BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

究極的には「自分のため」しか存在しない~大義名分にさようなら~

何かをするとき、あるいは選択するとき、「~のために」という動機を考えていることがあるかもしれません。

それは誰か「人」かもしれないし、「家」とか「社会」とか「国」とか「地球」かもしれないし、「霊性」とか「進化」とか「未来」とかの様々な語が入るかもしれません。

しかしそれらは幻想で、すべてはただ「自分のため」なのであるということをお話しします。
誰かや何かのため、ではありません。後からわかる結果として、誰かや何かのためになることはあっても、究極的に純粋な動機は「自分のため」しかありません。

創造者目線では「私」の動機しかない

「この世界」目線では、あたかも誰かや何かのために決定すること、行うこと」もあるということが、当たり前のように感じられるでしょう。

でも、魂の目線、「創造者」目線だと、違います。
本来の「私」の意識に戻ると、「私の動機」以外に存在するものはないとわかるのです。

それはつまり、あなたの経験すること、あなたに起こることのすべては、何らかの形で「あなた自身の動機によって」存在するということです。

ただし、このときに、その「解釈」には十分注意してくださいとお伝えします。
以前も記事に書いたように、「あなた自身が、自分を何であると信じているか」が非常に重要だからです。

たとえば、自己への不信や、自分を疑う気持ちの強い人、悪意に満ちた自己像を心のどこかで信じている人は、その観念を改める必要が出てきます。

参考「ポジティブシンキングしなくてもいいけど、主語を私で考えてみよう」

beats-and-love.hatenablog.com

創造者であるあなたの「自身への見方」が外に投影されるということ

あなたの自己像にある、自分への思い……それがネガティブなものであると、現実についてもネガティブに「解釈」し、その思いを他者へと投影し、その上、その内容をまた現実が裏付けする…というように「ループ」にはまってしまいます。

こうして文章で説明していると実感が湧かない方もいるかもしれませんが、
「解釈」といっても、それは各々の「私」にとっての現実になるのだと思い出してください。
私たちはそれぞれ、自分の解釈を現実として経験しているのです。

詳しくはリンク先の記事も参照していただきたいのですが、ここは大切なポイントなので今回も簡単な例を挙げます。

想像してみてください。どこか、職場でも、道でも、よく行く場所でもいいのですが、そこであなたと誰か(Aさんとします)が並んで歩いていると、すれ違いざまにAさん側へ人がぶつかりました。
ぶつかった相手は、そのまま早足で通りすぎてしまいました。
すると、Aさんは怒り(あるいは悲しみ)ながら、あれは自分に対してわざとやっている行為であると言いました。
あなたから見るとそうとも思えなかったので、その旨伝えますが、Aさんは「いや、過去にもこういうことをされたし、こんなこともあった、あんなこともあった」と、その観念に基づく証拠、実際に自分が経験したデータを次々と例として挙げたのです。
そしてAさんは、「自分はいつも、こんな目に遭うのだ」とも話しました。

これは例ですが、そう珍しいケースでもないと思います。
「いつもAさんのような考え方はしていないよ」と思う方でも、他の状況、他の条件の下で、あなたのそのときの「気分次第」では、似たようなネガティブな観念に基づいて物事を捉えたことがあるのではないでしょうか。

この例を、「Aさんは世界をネガティブに捉える癖のある人なのだ」と見る方もいるかもしれませんが、もう一歩進めて気づいてください。
それは「世界をどう見ているか」ではなくて、「自分をどう見ているか」だということに。

世界は、「私」の中にあるからです。

私と世界は分離していない。すべては「私」の中にある。

世界が「鏡」のように自分の心を映し出す、という概念を受け入れている方であっても、その「鏡」があなたと離れて「外側」にあると考えているとしたら、まだ錯覚しています。

すべてはあなたの中にあります。
あなたの外側は存在しません。

それはすなわち、あなたはあなたの肉体という境界を超えていて、あなたの経験している世界全体があなたであるということです。

ええっ?私の今歩いているこの街も?この風景も?人々も?木々も、鳥も、空も……?と、驚く方もいるかもしれませんが、あなたの経験する現実のそれらは、すべてあなたの中にあり、あなたのエネルギーによって構成されています。

これを把握していただくのに最適な例が、いつも私がお伝えしている「夢」の例です。
夢の中では、あなたは色々な場所にいて、あらゆる人々や生物と出会い、様々な経験ができますが、「目が覚めて起きると」、それらはすべて「あなたの意識の中」で起こっていたということが明白に感じられるでしょう。

起きている間の「この現実」も、同様なのです。
夢があなたの意識内で創られているのと同様、あなたは、あなたの経験する世界の「創造者」です。

人のため、○○のため、はダブルクッション

自分の心の中をダイレクトに見る勇気がなかったら……
何らかの理由で、自分の中に「見たくない領域」を作ってしまったら……
あなたは、あなたの心を「外側に見える劇」として上演して、確かめるかもしれませんね。

現実という鏡に映して自分の心に気づく、という時点でワンクッション。
さらにそれを「他者によって・○○によって」という形で上演するなら、ダブルクッション。

誰かのために……○○のために……と考えているとき、そこに隠れている「自分の心」を見てみましょう。
そこには必ず、「あなた自身の動機」があるからです。

誰かのため、○○のため、という形にすることで、直視するのを避けている「あなた自身の思い」を見つめると、あなたは自身の感覚とダイレクトに繋がることができます。

他者のため、○○のため、という理由は幻想です。
どんなにそれらしく見えても、その中には純粋な「あなた自身の動機」があります。

別に、そこ(動機)にもっともらしい理由付けをする必要はないのです。
「ただ私がそうしたかったから」でもOKです。

でも、主語を「私」ではなく「誰かや何か」にして、それを盾にしてしまうと、自分が見えなくなってしまいます。
そのときあなたが遠ざけているのは「私自身の心」なのです。

大義名分によって自分自身から遠ざかる。自分の感性を失わないこと。

国のため、宗教のため、△△のため……「自分自身の感性」よりも、大義名分を優先すると、おかしなことになります。

自分がついていくと決めた人や、“愛”や、論理や、理想を前に、自分の心は犠牲にしてもかまわない。
そんな風に思っているとき、ストップ!です。

そういったあなたの認める「正義」や「正論」は確かなものに思え、あなたはそれを拠り所とすることで、自分の心の「不安定な軟弱さ」から逃れられるような気がするかもしれません。

自分の心の方が不確かに思えて、怖いからです。
自分自身の本当に思っていること、「ダイレクトに感じたらわかってしまう自分の心の真実」の方が恐ろしいからです。

そのように自分を信じられないとき、拠り所にできないとき、外に信じるものを見つけます。
そして、自分の心の方は見なくて済んだ、と胸をなでおろすのです。

でも、それは仮の「安心」です。あなたの違和感は消えません。
「世界」はあなたの意識によって創られ、あなたの心が投影される鏡なので、あなたはいずれにしても別な形で自分の心を見ることになります。
そこから逃れることはできません。

このことを自覚せずに「外」を見ていると、「外」があなたを脅かしているように見えます。
自分と離れた外側に苦しみが、悪意が、戦いがあるように見えます。

これを解決するにはたったひとつのことをするしかありません。

自分の心を自分が知ること。
それをそのまま受け容れ、それを生きること。

大義名分はいらない。
誰かのため、という言い訳もいらない。

あなたは、あなたのために、あなたの心によって物事を選択します。

いつでもそうです。いつだってそうです。
「誰かや何かのせい」にしているときですら、本当はそうなのです。

「自分を生きる」ということは、
世界の登場人物としての“他者”の存在がある中で、同じく登場人物として存在する“私”を自分と信じている場合の「自己中心的な生き方」とは、全く違います。

すべての生命の源である「私」という一者、「創造者」としての目線にあるときの、自己一致した生き方なのです。


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まだ、間に合うよね。【原子力発電のない未来】

朝、セミの声や鳥の声を聞くと、静かに確かめるような愛しい気持ちになります。
ああ、今日も生物の気配がする地球に住んでいるんだな、と。

それは決して当たり前のことではなく、意識の中には生物の気配がない地球、自然環境の荒廃した後の地球という並行現実もあるからです。
場所は地球に限らずとも、たとえば核で自らの星を滅ぼしてしまった文明の“記憶”を、おぼろげながら持っている方もいるのではないでしょうか。

それを認識しているからといって、特におびえて暮らすということはありませんが、私たちがこの時代に「課題」を共有していることは確かだとわかります。

そのうちのひとつであり、特に日本が抱えているトピックは、ご存知の通り原子力発電の問題です。 
すでに事故は起こってしまい、その処置は済んでいないというのに、いまだ稼働し続けている原発がたくさんあるという、大いに「未解決」の課題ですね。
実際に事故を経験した後でも、原発のように取り返しのつかないものに対して対策がないまま稼働し続けるというのは「異常事態」です。

私は恐怖をあおろうとしてこの記事を書いているわけではありません。
ただ、「課題が進行中」である以上、私たちには「できることがある」のです。

かつても記事の中で、この話題にふれたことはありました。
うちは福島に親戚もいて、そのことにも言及しましたが、皆元気に暮らしているそうですし、それについての個人的感情からの意見ではありません。
これまでに原発賛成派の人たちの考えを鑑みる機会ももちましたが、私の中で共感できる点はやはりなく、私は原発がなくなる未来を望んでいます。
原子力」そのものが良いとか悪いとかではなく、私たちの扱い方が現状誤っていて、その上「扱い切れていない」からです。

たとえば雇用も、経済も、暮らしの豊かさも、何もかもが「人々の命あっての話」であり、ひいては私たちの生活全体が「自然環境の恩恵あっての話」です。それを抜きにしては語れないのです。原発は、ひとたび事故があればそれを壊してしまうものです。

その根本をあまく見ることはできません。

原子力発電についての話題を今でも一緒に語るのは、小さい子どもがいる友人とだけです。
「このままでいいの?いいわけないよね?」と内心思いながら、ただ風化していくということは避けたいものです。
子どもたちはこれから「今私たちが作っている世界の続き」を生きていくわけですから、そしてまだ、暮らしを自分で選択できる自由がないわけですから、こういった問題をどうするかは大人の責任です。

私は小さな頃からずっと、この世界に自分の痕跡を残したいという思いがなく、自分の物理的な様々な足跡はもちろん、子孫を残すことにも興味がないのですが(とはいえ生きているだけで何かしら痕跡は残るので、意図して特別何かを残したい願望はないという意味で)、そんな一時訪問者的な自覚のあるビジター目線の私ですら、この地球ゲームに参加した以上、共通の課題に合意しているのだということは実感していますし、何よりも、地球が「もったいない」と思います。

この地球を豊かに生かしていくのも、破壊的な方向に追いやるのも、私たち次第で、「まだ、間に合う」のです。

時間軸上の「未来」からも、地球のサポートに来ている存在が色々います。
中には、「破壊後の環境」をすでに経験したことのある(覚えている)魂もたくさんいます。
それらは私たちが共有しているメモリーの中にあるからです。

だからこそ、「そちらの方向に行くのはやめようよ。他にできることがあるよ」と様々な方法で呼びかけているのです。

すべてが一夜にして一変するような大きなことはできなくとも、自分の生活や生き方の中で、望む未来の「現実」に向かうことはできます。

たとえば、昨年から開始された電力自由化
私はちょうど昨年引越しをしたので、そのタイミングで、電力会社をそれまでこの地域に標準だった東京電力から、他の会社へ変更しました。もう1年以上前になります。

手続きもとても簡単で、申し込んだ後に、取り付けられている電力のメーターを「スマートメーター」というものに替える工事がありますが、業者の人が来て手早くやってくれるもので、申込者側には費用も含め何も負担がありません。

電力会社を変更した後は、月々の電気代もかえって安くなりました。
ただ、私はもし電気代が高くなるのだとしても、この機会に変更したと思います。
個人でエネルギー会社が選べるというのは大きな一歩であり、原発は必要ないという意思表示になると思うからです。

賃貸のマンションやアパートでも、各世帯ごとに電力会社を選べます。
もし、興味はあったけど面倒だからとか、詳しく知らないからなどの理由で変更していない方がいたら、検討してみてください。何ひとつ難しいことはありません。
私は、電力会社を変えた後のデメリットは、何もありませんでした。

こちらのサイト様には電力会社選びの様々なQ&Aがあり、参考になるかもしれません。↓

power-hikaku.info

電力会社を変えることは最終解決にはならないまでも、ひとつの経過としては意味があると、私は考えています。

ひとりひとり、できることは違います。
それでも、あなたのできることは必ずあります。

それはあなたにとって自然に、日常の中でできることばかりです。
行動だけでなく、物事の根本である「意識や心のあり方」も該当しますよ。


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いつも「今」しかない

私たちの意識の中には過去も未来もあるけれど、知覚できる「リアル」なときは、今しかありません。
これは、表面的に「今がよければどうでもいい」と考えることの勧めではありません。
そうではなく、唯一私たちにとっての「アクティブ・ポイント」である「今」を最大限に活用するというお話です。……本当はそれしかできないのです。

なぜなら、過去未来も、今というポイントに重なるようにしてあるからです。
正確に言えばそれら(過去や未来)も、唯一存在する“今”の別の角度からの見方です。

あなたが「今」の質を最大限、充実したものにするなら、そのあなたのエネルギーと同調する過去と未来が「今」に含まれることになります。(過去も未来も、たったひとつではなく多数存在し、あなたによって選択されています。)

このとき、「充実」という言葉を、特定の型によって捉えないでください。

たとえば、あなたにとって「充実とは、忙しくしていることだ」という観念があったとしても、物理的に忙しくしているときにあなたの心の中が満たされていなければ、それは充実とは関係がありませんね。

本当は、その瞬間瞬間で、何があなたにとっての「充実感」を生むかは変わるはずです。

あるときは、何もしないことが「充実」かもしれないし、日常の他愛ない作業をすることが「充実」かもしれないし、眠ることが「充実」かもしれません。
あなたが思い描く「充実」の型を外し、常に今感じている「質」の方に注目してください。

そのようにあなたが、あなた自身の充実感を尊重し、選択し続けるなら、あなたは満ちた「今」に、常にフォーカスしていることになります。

今が充実しているということは、過去や未来にわざわざ気を逸らす隙間が生まれません。
すると、逆説的ですが、たとえ「今ここ」のことではなくても、必要な情報はあなたに入ってくるようになります。

あなたは時間という思惟上の幻想から解き放たれ、自身の意識内にあるエネルギー的な情報の海の中から、自分に必要な情報をタイミングよくダウンロードできるようになるのです。


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