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原因の探求というラビリンスから抜ける

今回は、「原因の探求というラビリンスから抜ける」というお話です。

いつからか「論理的思考」に信頼を置き、それが大好きになってしまっている私たちにとって、「わかりたい」、「わかっていると思いたい」という欲求は強いものです。

そのときの「わかる」とは、「論理的満足とともに(=自分の学んだ概念で説明できる形で)、自分が把握できていると実感したい!」

このときの自分とは、何を指しているでしょうか。
分離を前提とした自我を自分と思うとき、それが「因」になって、こうした欲求が生まれます。
そして決して、真の因であるその点こそが「解決の要(かなめ)」だとは認めずに、
見かけ上の「原因の探求」というラビリンスに乗り出すことが、自我と同一化した状態における特徴です。 

わかっていないという奥にある、「私」という存在の広大さ

真の因(分離を前提とした自我を自分と思い込むこと)以外にあるかのように見える、諸々の「原因」を、独力で「わかる、解決できる」と思い込まないこと
これを忘れないでください。
ここで用いた「独力で」という語は、自我と同一化した自己の観点のままで、という意味です。
私たちは生きている間に幾度も、大変多くの間、その観点に没入します。

その視点から、五官から、頭脳から、何も「わかっていない」ということを認めること。
身体的「人間」を自分と思い込んでいる間は、そう認めることがくやしかったり、無力のように思えたりして、「自我の力」も捨てたもんじゃないのだと、見せつけたくなるかもしれません。
そこからの「努力」で、能力をまかなおうとするかもしれません。

でも、そのときにあなたが「競っている・対抗している」相手は、真の自己です。
ほかならぬ、あなたの自覚より「広大な」あなた自身です。

自分が自分と争うことで、元来備わっている「すべてである力」を制限している。
このことに本当に気づく必要があります。

「ここから見えるものが、すべてなんだぞ!」
「私は、なんでもわかっているんだ!口を出さないで!」
そんな風に、内から湧いてくる「未知」に見えるあなた自身の叡知を、押し退けるのです。

その一方で、「私のわかる範囲内の形で、祈りや望みに答えてください」
「私の思った通りの範疇で、答えをください」と、心の中で要請していたら。
あなたの要請していることの不自然さに気づかない限り、あなたの経験することは矛盾と混乱という結果になります。

見せかけの原因というラビリンス

ラビリンスとは、迷路や迷宮のこと。

この世界で解決したいことがあるとき、私たちの多くが真っ先に探求するであろう「見せかけの原因」は、私たちを実質、どこへも連れていきません。

どんなに論理的に何かを解明したつもりになっても、そのことは同じです。

物理的世界の中で辿れる原因を辿り続け、その道程で多くを知り、学んだと思い込むことはできます。
でも、この世界に答えがあると信じている間は、どこにも辿り着いていません。

それが「内面の探索」であっても、同様です。

あなたの人生に起きた出来事について、こんな風に分析したことはありませんか。
私の心の中の、これが原因か?
あれが原因か?
これこれこういう理由で、このことが起きたのか?

内に答えがあるということは、そうした詳細に囚われるということとは違います。

自覚や内省そのものは、必要です。
ただし、そのやり方を間違えないことが大切です。
私たちは表層しか見ていない、見えていないということを、本当に理解しているでしょうか。

たとえ話をします。

お金や経済といった概念が全くない存在に、あなたは「ATM」というもの全般について詳しく説明することになりました。
この社会で受け入れられている銀行というものについてや、揚げ句、ATMの利用の際の時間外手数料という意味まで説明しなくてはなりません。

その存在が完全に「腑に落ちる」まで理解を促すためには、付随する色々な概念の説明や、現代社会の人間の精神構造に関する質疑応答が必要になるかもしれません。

この仮のたとえから考えても、あるひとつの物事を理解するのに、多くの背景が繋がってくるということが実感できます。

私たちが今、「わかっている」と思い込んでいる物事の多くは、見えている通りではなく、複雑です。
それらを論理的に理解するための原因探しに何百年を費やしても、真の実りはありません。

あなたが信じる通りに「原因究明の道」を辿ることは可能ですが、それはあなたがつくっている道、これこそが現実であるとして数多くの並行現実の中から「今」選び、信頼を置いた道なのだと認識する必要があります。

広い意識の状態から見ると、原因と結果は同時

私たちが自己を制限しているとき、低い次元に視点を固定していると考えてください。
広い意識状態のときは、もっと高い次元から物事を見ています。

自分に制限を課すことによって、一定の方向に流れる時間の体験ができますが、
より広い意識状態から眺めると、原因と結果は同時にあります。

私たちが体験している時間上で、原因があるから結果があるという前後関係を示唆する考えは、このゲーム内ではそのように見える合意のルールであり、普遍の真実ではありません。

このことに気づくと、物理的現象(見えている外観)に意義を置いた上で、原因を辿る」試みがいかに的外れかわかります。
ただし、あなたの自我の論理的満足を得るためのゲームとしては、最適なのです。

あなたの論理的思考が進みたがっている方向に沿って、ちょうどいい現象やサインや答えが現実に表れ、経験され、「証拠集め」を順調に行ったあなたは、自分であらかじめ定めていた辻褄を認めます。
違う解釈に心を開かない限り、あなたが今まで敷いていた通りの自分の世界の地図から、一歩も出られません。

それは自我と同一化した夢(人生・現実)の中で継続する「ラビリンス」です。

あなたは「今」の地点から、未来だけでなく過去もつくります。
私たちは「今」、過去の歴史も選択しています。

これを理解するには、自己と物質的法則とを同一視するのをやめなければなりません。
物質的世界とは何かを、正しく認識しなければなりません。

あなたがどんな夢を体験し、どのように利用しようと自由ですが、
それが自分を幽閉する夢なのか、解放する夢なのかに対する自覚は絶対に必要です。

そうでなければ、あなたは自分でそうと認識しないまま、迷宮の中でさまよい続けることになるからです。


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