BEATS AND LOVE

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迷いへの愛着がなくなる

またまた春分のあたりからエネルギーが変わったな、と私は感じていますが、いかがお過ごしですか。

最近ますます顕著になってきている変化で、こんな傾向が強くなっているなと思うのが、
「迷いへの愛着がなくなる」ということです。

ああしようか?こうしようか?
でも、こうなったら、ああなったら…どうしよう。

選択に怖れがドッキングして、なかなか決められない。迷う。
…そういったことが、だんだん「できなくなっていく」流れと感じています。


これも以前からお話ししている、それぞれの選択する現実の独立、分岐というか。
曖昧性の排除と言えばいいのか。
「ミックス」だった現実が、「ソロ」になる。
現実を、「他者と共同で創造している」という幻想がチャラになるのです。

あなたの現実を創造できるのは、あなたの意思だけ。
それを私たちは巧みに、別の自分(他者)と影響し合っていると考えて、そのように現実を体験してきました。

これが幻想であると気づくなら、怖れに基づく「迷い」も消えざるを得ないのです。
これについて、もう少し詳しくお話ししましょう。


迷いは、ある種のエンターテインメントです。
自らが、自らの意思に耳を貸さないことで揺らぐ遊びです。

散々迷い、苦しんでいるときにそんなことを言われたら、怒ったり、悲しくなったり、「わかってもらえない!」と絶望から心を閉ざしたくなるかも…わかりませんよね。

それでも大きな「私」、あなた本来の自己という視点から見れば、迷いは「自分が自ら好んでやっていること」であり、そのエンターテインメント性を認めざるをえません。

学習のプロセスとしてそんな風に経験していることもありますが、それすら「強制されているもの」ではなく、あなた次第で止められるのです。
どんな経験も、善し悪しでジャッジする必要はありませんから、どれだけ迷いを経験してもそれはそれでいいのですが、
ただ、「そちらにはもう行かなくていい」とわかっていても、自分を痛めつけるような思考のループの中に、わざわざ自ら入っていくときがありますね。自覚したことはありますか?

そういうときは、迷いに「愛着」があるのです。
迷っている自分を、まるで「慣れ親しんだ友達」のように「これが自分自身である」と思い込み、一体化させて(アイデンティティーにして)しまっているのです。

はっきりした答えを持っているあなたがいます。

「時間」を経験するこの現実の中では、一度にひとつ分の答えしか見えないかもしれません。

だからそこを突いて、「迷いに愛着のある」あなたが出てきて、こう言います。
その先はどうなるの?保証はあるの?証拠を見せて?失敗したら、もしああなったら、こうなったら、どうするの?無理だよ。安全なのはあっちじゃない?怖いじゃない?などなど…

その理屈のゲームに乗りたい間は、「迷い」を味わうことになります。


でも、どんなに「見せかけの迷い」に乗っかろうと、
あなたはズバリそのものの答えを自分なりに持っているのです。

それを認めるのが怖い!
そのまま行動して、悪い結果になるのが怖い。

すっかり自分を信頼できなくなっていると、揺らぎます。


思い出してください。たとえどれだけの間揺らごうと、
「あなたがあなたに一致する」以外に、最終的な答えはないのです。

それは、物理的な「正しい選択」が一種類しかないという意味ではありません。
いかなる「道」もあなたの外側にはないからです。

つまり、あなたが何を選ぼうと、どんな決断をしようと、あなたはその場その場で、やはり「自分と一致する」あり方と向き合うことになる。

ただ、それが簡単になる道もあれば、難しくなる道もある。


自分から大いに逸れてみるという冒険は、もうある程度、この人類の地球ゲームの中ではピークに達したに違いありません。

今は、あなたがあなたとして世界を創造するとき。
純粋にそこに絞られるとき。

迷いへの愛着が、終わるとき。


☆☆☆

次回の講座では、こういった意思決定にフィーチャーしたお話しもしたいと考えています。先月から今月は個人的に、矯正やら何やら…1ヶ月以上先のスケジュールをあらかじめ決められなかったので、講座日程を組むのを控えました。
4月は開催しますので、間もなくブログで日程をお知らせしますね。

ご興味・ご都合の合う方とお会いできるのを楽しみにしています!


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