BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

モノと意識、人の心

普段、私たちはどのくらい、「ここ」が意識によって体験された結果のものだと自覚しているだろうか。

あなたが部屋を出る…部屋とあなたを別々のものとして見ている。
あなたはドアを開ける…触れたドアとあなたは別のものであり、あなたはドアではないと感じている。
道を歩く。空を見上げる。地面も、空も、浮かぶ雲も、月や星などの天体も、あなたとは離れて存在しているように思う。

では、自分の「体」のことならば、「自分だ」と感じているだろうか。

あなたが病気になったとき、あなたは「自分の思い通りにならない体」と感じるかもしれない。自分の意志に反して、それは起きていると。

それはまるであなたと別々のもので、あなたは体を「感じる」ことはできるけれども、
調子が悪いとき、外からのウィルスなり、内側の不具合なり、何であれ自分のはかりしれない原因が自分の体を「攻撃した」ように感じるかもしれない。あるいは、まったく「統制が取れない」ように感じるのだ。
最も身近な「他者」のように、不明なシステムのように、体を体験する。

そして自分ではどうにもできないので、薬など、何らかの信頼を置く物質に頼る。自分の体でありながら、まるで物体のように「よその顔」をしている体に、効果のある他の物体が作用して、化学的に対処してくれるというわけだ。

こうなると、あなたの確かな「自分」はどこにいるのだろう?

一体何をしているのだろう?

不思議に思ったことはないだろうか?


「体外離脱」と呼ばれる意識の焦点の移動や、同じく「夢」と呼ばれる焦点の移動を経験しているときでもない限り、私たちはなかなか自分の視点を(そうと気づいたままで)「体の外」に拡大することがない。

では、日常では…しっかりと、「体の中」に自分の意識を置いている…つもりだが、
よく考えると実は、その体の細胞さえ自覚的に「コントロールできている」とは言い難い。

「私は、私の意志でこの腕を動かすことができるので、間違いなくこれは私の腕です」などと言うことはできないのだ。あなたの動かせるところでさえ、何らかの連携がうまくいかなくなれば、自分の意志で動かせなくなることも起こり得る。それをもって自分だという「証明」にすることはできない。

世界も、同じだ。

あなたと世界は、あなたが自覚していない形で連携しているが、あなたはそれを「無意識に」やってのけている。

あなたが自覚している「自分」と関連性がないように感じるので、あなたは「世界は自分の外にあり、自分とは別のものなのだ」と信じている。
意識の置き方によって、見事に忘れる。それが自分の一部であることを。

物体は物体であり、自分の意識で形作られているなどとは思っていない。
「私」がそこまで広がっているとは、考えていない。

月まで行くのには、○○の速度ならどのくらいの時間がかかる?
太陽系全部ならどうだろう?もっと、もっと、その先は?

あなたの外に、外に、「距離」を見る。宇宙はあなたの外側にあるというように。

「それらはヴァーチャルなんだ」
と、わかったように言うことはできても、それをただ3Dゲームの絵柄や背景のように考えているなら、ポイントを外している。

背後には生命が、生きた意識がある。“あなた”と同様に。

「見せかけ」があるということは、見せかけの奥に「実体」があり、
「見せかけ」だからゼロだということではないのだ。

実体を調べているつもりで、「見せかけ」と取り違えていることはよく起こるけれども、
それよりもっとまずいのは…

すべてを理解したふりをして、ひとまとめに簡単な「虚無」に葬り去ること。
まるで、自分の理解の範疇の外にあるものを、ただゴミ箱に放り投げて「片付いた」と満足するようなものだ。


あなたがあなたを生きながら
この体験をしながら
あなたは今もすべてと連携していて
必要なことを学んでいる

結論を出すにはまだ早い

わかったふりをするにはまだ早い

あなたの旅は、続いているのだから。 


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