BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

日常の中の体外離脱、幽体離脱

前回、明晰夢の内容を書いたばかりですが、続いてまた体外離脱の体験があったので、それも含めて今回は「日常の中の体外離脱、幽体離脱というお話です。

前回「最新の明晰夢と、精霊の文明について」

beats-and-love.hatenablog.com

タイトルに幽体離脱という言葉も入れたのは、いわゆる「エーテル体離脱」と「アストラル体離脱」を分ける意味で、どちらかの語を当てはめることもあるようだからです。
このブログ内では、どちらも含めて「体外離脱」と呼ぶことで統一しています。

「夢、明晰夢、体外離脱」カテゴリ内の記事で両者の違いについてふれたことがありますが、基本的な事柄をここで簡単におさらいしましょう。

カテゴリ★夢、明晰夢、体外離脱★

beats-and-love.hatenablog.com

体外離脱を経験したい方へ。あなたは毎日体外離脱しています!

まず、基礎として理解していただきたいのは、あなたが「眠って、を見ていた」と認識している体験は、言い換えると「体外離脱中に経験したことを、現在の自分が理解できる形へと、日常意識が翻訳したもの」だということです。

夢、明晰夢、体外離脱の違いは、意識の保ち方、「自覚度」の違いであると言えます。

体外離脱は、あなたの意識フォーカスを変える経験のひとつです。
あなたは眠った後、自分の意識フォーカスを、普段焦点を合わせている物質的なレベルから、別のレベルへ移動させています。
そしてその移行を、私たちはあたかも「肉体から霊体が抜ける」というように経験します。

けれども、こう知っておくことは大切です。
「体」はあなたの意識の中にあり、あなたが「体の外」に出たように感じても、それもまた、あなた自身の意識内で経験しているのだと。
つまり、あなたの経験する世界、宇宙、それが何であれ……まるごと全てが、あなたの意識の「中に」あるということです。

「体外離脱」の経験もそうです。あなたの意識の中で起こっています。
自分の意識内で、フォーカスを動かしているのです。
それについては、「死」という移行についても同様です。

夢の内容を「覚えていたり、覚えていなかったり」するように、意識フォーカスを動かすこと自体は誰もが自然と行っているのですが、そのことを自覚しているかどうかは別です。

「体外離脱をしてみたい!」と思う方は、すでに日々それをしているということ、あなたの「体外離脱をする能力」は問題なく(むしろ、ベテランです 笑)、ただ「それを自覚できるかどうか」が違いを生むということを思い出してください。

エーテル体離脱とアストラル体離脱

※以下の説明は、実際には、意識のフォーカスやエネルギーは「グラデーション」であって、完全には分けられないのだということを留意して読んでください。
言葉による定義は便利ですが、本来はカテゴリ分けできるものではなく、混じり合った状態があります。「割合」の違いです。

エーテル体とは、エネルギー体の中で肉体に最も近い層を指してそう呼びます。
エーテル体離脱」と呼ばれるものでは、あなたが普段経験している「物理的な現実」に近い層にフォーカスしています。

つまり、もし、あなたが「この現実」の中での行きたい場所や、何かを見て確認したい事柄があったとすると、この「エーテル体離脱」をする必要があります。

たとえばですが、旅先で、「忘れ物をしたようだ。家にあるかどうか見に行ってみよう」と、自宅を見に行きたい場合、エーテル体離脱をすれば、チェックできるということになります。

一方で、アストラル体離脱では、「時間や空間」の要素も考慮しなければなりません。

この例で、旅先から自宅へ向かっても、もしあなたがアストラル体離脱をしていたら、自宅が見たことのない建物になっていたり、あるはずのないものが部屋にあったりと、「普段と同じ現実」を基盤にして物事を経験することはできなくなるのです。

意識の中の別の層、日常意識よりさらに広い層へフォーカスが移っているからです。
あなたは別の時間や、並行現実、別の次元の「自宅」を経験してしまうかもしれないし、自宅にはどうしても辿り着けないかもしれません!

ですから、あなたが体外離脱をしたことに気づいて、寝る前と同じ部屋の様子を眺め、家族の寝姿や、キッチンに置きっぱなしにしていたコップを見つめた……という場合には、エーテル体離脱と呼べます。

そうではなく、離脱した途端に全く違う風景を眺めていたり、異世界だったり、時空を超えた経験をしたりという場合は、アストラル体離脱と呼べます。

私が近年よく経験している、夢の中で夢ということを自覚し、明晰夢から意識を持って活動をするというケースは、アストラル体離脱の範疇に入ります。

おすすめなのは、明晰夢からの活動

エーテル体離脱も、アストラル体離脱も、目的によってどちらがふさわしいかは変わります。

でも、単に「体外離脱状態を自覚してみたい」ということなら、個人的におすすめできるのは「明晰夢からの活動」です。

私自身、エーテル体離脱もアストラル体離脱も経験したことがありますし、体外離脱に関するメソッドや、一通りの訓練方法も知っていますが……多くの人にとって、「自覚を持ったまま体から抜ける」という点がネックになりやすいことを思うと、
すでに夢の世界に入っている(=フォーカスが変わっていて、体外離脱している状態の)地点から活動できるのは楽なのです。
頑張って体から抜けるぞー!という練習を省くことができるからです。
あなたが眠る度に、それは自然とできているのですから、そのまま活用する道をまずは選んでみてはいかがでしょうか。

私の場合は特に意図したわけではなく、いつの間にか明晰夢から活動するパターンの方が多くなっていたのですが、それまでの体外離脱経験と比較しても、経験の質はクリアーというか、やりやすいという感触があります。

ただし、前述のように、この現実に近いところに焦点を絞ったエーテル体離脱をしたい人には向きません。
この方法は、すでに夢という「広大な領域」に入ってしまっている後から活動するからです。

今回の経験は、体から出るところからスタート。

ところで、私が今回レポートする体外離脱は、体から出るところから久々に経験しました。

それも、体外離脱時うっすらと気づいているときありがちなように、1度のみならず、何度も「体に戻っては、また出て行く」ということをしていた記憶があるんですが……。

そのうちの1回は、昔も記事に書いたことがある「ヘルパー存在に引っ張ってもらって体から抜ける」ということをしていました。

この話題に関連した過去記事1「後になってわかる事、体脱エピソード」

beats-and-love.hatenablog.com

関連した過去記事2「引っ張ってもらう体外離脱」

beats-and-love.hatenablog.com

しかも、今回は2人(2存在?)に引っ張ってもらっていたんですよ。

うまく抜けられないから引っ張ってくれと要請した記憶 

明晰夢から活動を始めるときよりも、そのときの私の意識はぼんやりとしていたんですね、眠かったし。
……眠いんだけど、体が抜けかけているのに気づいてしまっていて、完全には眠っていない。
そんな状態でした。

抜けたかな……と思うと、また体に戻って眠っていたりして、えいやっと離脱してクリアーに活動するということはできていませんでした。

半分眠気に沈みながらもその状態を自覚していた私は、業を煮やしたのか、「うまく抜けられないから引っ張ってくれない?」と、ヘルパーに要請していました。
(なにせ眠かったのでそこに至る思考のプロセスがはっきりしていないのですが、もしや普段から、そうやってよく助けてもらっているんでしょうか……。)

そしてなんと、片手ずつそれぞれ別のヘルパーに引っ張ってもらっていたんです(笑)
両手に花!じゃなくて、両手にヘルパー存在。

前にも書いたことがあるけど、エネルギーの手って、ぺたっとしてるんですよ。
人間の手を握っている感じとは全然違うんです。
温度も、人間の手みたいなぬくもりではありません。ひんやりというほど冷たくはないけれども、独特。もちろん、自分の「エネルギーの手」もそうなはずです。
(こういう雑談に興味ある方はぜひ、9月30日の講座後の懇親会へもお越しください!笑)

そして彼らの「声」も、頭の中に直接響く不思議な聞こえ方をするのです。
その音の質も、いつも、少しくぐもってエコーがかかったような、独特の音です。
(過去記事「後になってわかる事、体脱エピソード」のときも全く同じでした。)

その独特の感触のヘルパー存在の手を握らせてもらいながら、2人のヘルパー存在に引っ張り上げてもらって、私は体を抜けて飛び立ちました。

この頃にはもう、意識ははっきりしていて、
「おお、今回は久々に体を抜けるところからの体外離脱体験だったか!」
なんて思いながら、飛んで周囲を見回していました。

とはいえ、今回も「アストラル体離脱」ではありましたね。
飛んで、家の外に出た……と思ったら、もう全然違う世界の景色でした。

そして、普段の現実と異なる世界なのに、「既視感」がある光景だったのが面白かったです。

私が経験していた風景は、「別の私」になじみのある世界だったようです。
見覚えのある道や家があり、「この私」ではない「私」の知人もいて、生活がありました。
途中からは、意識の自覚性を失ってしまって、通常の「夢」の体験になってしまったんですけどね。

ちなみに、体から出るとき手を貸してくれたヘルパー存在たちは、私が活動を始めた後には、その気配が消えてしまいました。

毎日存在している、身近にある不思議を楽しもう

こういった私のエピソードも、もし、あなた自身の「日常の中の体外離脱」に意識が向いて、よりそれを楽しんでいただく一端となればうれしいです。

ありとあらゆる不思議はあなたの身近にあって、あなたが意識を向けてそうすると決めれば、独自に探求できるからです!


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最新の明晰夢と、精霊の文明について

今回は、「最新の明晰夢と、精霊の文明について」

昨夜、台風が激しかったので、眠りながらもときどき風や雨の音に目を覚ましていました。
それもあって、「眠っているけれども完全には眠っていない状態」になりやすかったせいでしょうか、明晰夢を見たので、その内容を書きます。

またその前には、台風の様子を感じながら、私と繋がっている精霊、風太の様子も見てみました。そこから、地球にあった「精霊の文明」について思いを馳せたので、後半はそれについてもお話しします。

順番としては、精霊について考えていた出来事の方が先だったのですが、まずは明晰夢の内容から記します。

☆☆☆

私は眠りながらも、ときどき台風の様子に目を覚ましていました。
激しい風や雨の音が続いたと思うと、しばらくして静寂がやってきます。
止んだかな……と思うと、また、激しい風と雨の音。そして静寂。その繰り返しでした。

目が覚めた折には、ぼんやりと色々な考えが浮かんできて、やがて、目を閉じていても映像が見えるようになりました。

これは、半覚醒状態(入眠時や、起きがけのとき)によくあることなので、ああ、鮮明に見えるものだなぁ……と思いながら、色々な映像を眺めていたのです。

とりとめもなく浮かぶ映像が一段と鮮やかになり、しばらくして私は、その世界のリアルさにはっとして、「待てよ」と、思いました。

周囲の風景は、この世のものではありませんが、完全に鮮明です。
そしてまた、ただ景色が見えるだけでなく、私がフォーカスを向けたところは、ちょうど望遠レンズで覗いたり拡大をするように、さらにくっきりとピントを合わせて細部まで見ることができるのでした。

この、あまりにも鮮やかである世界を見回して、いつの間にか私自身がその世界の中に入っていることを認識しました。
半分起きて、半分眠っているような状態のまま浮かんでくる映像を眺めているうちに、意識の自覚性を保ちながら夢の世界に入っていたのです。

いつもの明晰夢と同様に、まずは辺りを見回し、現実と違わないどころかそれ以上に緻密な光景に感動しました。

私は海の上を飛んでいました。
ところどころに大きな岩石のある海で、海と言っても地球上の海と少し様子が違います。
また、海の水は、途中から氷にもなっていました。

周囲は明るくて、蛍光色と言ってもいいくらい鮮やかな空のブルーと、海の反射とで、鮮烈な印象を醸し出していました。

私は考えました。
明晰夢の中にいるのだから、私がそう思えば、どこからでも他の場所に移動できるはずだ……。

試しに、この岩石をくぐり抜けて、別の世界に出るということにしてみたらどうだろう。
ドラクエなどのゲームで、あるところから別の場所へワープできるポータルが存在しますが、まさにそれを自分の意識で「創る」感じです。

私は、たくさん浮かんでいる海の岩石のうち、目の前にあるこげ茶色のひとつの岩に突進し、そこをくぐり抜けると別の世界に通じているのだ、と設定しました。

果たして、その岩を突き抜けるとき(体外離脱や明晰夢ではたいてい物体を通り抜けることができます)、まるで次元間を繋ぐ暗いトンネルをくぐるかのような、ワープホールを移動する独特の感覚が起こり……

気づくと、私は、人が住んでいる様子のエリアに出ました。

ここから、さらに言語化の難しい体験が始まります。

私は、街や村に見える場所にいました。
地球上で言うと、ヨーロッパにありそうな風景です。
これは、私が体外離脱や明晰夢の体験で、わりと多く見る景色のパターンではあります。
石畳の道があって、周辺は森に通じていて、寒い地方で、温泉なども湧いている村、といった感じの景色です。

ただ、今回ここで出会った人々は、これまで経験したケースと違っていました。

顔などの詳細をどうしても特定することができないのですが、まず、ある家の「お母さん」の立場の人と会いました。

体型は少し丸い印象で、背は高くありません。
褐色の髪を後ろでお団子に結って、頭巾をかぶっているようなイメージです。
スカート姿で、前掛けをかけているように見えましたが、それは私の「自分なりに印象を変換している」イメージかもしれません。
「この私」が慣れ親しんでいない別の外観の存在を、そういう姿に「イメージ翻訳」しているかもしれないということです。

この家には、男の子がいました。
男の子はお母さんよりさらに背が低く、人間で言うと5、6歳児くらいに見える身長です。
この男の子が、どうやら私に親しみを感じてくれた様子で、私はこの家にやって来たのです。

家の中も昔のヨーロッパの家風で、低い位置にわりと大きな窓がありました。
お母さんは、突然家に来た見知らぬ私を、あきれて眺めている様子でした。

日本語や、地球の言語でコミュニケーションしているわけではないのですが、
「お前は一体、こんな所へ来て、何のつもりなの?」
というようなことを彼女が言っているのがわかりました。
私がよそ者だということがわかっているというか、いるべきところにいないと言っているようでもあったというか……。

「大体、今が昼か夜かもわかっているのかい?」
というようなことを言われ、私は少しうろたえて、

「昼、ですよね?まだこんなに明るいし……」
と言って、さっき述べた窓越しに、外を見ました。

「夜だよ!」
と言われて、えっと思いました。

空の色は薄いブルーで、やや紫色がかっていて、地球で言うなら、少しずつ夕闇に近くなってきたときのような色合いです。ただし、明るさは十分にあるのですが。

「あれは太陽じゃないんですか?」
と言って私が見たまるい天体は、光を放っていて、低い位置にあったのですが、よく見ると、それも輝きながらもやや紫色で、「地球の太陽でも月でもない」ということがわかりました。

ここで、私はうろたえました。
これは、地球の景色ではない!?

お母さんはいよいよあきれて、私は男の子に促されて一緒に外に出ました。 

男の子は私を「学校」のようなところに連れて行こうとしていました。
街にはまだまだ人がいました。男の子と同じ年頃に見える少女たちもいました。
男の子は歩いていて、私はこのときも飛んで移動していたのですが、途中から細かいあられが降ってきて、横向きに吹き付けてくる風と一緒に体に当たって、「寒い!」と思いました。

そして地面に降りて、男の子と一緒に歩くことにしました。
すると、突然私は気づいたのです。
背が小さいから、子どもなのだとばかり思っていたのですが、この人はこれで「大人」だったのです。

この男性の外観も、子どものような身長と体型だったこと(体全体に対して顔の比率が大きい)、髪の毛はあのお母さんと同系列の色で、彼の場合はもっと黄褐色だったこと、それらはイメージとして受け取っていても、目や鼻や口の印象はぼんやりしていてわからないのです。

私は「そうか、彼は大人なんだ」と思って彼と向き合いました。
彼は、私の額の第3の目の位置にふれ、円を描くようになぞりました。

途端に、エネルギーが激流のように流れて、私は思わず目を覚ましました。

(夢の体験、ここまで)

☆☆☆

私が「どこ」に行ってきたのかは全くわからないのですが、今振り返ると、そこで出会った人々はきっと私が知覚したような姿ではなかったのだろう、と思います。

他の風景はくっきりはっきりしていたのに、彼らの姿だけがぼんやりしていたからです。
そして、空や天体の様子が示唆するように、地球ではなかったのでしょう。

これまでの私自身の経験から言って、私たちが体外離脱や明晰夢で他の活動領域を訪れると、そこの住人たちに「部外者」だということはすぐにわかってしまうので、あのお母さんは私が紛れ込んだことをあきれていたのかもしれません。

☆☆☆

冒頭で書いたように、私がこの明晰夢体験に突入するもっと前には、「地球上にあった精霊の文明」について考えていました。

台風の音を聞きながら、まず、私は風の精霊として認識している「風太郎」と呼んでいる存在の様子を見ていたのです。

「ヘルパー存在紹介」(風太郎の説明もあります)

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昔、記事に書いたことがあるように、私は地震のときに「地龍さん」のような存在を知覚することがあります。
彼らは、地脈などのエネルギーを象徴している精霊なのだろう、と思っています。
また、精霊としての龍たちは、宇宙人(異星文明)の中の龍型とされている種とは異なる存在であると、私は区別して解釈しています。

台風のときにはどうだろう、風太郎が活動しているのだろうか?と考え、彼にフォーカスしてみたのです。(これは、体外離脱ではなく視点だけを彼に向けた状態です。)

すると、風太郎は「怒号するように」フル充電された状態で活動していました。
怒っているわけではありません。ただ、彼の状態は、パワーを発揮して拡大した状態だったということです。

その様子は、雰囲気が「風神」の絵などを思わせました。
私は夢の中で風太郎が「麒麟」に似た姿でいるのも見たことがあるので、昔の人が絵に描いた風神や雷神、そして神獣といったものたちは、その通りの姿かどうかはさておき、精霊としては存在するのだろうと、つくづく実感しました。

そして、四大元素と呼ばれる火、水、地、気の精霊たちを含め、精霊たちの文明が地球に築かれていたときのことを思いました。

彼ら精霊は、地球の直接の「子」なのです。
(私たち「人類」は外部からの入植者です。)

地球という存在自身も、「生命」であり、「意識体」です。
天体たちも、それぞれ生きていて意識があります。

その地球の子どものような存在が、精霊たちです。

山も、川も、岩も……生きているんだよということを、太古の人たちの方が現代人よりも理解していたようですよね。日本でも、外国でも。

現代ではそういった見方は「おとぎ話」や「迷信深い人」か何かのように思われてしまいがちですが、彼らの声を聴く気がある人には、きっと今も精霊たちが語りかけてくるでしょう。

ちなみに、自然災害と呼ばれるものは、精霊によって「起こされる」わけではありません。
人間の放つエネルギー、感情などによって起きます。

むしろ、それを「調整してくれている」のが精霊たちなのです。
被害が起きると、私たちは自然を「敵」のように見なしがちですが、そうではありません。

人間の放つエネルギーに対応しながら、精霊たちは自然界のバランスを取ったり、必要な浄化を手伝ったりしてくれているのです。


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物事の繋がりと、現実を遊ばせること

あなたにとって何か大切なことがあるとき。実現させたいことや、望みや、進展させたい事柄があるとき、そこに意識を集中させすぎてしまうことはないでしょうか。

今回は、「物事の繋がりと、現実を遊ばせること」というお話です。 

あなたが表現しているエネルギーは何だろう?

あなたが何かに意識を集中させているとき、自分が表現しているエネルギーの中身(本質)はどんなものか、気をつけてみたことがありますか。

たとえば、あなたにとって重要なことを思案していたとします。
その間、心の中で起こっている考えや感情、現在のあなたが信じていることは何でしょうか。

「こうだろうか、ああだろうか。でも、もし、こうなってしまったらどうしようか」
というように逡巡しているとき、ベースにあるのは不安や恐れのエネルギーだと気づくかもしれません。

その体験はあなたがどんな不安や恐れを持っているかを「知る」ために役立ってくれますが、あなたが「私の現実は私が創っている。選択できる」と本当に理解しているなら、その不安や恐れを認識できた時点で、解決したも同然です。

「私はこのような内容を信じることを、自ら選択していたとわかった。その選択が好きでないならば、今、自分の心に沿う別のものを選択しよう」と、ただ決めることができるからです。

恐れがないならば、過度に意識を集中させる必要もない

そうわかっていると、「一生懸命何かに意識を注ぎ続ける」ということはなくなります。

自分の心に葛藤がないとき、何かを「無理矢理動かそう」という力は働きません。
恐れがなければ、ある物事へ過度に意識を集中させ続ける、執着するということは起きないのです。

私たちの集合的な観念の中には「努力信仰」があったので、多くの人々が心の中で、「努力(苦しい意味での)は報われる」とか、「一生懸命になれば、叶う」とか、「念じれば念じるほど実現する」などを信じてしまいます。
そしてそれが思った通りにならないとき、「自分の何が足りないのだろうか。努力が不足していたのだろうか」と、自分を責めます。

けれども、それは「現実と自分とを、分離した別のものと考えている見方(外にある“対象”に働きかけようとしている)」あるいは、「意識の繋がりを理解していないあり方」と言うことができ、誤った観念に基づいたまま、堂々巡りしてしまうのです。

意識内での物事の繋がりを信頼する

あなたの現実は、あなたの意識の中で起こっていて、物事は全て繋がっています。
そのネットワークから分断しているものは存在しません。

あなたの体験する世界の全てがあなたの中にあり、あなたが自覚していなくとも繋がっているということです。

「あなたが自覚していなくとも」という部分が、ポイントです。
なぜなら、私たちは、自分の理解できている範囲の物事に信頼を置く傾向があるからです。
よく考えれば、本当は自分の知らないこと、わからないこと、説明のできないことばかりだと気づくのですが、それにも関わらず、自分の知っていること、理性の考えることの中で解決しようとするとき、そうさせている「恐れ」があります。

自分の中のより広くを見渡している部分、より物事を知っている部分に、主導権をシフトすることが怖いのです。
それはいずれにしても、あなた自身なのですが。

現実を遊ばせよう

自分の内から湧いてくる流れを信頼するなら、あなたは頭で思い描くシナリオから手を離し、現実を遊ばせることができます。

一見関係のない事柄が、あなたを必要な所へ運んでくれることを知っています。
物事のひとつひとつが、何らかの形で繋がっているということを疑いません。

現実をコントロールするのではなく、現実を遊ばせる余裕を持つということは、言い換えると「自分の心の方に注意を向け、それに従う」ということです。
そのときどきで生まれてくる内側からのささやきに、そのまま素直に応えるということです。たとえ、全体の「関連性」がわからなくても。

そのようなあり方に慣れてくると、「外」に起こることと、「内」から湧くものとは呼応していて、手と手を取り合っているとわかります。ちょうど、全てが参加して奏でているオーケストラのように、あなた自身のひとつの流れであることがわかるのです。

ジグゾーパズルを思い浮かべてください。
ピースの1つ1つにフォーカスした視点から全体の絵を見ることはできないので、絵の全体を眺めている自己は、様々な形であなたを導きます。
先に述べたように、これはどちらもがあなた自身です。自己内の協力です。

あなたが現実に対して「こうなってはいけない!」「絶対にだめだ!」「こっちには行くな!」と強く規制をかけるとき、それはあなた自身の動きを制限するのと一緒です。

現実に対してあれこれと「気負う」とき、鏡に向かって「お前はダメだ、ダメだ、ダメだ……」と文句をつけながら、実は鏡に映している主、自分自身を否定していると気づかないでいるのと同じなのです。

現実を自由に遊ばせてください。そこに意識を集中させる代わりに、あなたは、あなた自身の内から何が湧いてくるかに耳を傾け、それを実行することで、結局は現実をリードすることになるのです。


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