BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

ニッチでクローズドな方向に。自分の現実と、あなたの中のキャラクターを認めることなど。

今年最後の講座を終えて、なにげなく過ごしていると、ふと自分自身のことも、それまで進行していたけれど形になっていなかった考えがまとまりを持って浮上したことに気づきました。

それを言葉にしたのが、タイトルの「ニッチでクローズドな方向に」です。

ニッチはともかく、クローズドは誤解を招く表現かもしれませんが、直観で受け取った通りの言葉はこれだったのです。

ニッチの意味がピンとこない方は、こちらの説明に語源と、よく使われている用法との両方が含まれていますので、読むとわかりやすいかもしれないです。↓
ニッチ市場 - Wikipedia

昨年末の講座を終えたとき、「メインストリームから外れる」をキーワードに出していた

ニッチという表現に関連して、「メインストリームではない」ということを思い浮かべると、昨年最後の講座、12月23日の「2016年の最後、愛について語ろう」終了時のレポート記事で、「メインストリームから外れる」をテーマに書いていました。

「メインストリームから外れる」

beats-and-love.hatenablog.com

そうとは忘れていましたが、ちょうど1年前のこの時期のイベントでしたから、今振り返ってみると、ほほ~、昨年からもうその流れは感じていたのか……と興味深かったです。

メインストリームという言葉も、何をもってそう定めるのかなど色々考えさせられる表現ですが、単純に「大勢の人たちが共有している物事」や「世の中の大多数の流れ(主流)」の意味で使うなら、もはやそこに興味が向いたり、同調したりすることがほとんどないなというのが正直な実感です。

以前はそんな自分をまだ焚き付けるように、「ほら!あなたも地球人なんだから、少しはそこに乗りなさいよ」みたいな義務感が自分の中にありました。

内心は共感したり、同調したりしないけど、あんまりそこから離れすぎちゃまずいよね、表面だけでも歩み寄らないとね、みたいな気持ち。

けれども、いよいよそんな義務感もなくなると、自分自身が「ニッチでクローズド」な方向を好んでもいて、それを止める必要はないんだな、と気づきました。

クローズドと言っても、「一見さんお断り」というような、新たに興味を持ったり参加したりしてくださる方を受け付けない姿勢のことではありません。
そうではなく、必ずしも万人に向かって「オープンに、あれこれを発信」する必要を感じず、何事も現場での密度を高めたいということです。
その意味でクローズド。

このことは最近の記事でも、直接的なコミュニケーションに価値を感じているという話などで言及していました。
「人との出会いに心がぽかぽか」

beats-and-love.hatenablog.com

仕事で言えば、効率よく、いっせいに対応を、とはできない、いわば「アナログ」なやり方になりますが、自分は引き続きその方向で行きたいどころか、ますますそれを重視していきたいし、そのためには他の価値観に基づく方法は今後も参考にならず、自分のエネルギーバランスや望みを観察し、それに沿っていくんだなと。

「自分の現実」を認めていくと

ところで以前は、ニッチに結び付く「隙間産業的な」という表現で、こんな記事を書いていたこともありました。↓
「隙間産業的なわれら」

beats-and-love.hatenablog.com

読んでいただくとわかる通り、トピック自体は、今回とは全く別のものでしたが。

確かそんな記事があったなと読み返して、また「ほほ~」と思ったのは、この記事の内容のみならず、その中で「ラムちゃんに言及のある記事」としてリンクした宇宙人関連の過去記事を見たときです。

それを読むと2012年と2013年の記事なので、あまりにも今の自分とは感覚が違うんですね。

さっき書いた「自分を焚き付けて、少しはメインストリームにも歩み寄れるように」する姿勢と同様に、当時はまだ、自分の宇宙人(異星人)についての認識をなるべく自身の「外側」に置くよう気をつけていたのではと思いました。
そうすると、フィクションの、外の存在としてそれを眺めて、惹かれることになります。

今では「自分の現実」にそれを認め、普段のリアリティーの延長上に置いているので、宇宙人の出てくるフィクションなり、そのキャラクターなりに以前ほど惹かれることもないのです。

また、2013年の、
「コスプレ願望でわかるかも!?」

beats-and-love.hatenablog.com

の方の記事では、あえてどんなコスプレをしたいかというテーマを想定することで、読者の方にも、ご自身の意識内に漠然とある「キャラクター(自分像)」を発見してもらう……ということを考えて書いたのですが。※
(※あなたの惹かれるキャラクターは、あなた自身の側面であったり、あなたと繋がっている別の次元の存在と似ていたりということがとてもよくあります。)

私自身に関して言うと、今ではたとえ「お題」であっても、何かのコスプレをするとしたら?と尋ねられたら、悩んでしまいます(笑)

たぶん、それくらい今は色々な要素が自分の「中に」納まってしまっていて、特に他のものになりたいとは思っていないんでしょう。

強いて選ぶなら、映画『ハンガーゲーム』のカットニスの戦闘スーツかな!?

こちらはシリーズ4作目、最終作のDVD。ちょっとデフォルメされてるような……。

この矢を背負っている黒い服ね。↓ 

というのも実は、私と昔から繋がっている別の次元の「存在」に、髪型までよく似ている方がいらっしゃいまして。
私はその存在を、星(せい)さんと呼んでいるんですけど。
彼女は、カットニスよりはもっと年上の印象で、髪の毛の色やスーツの色も違いますが、おおよそこんな感じの服装をして、髪を1本の三つ編みにまとめ、スナイパーみたいな鋭い雰囲気で活動しているときがあるんですよね。

こちらでも紹介しています。「ヘルパー存在紹介(覚書用)」

beats-and-love.hatenablog.com

それを考えるとやっぱり、自分の惹かれるキャラクターは自分自身の「中で」すでに体験しているキャラクターとよく似ていると言えますね。

現在頻繁に使っているキャラのみに限定せず、大きなあなたの中に存在している様々な要素を、この人生で不自然に閉め出したりしないで、包括したままのあなた自身であるためには、「自分の現実」が他者とは違っていても認めることが必須です。

あなたの現実は、あなたならではの配合。あなたならではの音色。
その調和を認識して、歪めないということです。

内から出てくるのは元からの自分自身

私の変化にしても、何かが変わっちゃったというよりは、「以前は抑えていたり、前面に出してはいなかったものが、そのまま出せるようになっただけ」なんですね。

内側にあっても自分の個性としてまだ認められないもの、許可できていない要素は、「外側に投影して」、外側の現実の中での他者や、惹かれる存在や、フィクションとして体験します。

それが今では、「自分のままでよくなった(自分のキャラとして認めた・許可した)」ということなんです。

たとえば先月の講座の後に書いたこの記事や、
「講座レポートと、異次元施設とサモアの夢。」

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音楽についての様々な記事、さらにこちらでタトゥーのことにもふれたように、
「注目しているアーティストBaby Eの紹介とタトゥーの話」

beats-and-love.hatenablog.com

私は昔から自然と惹かれるものがはっきりしていて、その一例がブラックミュージック(特にラップ)、それからある種の民族的な文化にも強く共鳴して癒されていました。
音楽だけでなく関連する色々な要素に、好きなものがあります。

でも、かつては、それを人生に一体どう収めたらいいのか!?
日々の暮らしの中でどのように折り合いをつけたらいいのか!?(笑)
よくわからず試行錯誤していた時期もありました。

その頃も普通に好きなものを楽しんでいたし、情熱を持っていましたが、ただ、今とは心構えというか扱いが、同じ「好き」でも微妙に違っていたんです。
そこに意味を持たせすぎたり、何か現実的な仕事に結び付けて活かそうとしたり。
あたかも自分の中の要素・側面のどれか1つを選んでメインにしなければならないと思い込んでいた感じで、今ほど気持ちよく素の自分に融け込んではいなかったのです。

そして自分自身では取り扱い切れないものを「外側で」体験するように、その時代には現実でちょくちょく、音楽好きな人、アーティスト、タトゥーを入れている人、独自の個性を強烈に表現している人……様々な「私が好きなテイストに近い何か」を体現している人たちが現れて交流していました。

今眺めれば、「外に現れる他者」を通して、自分の中の要素を体験していたんですね。

それぞれ少しずつ自分と重なる要素を体現している人たちを外に見ながら、自分はといえば、オール・オア・ナッシングの思考のように「ある方向へ完全に進むか、さもなければゼロか」と、自分をいずれかの世界に分けて考えようとしていました。
自分の興味や情熱を日常の中で全て融合するのではなく、どれかを分けて特化した「ゴール」を設定する形です。

何か特定の結果を目指しているときは、望ましい状態があっても、「今」そうなってもいいと自分に許可を出せてはいないものです。
独自の道を歩もうとしている者のはずが結局は、周囲の人たちが思い描く「私像」からあまり出過ぎることはなく……私に似合うイメージってこう思われているんでしょ、それじゃあ仕方ないね、ある程度はその範囲内に合わせようか、という不思議な調節が行われていました。
内心物足りなくても、「このくらいまでならOKかな」という程よいキャラクターを守って、無難に、そこからははみ出しすぎないよう気をつけるといったあり方に慣れていたのです。

加えて、生きながら周囲の人々から学び取った「女性だから」という諸々の観念も、けっこう幅をきかせていました。
自分の趣味に沿ってはいなくとも、どことなく捨て切れず、気を遣って取り入れていた美容やファッションの観念は、今思えば相当に煩わしかったですね。
気づいて意識的に多くを「アンインストール」してもなお、本当に心地よいと思うあり方や、自身の美の感性に対して「ノイズ」となっていました。
私自身の思う美と、近しい周囲の人たちの思う美が異なるときは、なおさらでした。

でも、ついにそれも無くなりました。

心向いたライフスタイルを実行したことも、そのブレイクスルーの一助となりました。
目的やきっかけは別のところにあったのですが、観念の残滓を変容させることにまで貢献してくれたとは、思いがけない実りをもたらした形です。
要らない観念がきれいさっぱりなくなり、ほんと、せいせいしました。

ここで大事なのは、周りの人の感性を変えることではなく、自分が自分の感性を認めればいいだけだということです。
人にどのように期待されようと、何を言われようと、結局どうするかは自分自身が決めているのですから。

あなたの人生も、肉体も、あなたの魂の「表現」です。
あなたにとっての最高の表現は、あなたにしか実現できません。
他者の感性は、他者には有効であっても、あなたに当てはまるとは限りませんね。

生きている間の人生という「舞台」は有限で、どんな風に生きようと終わりを迎えます。

「大勢」や「主流」に見える意見に惑わされず、あなたの心に耳を澄ませましょう。
あなたの中の自然なキャラクターを、のびのびと活かしてあげてくださいね。


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