エゴにとっての人生は「苦」です。
でも、苦のヴェールを剥ぐと、「退屈」があります。

何のために生きているのか。
寿命が来るまで、自分はこうして生きていなければならないのか。
(エゴは死を恐れたり、同時に死に期待してみたりします。)

それならば、一喜一憂のジェットコースターに乗っている方がいい。
無限の暗闇のように黒々と口を開けている、 「退屈」を見なくて済むから。
退屈は、自分の存在の無意味性を実感させるので、エゴはそれを避けたいのです。

だから、苦しもう。
苦しんでいる間は、必死でいられる!
不満でいっぱいであれば、常にフルエンジンで「嫌な気分」でいられる。
そして、自分の持っている時間のすべてを費やして、「解決」を探せるじゃないか!

グッド・アイディア!
ちょっとした苛立ちから、深刻で身動きとれなくなるほどの苦しみまで。
エゴは様々な苦しみのシリーズを用意し、それらを握りしめます。
いつも、何かの苦しみが、存在していないと困るからです。

エゴの「命をかけた」暇つぶし

そうしてエゴは、命がけのドラマを作り、暇つぶしをします。
それに一生を費やして、逃げ切れたら、勝ちだ。
何のために生きているかわからない人生を、そんなことをわざわざ考える暇もないほど精一杯、生きよう。

苦しさがあるから、ちょっとのよろこびが大きく感じられるし、
あっという間に手からこぼれ落ちてしまう幸せの「はかなさ」を、楽しめるんだ。
さぁ、苦しもう!苦しみは美しい。
それが人生なのだから。

あなたがもし、エゴの観点を「これが人生」だと信じていると……
亡くなった後にも、これぞ人生、これが地球ゲームなんだという強固な信念を持っていると……
また、同様の観念に基づく地球のゲームをリプレイするでしょう。

なぜなら、あなたの現実は、あなたの選んだ世界だからです。
あなたの意識は、自分が信じることを現実にし続けるからです。

スピリットとしての自己は、あなたが「真の自己」であると気づき、それを生きることを望んでいます。
誰も、あなたに強制しませんが、
地球ゲームに参加したあなたは、ゲームをコンプリート(終了)したいのです。

エゴの思うゲームコンプリートの内容は、完全に逸れています。
ゲーム内で目につく「勝ち取るべき」、「目指すべき」あれこれを想定し、それを獲得することがコンプリートだと思っているのです。

ところが、そうした目標を達成できた場合でも、心底の満足感が生まれず、エゴは次のドラマを求めます。
それは深いところで、あなた自身が「これではない」と知っているからなのですが、エゴに舵を取らせている限り、出口には連れていかないのがエゴの黄金ルールです。

もし「出て」しまったら、何と直面するのでしょうか。
よく考えましょう。

巧みに、自分を生きないということ

エゴは、「自分を生きない」ということを大切にします。

待って!エゴって、自己中心的という意味でしょ!?
と、思った方もいるかもしれません。

エゴは「自分を生きられない(そうしてはいけない)」と信じているから、自己中心的です。
不足の概念、欠乏の気持ち、何かが足りないと思っているから、自己中心的です。

そしてその裏側では、こう考えています。
自分の価値を確立するために、無事に生きるために、愛され受け入れられるために、自分を犠牲にしなければなりません。
人に合わせなければ、と思うことも、人を変えようとすることも、同じ動きの両端です。

エゴは罪悪感でいっぱいです。
しおらしく見えるエゴでも、そこには闘いがあります。
自分を守るための、想定上の他者との闘いです。

そうした考えをそのまま投影し、現実の現象としても「実現する」のがエゴです。

あなたが苦しんでいるとき、どんなに「自分を生きないか」を一生懸命表現しています。
そのようであり続けるために、次々と手段や理由を見つけるのが、エゴの退屈な人生の暇つぶしです。

あなたがスピリットとして「自分を生きる」と、自分のことも他者のことも自由にします。


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