BEATS AND LOVE

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回顧の街

最初、この記事は他の記事の一部だったのですが、おっそろしく長くなってしまったので、「別テーマ」にできそうなこの部分だけ、独立した記事にしました!

私が実際に体験したことで、「回顧の街」とタイトルをつけます。

☆☆☆

降り立ったその街は、私が以前住んでいた街でした。

もう、そこを去ってから、7年は経っています。
そして引越して以来、ほとんどその街を訪れることがありませんでした。

いくつかの店が新しくなったり、変化があるにはあるのですが、街の持っているエネルギーはそう変わっていなくて、まるでその街に「今の自分」が切り取られて、ぽんと置かれてしまったような感じがしました。

過去の自分と今の自分の視点が交差するというか。
今にも、当時暮らしていた自分が、街の景色の中に見えそうな気がするというか。

遊びに来てくれた妹と、待ち合わせしたあの場所。
そのときの妹の服装や、ベンチに座っていた後ろ姿まで目に浮かぶ。
母がここを訪れたこともあった…あのカフェでは、友達とよく待ち合わせをした…。

「生きた街」のエネルギーが引き金となって、怒涛のように、自分の中から次々と湧いてくる、「そこで暮らしていた私」の世界。

でも、「今の自分」がその人なわけじゃないから、重なる複数の世界を同時に見ているような、不思議な気持ちに圧倒されました。

街も変化しているはずなのに、なぜだか、私だけに時が過ぎて変化したような、時が動いているはずなのに止まっているような感じ。

それだけ、その街で暮らしていたときの自分というエネルギーが濃かったのだと思います。


雰囲気が好きな街ではあったけど、意識的に強く「住もう」と思っていたわけではなく、あるときのひらめきと、巡り合わせで、そこに住むことを決めて、本当に決まって。そして、色んなことを思いながら暮らした場所でした。

今暮らしている街にも、色々な思い出があるにはありますが、あのとき放っていた私の色の濃さのようなものは、今の街には感じない…今の場所の方が、色彩のコントラストが弱いというか、なりゆきで流れ着いたといった感じがあります(笑)

かといって、その街が「特別」だというわけではないんですけどね。
今の場所だって、ここを去って何年か経ってから訪れたら、同じように思うのかもしれないし。去った後も「続いている街」から、「自分だけが切り離されている感覚」。

面白いことに、その街で回顧の体験をしながらも、「今」のその街には興味はないという発見もありました(笑)

これは他の街でもそうなのですが、主に都心や、新しく開発・工夫された商業施設などでよくある傾向で、色々素敵なものがあって、洗練されていたり華やかに見えたりしたとしても、自分の心には全く響かないという体験をすることがあるんですね。
どれも、目を賑やかにするだけで心を素通りしていってしまって、何ひとつ引っかからないんです。

それらを「素敵!」とか「楽しい!」と思えたら幸せかな?とか思いながら、「素敵さを醸し出している」商品や建物を眺めることがあります。自分はそこに「惹かれる」感覚が全く湧かないということが、はっきりしてしまうんですね。

その感覚は、意匠を凝らして創られた空間と対比されて、余計にそらぞらしく際立ちます。
感動は、無理には絞り出せない。
一方で、なにげない「自然の産物」に飽かずに感動してしまうこともあるのだから、感性って面白いですね。


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詳細は以下の記事をどうぞ。

beats-and-love.hatenablog.com

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