BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

地球に抱かれたい

上弦に向かう三日月がきれいだった今夜。

この記事のタイトルは、「地球に抱かれたい」
近頃の自分の実感を、こんな言葉で表してみました。

今年が明けてから4月までの間は、そのずっと以前から少しずつ感じていたことがようやく「表層に上ってきて自覚できた」時期でした。

……ああ、だから私はこういうことに惹かれていたのか。
日常の中でも、こんな風にライフスタイルが変化していったのか。
人生に、そういう要素を望んでいたのか……。

そういった数々が心の中で結実し、次なる行動へと進むとき。

心の繋がっている物事や、直接体験の価値が増す

ずいぶん前から、「ヴァーチャルに飽きた」というお話を記事でときどき書いていましたが、それは日常の暮らしを眺めても、自分にとっての「実」と「虚」とがはっきりしていて、自分の心が繋がっていない物事の価値がどうにも薄れたということです。

これについてはたびたび言及していて、2016年にはこんな記事を書いていました。
今でも感じていることが要約されています。

「バーチャルに飽きる」

beats-and-love.hatenablog.com

また、私にとっては直接体験の価値が増し、じかの交流の意義は深まっているのでした。

ヴァーチャルのヴァーチャル

霊的な視点から見ると、「存在」というリアルな自己の立場からすれば、地球体験はある意味で仮想現実(ヴァーチャル)です。
経験自体は実在しますが、そこでのキャラクターやストーリーは「自分のすべてではなく」、自分自身が創作し出演もしている、映画などの作品のうちの1つ……のようなものです。 

そんな地球体験の中で、さらなるヴァーチャルの世界、つまり自分が直接体験していない情報や関心の伴わない物事へと心を注ぐことは、私にとって「虚」の体験、実のあるものではないと、その落差が感じられるのでした。

それでは、生きている間に、自分が「実」と思える体験にフォーカスしよう
それをこそ、選択して生きよう。

そう意識することは、人生に充実を感じられるか否かに関わってくることです。

地球生活で求めることは何か

ただし、何を望み、何を充実と感じるかは人それぞれです。

私にとっては、「自分の人生には必要だと思うもの」の中に、

・自然とのつながり。動物が生きていること。

が挙げられるのだと気づきました。

山などの奥地や手つかずの自然の中で暮らしたいと思っているわけではないのですが、現在の暮らしで、周辺の環境を見ていると、
なんで、こんなに人間以外の動物が少ないの?と思ってしまうのです。

野良犬も見かけなくなった今の環境は、私には「何かが欠けている」気がします。
何種類かの鳥、ハトやカラスといった動物は日々目にすることができますが、それでは物足りないのです。

この環境はシンプルに、私には疑問を呈する状況で、その解決策としてコンパニオンアニマル(ペット)と暮らせば?というのはちょっと違います。
必ずしも、自分が動物を飼わなくてもよいから、日常的に動物をもっと目にしたい。
もう少し多様な動物が生息している、そういう環境で生きたい。
これは、私のかなり切実な願いなのではということにやっと気づきました。

植物についても同様です。
街路樹や公園の緑を「自然」と呼べば、「自然、あるじゃん!」とも言えそうですが、それは私には違っていて、もっと野生の生命力のある植物が見かけられる環境にいたいと考えてしまいます。

昔は、この種の湧き上がる思いを、「自然の中で自給自足の暮らしをしている人たちと自分は違うのに(その経験もないくせに・できないくせに)、贅沢な願いだ」という感じで自ら否定していましたが、思いのほか私の人生に大事な要素だと最近認めるようになりました。

それから、もうひとつ……。

自然と関心の向くことが、インターナショナルな要素を持っている

常にそうでなくともかまわないのですが、私にとってはある程度インターナショナルな要素に接する機会を持つ方が、心がいきいきすることがわかりました。

食などの好みもそうですが、生まれながらに興味が向くものの多くが「他国の文化」に属していて(それは育った家族とは全然異なる独自の好みで、環境のせいではありません)、それはどうしようもないものです。

夢に出てくる人たちも幼少期から地球全体津々浦々の人々で(もちろん地球外の人もあり)、色々なところの色々な人たちに何とも言えない親近感をおぼえます。

日本国内でも比較的、海外の人々を日常的に見かける街で暮らしていたときには、その光景に安らぐことに気づいていましたが、今では国内のそうした街で暮らすことに全く興味はありません。
やはり自分の足で、心向く文化の現地を訪れるのがいいだろうと考え始めました。

すると、「関心はあるけど実際に行きたいというほどではない場所」と、「自分自身で経験したいと思っている場所」の違いも浮き彫りになってきます。

私の場合、世界中を旅したいという願望はあまりなく、際立って興味の惹かれる場所や文化ははっきりしています。

そして、一見そこに理由などないように見えていたものが、近年では、「自分の意識内にある概念や世界観と、そこで信じられている概念や伝統に共通点がある」ということもわかってきました。

現地まで行かなくとも、「日本にいて、それを体現する」という生き方が大事なのかな……と最近まで考えていましたが、どうもそれではおさまらない何かがある気がしています。

ひとりひとり異なる、地球での充実感

「この地球で生きる際に、自分が大切にしたいと感じること」は、単なる夢や望みというよりも、「なくてはならないもの」、「それを否定したり遠ざけたりすると、生命力が枯れていくもの」でもあるのです。

先に書いたように、その内容は、ひとりひとり違います。
あなたには、あなたの個性があり、あなたの魂の求めるものがあります。

あなたの見ている世界、あなたと一体である世界

「地球に抱かれる」と表現した感覚にも、共通の型はありません。 
どんなときにあなたは、この地球で生きていることの深い充実、見ている地球という世界との一体感を味わうでしょうか。

確かにそれは、いかなる環境でも感じることが可能なのです。

日常の中で、ちょうど「自分の夢の中であると気づいている明晰夢」のように、前方に見えるビルすらも自分の一部であると、そこには明らかな繋がりがあると、気づいていることも可能でしょう。

でも、どれだけの人がそれを常に意識して、「無目的に」行うことができるのでしょうか。

それよりも、確かで簡単な道が、誰にでも用意されています。
あなたの魂がナビゲートしてくれている方向へ、素直に動くということです。

あなたの中での分離は、外の世界(状況)での分離という形であらわれます。
あなたがあなた自身の魂と一体であるとき、そこに隙間を作らないとき、地球とあなたが一体であることを感じることは容易で、自然なことです。

どんな至福の思いも神秘的な瞬間も、あなたの内から現れてくるものなのです。


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ガイドさんの絵ご紹介~ご依頼者MM様~

ガイドさんの絵のご紹介です。

メニューの説明、お申込みについてはこちら
「ガイドさんの絵とメッセージご案内」

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ガイドさんって?という方は、こちらのカテゴリの過去記事をご参考にどうぞ。
ヘルパー存在・天使

beats-and-love.hatenablog.com

MM様のガイドさんを描きました

ひとりの方にも、多種多様なガイドさんがいらっしゃいます。

ご依頼くださったMM様へ今回現れたガイドさんは、こちらの方でした。

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お送りした情報と、ガイドさんからのメッセージ

私からMM様へお送りした情報とメッセージは、以下の通りです。

「今回描かせていただいたガイドさんは、ミャンマーの僧侶の男性でした。
とても素直で平和なエネルギーを持っていらっしゃる方です。

ガイドさんからMMさんへのメッセージは、『人に頼ること』でした。

これは依存するという意味ではなく、『人との関わりや縁を信頼する』というニュアンスで、
さらに以下のメッセージへと続きました。

『私たちは持ちつ持たれつ、繋がり合って生きています。
あなた自身への信頼が、他者への信頼に広がるとき、新たな道を見出すでしょう。』」

MM様、ガイドさんを描かせていただき、ありがとうございました!

ミャンマーの精霊信仰 

ここからは、「ガイドさんの絵とメッセージ」メニューに携わりながら、私が関心を引かれたことなど記事として書くコーナーです。

今回描かせていただいたMM様のガイドさんのおかげで、私もミャンマーについて興味を持ち、関連した情報をなにげなく見ていたところ……

個人的に、面白い!と注目した情報がこちらです。

ミャンマーには大元はアニミズム的だった精霊信仰の、「ナッ信仰」というのがあるのを知りました。

● ナッ信仰 - Wikipedia

詳しくはリンク先の説明に目を通していただきたいのですが。
他のサイトも参考に見てみたところ、ナッとは、目に見えない存在全般を指しているようで、人間の姿をしている存在もいれば(中には人間からナッになった者もいる)、そうでない存在もいるようです。

仏教がもたらされて以来、ナッ信仰は仏教より下と位置づけられ、批判の対象となることすらありながらも、こうして残っている信仰なんですね。

元々あった信仰を、後にある宗教に統一しようと試みたり、(為政者に都合よく)その宗教の配下へとそれまでの信仰を融合したりすることが歴史上のあちこちで繰り返されていますが、それでもなお、語り継がれ、その存在を愛されているものたちがいるんですよね。

関連する過去記事「ルシファーとキリスト、歴史の中の歪曲」

beats-and-love.hatenablog.com

私は各地域、各文化の土着の伝承や、そこに登場する精霊や神々が人々に何らかの形で覚えられていること、痕跡が残っていること、形を変えても存続していることに意義を見出します。

もちろんそこには人間の視点からの歪みや、思い込みも投影されているものですが、物理的な世界のみならず共存している世界があること、それを受け入れて暮らすあり方もあることを、近代オーソドックスとされている教義の枠にはまらず、折にふれ思い出すことは大切だと思うのです。

これまでのガイドさんご紹介記事は、以下のカテゴリからご覧いただけます。
漫画、イラスト、ガイドさんの絵

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夢という多次元の自己体験と、精霊さんの世界へご案内~!

4月22日(日)から3週にわたって開催のオンライン講座、「明晰夢基礎~明晰夢に親しもう」を控えておりますので、今回は少し久しぶりに夢のお話!

講座はまだお申込みを受付しています。
簡単なものですが事前に行っていただく課題もありますので、お早目にどうぞ。
日曜のお昼までの2時間を、あなたの明晰夢のためにフォーカスする時間にしませんか?
※受付終了しました。

「オンライン講座についてと『明晰夢基礎~明晰夢に親しもう』ご案内」

beats-and-love.hatenablog.com

この記事では、「夢という多次元の自己体験」と、2ヶ月以上前に私が見た夢の中で行われていた、「精霊大集合パーティー」と呼びたくなる出来事をお話しします。

夢の中で体験する多次元的な自己の性質

まず、私がつい最近体験した、とある夢の中でのワンシーンから。

(ここから、夢の内容)

私は、起きている間の現実では知り合ったことのない、とある女性といました。
その人のしているお仕事について、私はどんなところに気づいたかを話し、褒め言葉を述べ、心から励ましていました。
女性は、自分だけにしかわからないと思っていた細かいところ、自身の持つ性質について理解されていたことを、喜んでいました。

その女性は少し気が散りやすく、独特の際立った個性のある人でしたが、私たちは一緒に長年の友達のように、彼女の家のおこたに入ってくつろいでいました。

女性の見ているテレビの音を聞くともなく聞きながら、こたつのあたたかさが心地よくて、私は抗えない眠気にうとうとし始めました。

女性が、「ここで寝ちゃって大丈夫?」というようなことを言っている声が聞こえます。

私はうっすら目を開けて、なんとか目を覚まそうと試みました。
視界に入る天井を見て、「ここはどこだ?」と考えます。

このとき、私は「セミ明晰夢とでも呼びたい状態で、起きている間の自分と同じアイデンティティーや自覚を持っていました。ただし、「これは夢なんだ!」と意識しながら自由に動き回るほどの明晰さはありませんでした。

そんな状態でしたので、自分が本当には、ここがどこであるかもわかっていないという事実についてははっきり気づき、混乱しました。

天井を見ながら、私は考えました。

すると、私は自分の家で眠っているのか?
そんなはずはない、私の家の部屋の天井はこんな形ではない。
私は確かにこたつで眠ってしまっていて……ということは、せめて実家なのだろうか?
さっきまで一緒にいた彼女の家というのは、夢なのか?

よくわからなくてぐるぐるします。

(夢の内容、ここまで)

そうするうちにやがて、ようやく(肉体的にも)目を覚ました私は、普段通りのベッドの中にいることに気がついて、はっ!としました。

あまりにも、あまりにも、その状況は「ただの夢から目が覚めた」という感触以上で、不自然でした。さっきまでいた、あの空間に、あの会話、あそこでの世界。

そのとき電光石火のごとくひらめき、納得したのは、
あっちの自分もこっちの自分も存在していて、意識が切り替わっただけ
という認識です。

どちらかが「本物」でどちらかが「まぼろし」なのではなく、あの世界にいる自分も、今夢から目が覚めたと思っているこちらの自分も、「私」という自己がどこに意識をフォーカスするかによって、チャンネルを切り替えるように体験ができるだけ。
双方とも等しく存在しているのです。

もちろん以前からそう思って生きている私でしたが、こうした出来事の直後にその認識が舞い降りると、
「やはりそうなのだ」
という腑に落ちる感覚が実体験としてとても深いものなのです。

あなたは多次元に存在しており、どのあなたを「私」と思っているかは、自己のフォーカスをどこに置いているかの違いにすぎません。

1年前も参加していたらしい?精霊パーティー 

そしてこちらは、2ヶ月以上前に見て印象に残っていた夢の体験です。

その頃、私は「ガイドさんの絵とメッセージ」のメニュー(モニター価格での受付)を始めて間もない頃でした。

「ガイドさんの絵とメッセージご案内」

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これから書く夢を最後に、夢の中でも絵を描いているような日々が続くのですが……
もしかするとこの「精霊パーティー」は、ガイドさんとさらに交流し始める準備段階の意味もあったのかもしれないと、後に思いました。

(ここから、夢の内容)

当然のように出席することになっていた精霊大集合パーティー

私は、畳の部屋にいて、襖一枚を隔ててお隣さんが住んでいます。
隣からは、何やら、親戚一同でも集まっているかのようなにぎやかな気配がしています。

何の集まりだろうと思っていると、襖が開いて、お隣さんに招かれました。
お隣さんは年配の女性で、その親類の女の子たちも一緒にいます。

言葉を交わす大人たちや、はしゃぎ駆け回る子どもたち。
私がその様子を眺めていると、お隣さんから当然のように、「あなたも、今年も参加するでしょ?待ってたのよ。」とほほえんで言われました。

そう言われると、なんだかなじみのある光景です。
いつの間にやら会場は、より広いものになっていて、沢山いる人々は皆、精霊たちであることがわかりました。

色々な外見の方々

中には人間風の姿の者もいますが、明らかに人間でない姿の者もいます。

私は、緑色の髪の種族に目を奪われました。すごくきれいな黄緑や緑色の髪。
皆男性で、西洋の(白人の)妖怪風の外見でしたが、同じ種でも人によって髪の毛の緑色の色みが違うのです。

精霊に関する夢はこれまでも見てきましたが、ここまで見渡す限り、いる者いる者全員が精霊で、大集合しているという夢は珍しいです。

話しかけてきたラテン系外見の男性

一見、人間の姿と差異のない男性の精霊が、私を見つけて話しかけてきました。
眉毛が印象的な、ラテン系の(私にはスペイン人男性のように見えた)若者の姿の存在です。

相手を見た途端に、私ははっきりと、「あっ、1年前に会っている」と気づきました。
どこで、どのように……とは思い出せないのですが、確かに会った記憶があるのです。
自分がそのことを「たった今まで忘れていた」ということが何とも奇妙で衝撃でした!

その男性は、明るい陽気なエネルギーなのですが、私にこう言いました。 

「お前、俺の言うこと全然きいてないだろ」
「うん。全然覚えてない」

なんと私は、そんな返事をしていました。
この男性の存在を今まで忘れていたし、彼が私に何と言っていたのかも覚えていない。

ここでの「言うことをきく」というのは、言いなりになるという意味ではなく、男性がガイドのように私に何か話しかけることがあるようなのですが、私がそれを全然聞いていないということでした(笑)

<その精霊さんの姿を絵に描きました>

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耳たぶの拡張した大きいホールにボディピアス、腕にはトライバルタトゥーと、これまで私の夢に登場しそうで登場したことのなかったいでたちでした。
民族の伝統的なタトゥーを入れた姿の方々はときどき登場しますが……。

一例「講座レポートと、異次元施設とサモアの夢。『宇宙文明との繋がり~公式コンタクトに向けて1』」

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まだ子どもの、男の子の精霊をガイドする

その後の展開では、私が付きっきりで、ある精霊の男の子に色々と教えていました。見かけは小学生くらいの男の子です。

たとえば、外に出て、タヌキの精霊について、じっと物陰にひそんで彼らを観察しながら教えていました。

タヌキの精霊さんは人間の幼い女の子の姿に化けていたのですが、皆同じ女の子の姿になってしまっているのです(笑)
そのタヌキの精霊たちはまだ子どものきょうだいで、その姿にしか化けられなかった様子。
彼らには、同じタヌキの精霊の中の、教育係の女性がついていました。
(※タヌキの精霊は、動物のタヌキそのものとは違います。)

また、私が、精霊たちに人間の映画を説明するシーンもありました。
そのとき教えていた資料が「ハリー・ポッター」!(笑)

私はハリー・ポッターシリーズのファンではないのですが、かつてご近所同士でちょくちょく遊びに行っていた友達がハリー・ポッターを好きで、最終話までDVDを貸してくれたり、一緒に鑑賞したりしたことがあるのです。

精霊たちは感心して、時折質問を挟みながら、ハリー・ポッターシリーズについて学んでいました。

後で思うに、精霊の側からすれば、人間たちがどの程度、異次元や異界について意識を向けているかの感覚をつかむのに(また、どんなイメージや固定観念を持っているかを知るのに)、そうした創作の内容が参考になるのではないでしょうか。

(夢の内容、ここまで) 

必ずしも人間の描くファンタジーや伝承の通りではないけれど存在している、精霊たちの世界に思いを馳せていただければ幸いです。


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