分離した状態を信じているエゴの示す「自分」をあなた自身だと思えば思うほど、あなたの視野は狭くなり、苦しくなり、真実は見えません。
たとえば、
あの人と私とは別々の人間
そう見ているから、相手が何を考えているのか推測してみたり、悩んでみたり、
人に期待を持ったり、コントロールしようとしたり、好いたり・嫌ったり……
そんな「見当違い」の動きの中で、真実を見つけられるはずだと錯覚してしまうのです。
今回のお話は、「自分だけの自分という錯覚から抜けること」です。
その人生、誰のもの?
あなたが生きているその人生、誰のもの?
これは、○○△△(あなたの氏名)である私という人間の人生で……
そんな風に答えが浮かんでくるなら、まだ錯覚の中にいます。
これは「人間で、あなただと思っている者」の人生ではありません。
霊であるあなたの人生です。
人間・自分にしがみつくことを、あきらめてください。
遅かれ早かれ、
あなたが学んできた人間についての概念、そしてその概念の下に培ってきた個人としての自己のイメージ、それらが幻想にすぎなかったと気づくときが来ます。
その意味で、人間の観点からの「理想」というのは、筋違いであることがあります。
自分が何であるかを忘れてしまっている者が、自分にとって何が望ましく、何がそうでないかを、果たして識別できるでしょうか?
この世は二次的なもの。本体ではない
説明のために、この世は二次的なもので、本体ではない、という言い方をします。
それはたとえば、作者にとって作品は創作活動の「結果」であるというのと同じことです。
あなたは作中にキャラクターを作り、それを通して霊の自分を表現しました。
自分がキャラクターなのではなく、「作者」であると気づいていれば、混乱は生まれません。
創作活動をしているのは「誰か」、自覚しているからです。
作中のキャラクターがあなたなのだと思い込めば、あなたは自分を見失ったということです。
作品世界に対して「真のリアリティー」がどこにあるかを、忘れたということです。
実在するあなたからすれば、作品の中に「本当の世界」はありません。
作品内のあれこれは、あなたが創作し表現した架空のストーリーです。
あなたが作者であるということは、作品の世界はまるごと、あなたの意識の中にありますよね。
ある作品の作者が、
「このキャラクターは私の創造の管轄下にあるけど、あちらのキャラクターは自分の管轄下にはない。」
と、作品の世界を細かく分けて、部分部分に切り離すことができるでしょうか。
ひとりひとりが、霊媒のように
私たちがまだ、霊の自己との「距離」を信じている間は、
ひとりひとりが「霊媒」のように生きるとよい、と言えるのでしょう。
ただし、これはあなたが「あなたという霊と意思疎通し、媒介する」という意味です。
あなたは、自分というスピリットを表現する霊媒なのです。
本来は、あなたがスピリットですから、媒介するという表現も適しません。
でも、私たちが「そうでない自分」を錯覚の中で作り、それこそを自分であるとリアルに信じている間は、こうした説明も有効です。
「そうでない自分」をいかに間に挟まず、ダイレクトに、あなたがあなたを「通す」ことができるか。
この作品世界に、スピリットそのもののエネルギーを表現できるか。
そこへ注意を向けたとき、あなたの視点は本来の「霊の自己」に接近します。
ヴァーチャルの、これまで現実感を持って信じていた「エゴの私」は薄れていくのです。
なぜなら、あなたの目的は分裂せず、「ひとつ」に戻るからです。
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