BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

ふんどしレポート2、下着に表れている観念と解放

今回は、「ふんどしレポート2、下着に表れている観念と解放」と題してお届けします。
今月のはじめに、私が継続しているライフスタイルについてや、生活を通して考える心の自由についてなど書きました。

「心の自由と生活。継続しているライフスタイルの近況」

beats-and-love.hatenablog.com

その続きにあたるこちらの記事では、女性用ふんどしについての追加レポートや、下着を通して見つめる「観念(Belief)」と、その解放の話をします。

具体的な事柄は、私が女性ということで女性の観点から書いていますが、精神的には性別に関係なく個人個人それぞれが、ご自身の生活の中にある観念を見つめ、解放していただくきっかけとなるように意図しました。 

ふんどしレポート2

先の記事、「心の自由と生活。継続しているライフスタイルの近況」の中で、冬は防寒が優先になり、活用しなくなっていたふんどしを、暑い季節に向けて買い足したことにふれました。
前回とは違うブランドと、デザインの物を購入すると、新たにわかったこともありましたので、それをレポートします!

※当記事の説明は女性用のふんどしの話で、ルームウェアとしてだけでなく、日常の下着としてお使いになりたい方向けです。

初めてふんどしを買って使用してみたときのレポートはこちらです。ふんどしの種類など。
「真夏のヘナ部活動報告と、ふんどしレポート」

裁断によって異なる、もっこの着用感! 

私が前回「もっこ型」として購入したのは、ガーゼ(コットン100%)素材、腰の部分は紐で、鼠径部を含めゴムは完全に不使用でありながら、裁断はよくある下着のパンツと同じような形の商品でした。
一例です。↓

sharefun.jp

片側で紐を結ぶ、楽な紐パンのようなイメージです。
前回レポートした通り、まるで何もはいていないかのような軽さがあり、着用中の難点があるとすれば、紐の扱いだけでした。(それについては後に補足します。)

そうした「もっこ型」と、オーソドックスな「越中型」と両方体験してみて、日常に身に着けるには、服の下でかさばらないもっこを買い足すのがいいだろうと思いました。

そして、色々使ってみた方が比較できると思い、前回とは違うブランドから選んで購入。
今度のは、いわゆる本当の「もっこふんどし」タイプで、布の裁断もほぼ長方形のままでした。

一例。こちらのサイトの方がお作りになっているような形です。
これが作れたら、お買い物する必要ないですね。裁縫好きな方はご参考に!↓

genki-net.info

着用感については、本当に個人の好みが分かれると思うのですが。
先に購入したもっこ型に慣れていたので、布が長方形に近い形のもっこふんどしを着用してみると違和感があり、「裁断でこんなにはき心地が違うのか!」と、驚いてしまいました。

越中型ほど布面積が多いわけではないし、そんなにもたつくことはないかと思いきや、こちらのタイプのもっこは着用すると布にドレープができてしまうため、違和感があって落ち着かないのです。
普段の下着として使用できるよう、股上が浅めで小型のもの、紐も細くかさばらないデザインを選んだのでしたが……両方比べてしまうと私には、パンツ型の裁断のものがすっきりして負担がなく、非常に優秀に思えました。

それから股上の深さも、個人個人の好みで快適なデザインが変わると思います。

紐は、慣れる 

ところで前回、もっこの評価を下げることになった「紐問題」
これはあっさり、着用しているうちに慣れることがわかりました。
普通の蝶結びにしていますが、問題ありません。

前回書いた、紐を腰の左側で結ぶ仕様か、逆の右側かという点も、自分の希望通り紐が着用時に右側に出るデザインを買って使ってみた結果、その方が好きではあるものの、わりとどちらでも差し支えなかったと思いました。

ただし、幅が少し広めの紐と、細い紐とをそれぞれ経験してみると、私は紐の幅はやや広めの方が、着用感的にも、着脱の際にも、使いやすいと感じました。
太すぎず、細すぎずの紐というか。
これも好みですね。

複数のふんどしを体験して、押さえておきたいと思ったポイント 

現時点で私がわかったことは、室内や睡眠時オンリーのホームウェアとしてではなく、普段使いの下着に用いたいのなら、あなたの好みに合わせて以下のポイントをチェックすると快適ということです。

★裁断の形(もっこなら、パンツ型が一押し。)
★素材(私は綿100%ガーゼしか選んでいない。絹も良いかも。)
★ゴム不使用
★布面積はどのくらいか(あまり大きすぎると服の下でもたつく。越中など。)
★股上の深さ・浅さの好み(越中と違いもっこはほとんど調節できない)
★紐の出る位置と幅(腰のどちら側で結ぶ形かと、紐の太さ・細さの好み)
★色や模様(身に着けるものなので、好きな色や柄の方が楽しくなります。)

少なくとも私には、上記のポイントは大事でした。
実際に身に着けないとわからないことが多いので、ご自身で冒険・発見してみてください。

余談。

ふんどしの快適さはやっぱり、暑い夏が本番!
ふんどしって、夏の季語にしてもよさそう!なんて思っていたら、実際に、夏の季語にあったのですね。

Category:夏の季語 - Wikipedia

日本古来のふんどしをベースに、現代の生活に合わせたいいところ取りのふんどしが多く出回るようになったことは、なかなかナイスな状況ではないでしょうか。

女性の解放~あれもこれも、着用しなくたって、かまわない~

ここからは、「そもそも着用しなくたっていいじゃない」という話。

女性の場合、日頃からおりものなどありますし、実用的に考えて、腰回りに下着を着用しないのは不便です。

一方で、たとえばブラなんかは、色々な観念が入り混じって、「着けなければならない(着用がマナーや美の常識に関わってくる)」かのように思わされているものであります。

とはいえ、文化によってその基準は異なります。
一例として私はアメリカでの生活経験がありますが、あちらでは暑い時期など特に、ノーブラの女性は日本よりずっと多く見かけました。

全体に、女性の肌の露出が日本よりのびのびとしていて、必ずしも性的に捉えられたり、マナー違反とされたりはしていないと言えます(TPO、ケースバイケースですが)。
有名スター達のドレス姿を見ても、その違いを感じることはありませんか。
ですので、そういった文化の感覚を持ち込んで日本に来ると、ズレが生じてしまいます。

ブラ問題と、観念

今まで、おつきあいしたり、一緒に暮らしたりといった気心の知れた関係の男性たちに、実際のところ、外でノーブラ姿の女性が歩いていたらどう思うかを尋ねてみたことがあります。
厚着ではなく、タンクトップ一枚など、それがわかる姿でどう思うかをです。
(ただし、尋ねた人々は全員、日本人。)

すると、まれに違った価値観の男性もいるものの、服の上から乳首が見えたら性的な感じがしてしまうという回答が多くありました。

それを聞くと、
……君らには乳首はないのか。
と、問うてみたい気持ちも湧き上がりますが、「ニプレス(乳首の突起を隠すシール)」などの商品があることを思えば、そういう人はほかにもいるのでしょう。

冷静に考えれば、「乳首ルール」は不思議なものですが、海外ですら、胸元が深く開いたドレスを着る(ブラがつけられない)場合でも、乳首は隠すことが多いですね。

かつての熱帯諸国など、男女ともに上半身裸の生活をする文化もあるわけですから、ものの感じ方というのは持っている観念に沿って形成されるということを忘れてはなりません。

想像してみてください。もし、ある文化で、「ひじとは、性的アピールをする部位であり、普段は隠しておくべきものだ!」という観念が生じ、その文化の人々に共有されたとすると、ひじを隠す生活が常識になるでしょう。
腕を出す暑い季節には、ひじだけ覆い隠せる「ひじパッド」などよく売れるかもしれません。
……冗談のような話ですが、観念ってそういうものです。

ブラの負担について

あまり女性とこういう話をしたことがない男性もいらっしゃるかもしれませんが、ブラというのは決して、着けていて快適なものではありません。
むしろ締め付けられて痛かったり、苦しかったり、圧迫感があったりする場合があります。

もちろん個人差はあるでしょうが、私が話したことのある人の中で、すすんで「常時ブラを着けていたい!」という人はいませんでした。
まれにあるとしても、つけてないと胸の形が崩れるんでしょ?など、怖れの観念をインストールした上での考えだったりします。

昨年9月に行った「自分らしいライフスタイル」お話し会でも、ブラの負担については話題に出て、盛り上がりました。

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女性が仲良しの友達の家にお泊まりに行って、「部屋着に着替えたら?」とすすめられたら、
「ありがとう!ブラも外しちゃっていい?」
「どうぞ、そうして!くつろいで!」
なんてやりとりはよくあります。
リラックスするなら、外したいんです。

私は自営業になってからは、昔会社勤めをしていた頃のほぼ一日中という連続着用に比べると、ブラの着用時間がぐっと減り、たいして悩んではいません。
仕事のオン・オフと同様に、TPOに合わせた着用ラインを自分自身で設けています。

その結果、あるとき外出先で、
「あっ!今日、ブラしてくるの忘れた!」
と、1日の用事が間もなく終わろうとしている頃に気がついたことがありました。
なんだか楽だと思ったら!と。

長年、ブラ着用ルールの存在感は自分にとって薄れていって、そのとき完全に心から消えていたとわかって、自分で驚きました。
「完全に忘れていた」というのが驚きのミソだったんです。
それは遊びの外出で、同行者は母、冬でセーターなどの厚着姿、というゆるいシチュエーションでしたが、近隣でなく電車で30分ほどの街へ出てはいたことを思うと、昔の自分ならこんなにフリーダムではなかったなと、笑いながら変化を実感しました。

ファッション的に、ブラは自ら着けていたいという女性もいると思います。
また、体に負担のないブラを考案しているメーカーも増えてきています。

100%「自由な自分の好みとして」、選んでいるのなら何だって問題ないのです。

でも、もし、義務や怖れに縛られての「やむをえない選択」だったら。
それを常態にしていると、一体、何が自分の本当の希望か、快適さなのかも、わからなくなってしまう。
まずは、自分の観念をアンインストールしよう!
そしてあなたが完全に自由なとき、何を心地良いと感じるか、見極めましょう!

脱げば脱ぐほど自由になったと語る、リアーナ

ここで、過去記事でも何度かふれているRihanna(リアーナ)の話題を出します。

リアーナは私にとって、あるときふと気づくと、デビュー当時からずっと好感を持ち続けているアーティストでした。
コンスタントに曲も買っています。

私は音楽をよく聴いているだけで、こまめに動向をチェックするということはしないのですが、彼女の存在があることで、何となく心が明るくなるような独特の感じがありました。

他の女性のR&Bアーティストに対しては、
ある時期の作品は好きだが、その後はテイストが違ってしまい、興味がなくなる
ということがよくありました。
特定のアルバム、特定の曲だけを好きになって終わるパターンが多かったのです。

ところがリアーナの場合、音楽のみならず私は本人のことが好きなようで、音楽性や売り出し方が変化しても、同じように一定の好感を持ち続けているのです。
リアーナは、リアーナである、みたいな持ち味があります。

そんなリアーナは、ファッションセンスが注目されるほか、「脱ぐ」アーティストとしても有名です。
彼女の、露出の多い服装を見たことがある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。
それ、ほとんど裸じゃない?
という格好をすることもあります。

でも、リアーナの場合はそれが、過剰にセクシャルにアピールしようとしている姿勢なわけではないんです。
まだ十代の頃にアメリカに渡ってスターになった彼女が、途中、悩む時期がありながらも、故郷のバルバドス(カリブ海上の島にある国)で培った「自分らしさ」を出すようにした結果、自然とそのような肌を出す格好が多くなっていった。
そして脱げば脱ぐほど、自由になっていったということを、あるトークショーで本人が話していました。
(デビュー当時は契約で、口紅はピンクで、こういう衣装にこういう髪型で……と、自分の意思と関係なくお人形のように、かわいらしい感じのファッションに決められていたそうです。)

私はリアーナの語っているその感覚が、とてもよくわかる気がしました。

バルバドスのカーニバル(クロップオーバーフェスティバル)では、人々がビキニ程度の面積の衣装を着て、きらびやかに体を飾り付けたパレードがあるのですが、その感性が表現されているんだなぁと納得してしまうのです。暑い国ですしね。

私は先の記事「心の自由と生活。継続しているライフスタイルの近況」でも、赤道に近い場所では、特有の色彩の鮮やかさや生命力を感じると書いたのですが、リアーナがそうした国で育ったことを考えると、日本文化からすればまた違った十分な「濃さ」を持っているアメリカという地であっても、彼女には何かが薄味に感じられたのではないかな!と思うのです。

それは自然の一部として人間がいるのだ、ということへの実感の薄さ、かもしれません。
文明が進化していっても、自然界の一員であることを感じ続ける生活と、自然界と切り離され、自然を征服しているかのように錯覚を強めていく生活と、二通りあると思います。

結局、「体」というのは、地球に属しています。
地球の素材でできているのが体です。
体と自然とを分離させる方向のスタイルと、調和させる方向のスタイルとがあるのは間違いありません。

リアーナは、女性としてはもちろん、人間として何か「解放」する姿勢を持っている人だなぁと感じるのです。

最近知ったのですが、そのリアーナが立ち上げたファッションブランドFENTYの中で、彼女が行っていることが、また私には共感できるのです。

男性用・女性用と分けないファッション、
多様な人種の肌に合う40種類のカラー展開のファンデーション、
あらゆる体型の人に似合う下着、豊富なデザインとサイズの「SAVAGE X FENTY」、
など。

日本でも購入はできるのですが、私自身が試したとか、おすすめだというわけではありません。
あくまで、コンセプトに共感できるという意味です。

SAVAGE X FENTY(下着)では、ショーにも多様な体型のモデルさんを起用したりと、女性のあらゆる姿を美しいと讃える意図があったそうです。

女性が一定の理想の型だけに押し込められず、解放されていくことは、「人間のあらゆる姿を、生物のあらゆる姿を」美しいと讃えることに繋がっていきますね。

日常の様々なシーンに、様々な観念を発見できます。
気づく度に、解放していった結果、純粋なよろこびとして何を選択するか。
何に心地良さを見出すか。

あなたが、自分のそれを生きることができますように!


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創造は軽いタッチで。地の平和にチャンネルを合わせよう

今回は、「創造は軽いタッチで。地の平和にチャンネルを合わせよう」です。

前回の記事を書いた後に、思いがけないシンクロ(synchronicity)があって、現実を
「まるで明晰夢だなぁ!」
と改めて感じました。

前回の記事はこちら
「エネルギー量の割り振りと関心、情報選択の話。生物たちと私のユートピア

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記事内で、テレビや新聞は私にとって不要である、という話をしました。
自分の自然なものの見方と一致する内容はほとんど見つからず、それらを日々あえて取り入れることは余計であるとも。

そして、「あなたの」世界の材料、証拠として、何を選びたいですか
と呼びかけました。

その翌日に経験したシンクロです。

「意識の中にある現実」を実感

私はその日、長時間電車に乗って移動していました。
帰りの電車に乗ったとき、車両内で目立つ動きをしている男性がいました。

まだ空席がけっこうあり、あえてその人の席の隣に座る必要はなかったのに、どういうわけか私はすとん、とそこに座ってしまいました。

こういうときの行動とは考えを挟む間もなく、「なぜかそうしてしまった」と感じる、不思議なものです。

発車後も、隣のその人が荷物で席取りをしたまま度々扉付近へ移動し、忙しそうに電話している様子を見て、だんだん混んできた車内を眺めつつ、私はその位置に座ったことをちょっと後悔しました。

というのも、途中駅で乗ってくる人が空席を探しながら、スペースが空いているのにひとつだけ荷物を置いてある私の横を見ては、
「あなたの荷物か?(どけてくれない?)」
と、目で問うてくるからです。

いや、違うんだ……と思っているうち、その男性は今度はしっかり席に落ち着くと、PCを取り出して仕事を始めました。

近年は電車内でも、膝の上でPCを広げ、仕事をしている人をけっこう見かけますね。
向かい合って座るボックス席とは違って、横一列に長い席だと、広げたPC画面は両隣の視界に入ってしまいます。言い換えると、丸見えです。

そんなシチュエーションで私には作業内容がよく見えてしまっていたのですが、そのとき、驚きました。

私が前日、記事を書きながら、ふと頭に浮かんでいた、ある社。
その社の人だとわかったからです。

前日に思い浮かべた内容

これを説明するには、さかのぼった別の経緯にもふれる必要があります。

テレビ・報道関係の仕事を長年勤め上げたある方が、
「日本のニュースの元は皆同じで、○○と、△△と、K社の配信したものを、各局や新聞が報道している。それをただ鵜呑みにしていてはいけない。」
と話すのを、今年に入ってから、私は直接聞く機会があったのでした。

そのことは、私もシステムとしては知っていたものの、現場にいた人の発言として聞くと実感は深まりました。
(伏せ字やイニシャルで説明していますが、これらの社名は秘密でも何でもないので、ご存知の方は多くいらっしゃるでしょうし、調べれば簡単にわかります!)

前回の記事を書いているとき、ふと、そのことが心に浮かび、
そういえば、日本のニュースだと大体K社(最大手)が提供してるんだよな……
と何気なく考えながら文章を打っていた瞬間がありました。

テレビで朝昼晩、各局が、そして各新聞でも、同じニュースを一斉に繰り返すのはなぜなのか、それを知っていれば当然なのですが、案外知らない人もいるかもしれません。
もちろん各局、各紙、独自の特色を出している側面もありますが、ほとんどのニュースの配信元について考えることなく、それぞれの局や新聞社の記者が取材をしている内容のはずだと漠然と思っている人もいるのではないでしょうか。

私は特にK社についての個人的思いを抱いたわけではなかったのですが、そのようにK社のことをキーワード的に一時的に思い浮かべたのは確かでした。

すると、翌日、電車の中でK社の人が作業しているところに居合わせたというわけです。
乗車距離が長かったため、ちらっと見かけてそんな気がしたという話ではなく、メールや記事の編集作業が視界に入り続ける状況にあって、そのことは明らかでした。
その人は「この駅で降りるだろうな」と予想していた通りの駅で、降りていきました。 

こうした経験をシンクロニシティと言います。
先にも書いた通り、電車の中で仕事している人と遭遇すること自体は、決して珍しい出来事ではありませんが、いくつもの偶然に見える事象が重なった結果、
このタイミングで、この内容、
という、個人にとっての「一致」に気づきます。

シンクロニシティは、「自分の意識の中に現実はある」ということを自覚させてくれます。

深い思い入れがない物事ほど、あっさり現実にあらわれる 

この間、オンライン講座「目覚めとは」の中で、物質世界の「現実」として物事があらわれるにはタイムラグがある、というお話をしました。

しかし、意識内で明らかにフォーカスしているのにいつまでも現実にならない……というような場合は、それはタイムラグとは異なるかもしれません。
あることに執着しすぎた結果、自分で実現を邪魔するということがあるからです。

逆に、あなたにとってあまり思い入れがないような物事は、あっさり現実にあらわれます。
それが現実にあらわれることへの「抵抗」が、あなたの中に全然ないからです。
実現ルートも、それを塞ぐ理由も、わざわざ考えないという感じです。 

試しに、この世界を明晰夢だと思ってみてください。
あなたの意識の中で思い浮かべたことは、あなたが抵抗をしなければ、そのまま現実にあらわれます。
「難しいな」
「それはできないだろう」
「起こりっこない」
そう思ったことは、あなたがそう思ったがゆえに、その通りのルートを辿ります。

シンプルすぎる!と疑わず、意識の使い方の基礎として、これは覚えておいた方がいいです。

地の平和にチャンネルを合わせる 

ただし、人間は、欲しくもないものを「欲しい」と思い込み、その実現に向かって努力することがあるということも、これまでお伝えしてきました。

「分離を信じている自我」と自己を同一視しているとき、そうなります。

ですから、集合意識の提示する「理想」や「豊かさ」、「幸せ」などの型を自分の望みだと錯覚して、何とか自分の現実にもたらそう!と躍起にならないことをおすすめします。

それよりも、あなたの真の自己に還ることが大切です。

昨年12月の講座「内的静寂から生きる」や、今年3月の講座「真の自己の性質と、二元性卒業」で特に深くお話ししましたが、

あなたの内には「常に平和な自己」が在ります。

そこに一体になる時間を、意識的に取ってください。
あなたの本来の「地(じ)」である平和に、チャンネルを合わせるということです。

別な言い方をすれば、「他チャンネルにわざわざ意識を合わせてしまうことをやめれば、それは常にある」のですが、私たちは今はまだ意識的にそこへチューニングする必要があります。

なぜなら、幻想の世界に信頼を置き、真実をわかっていない自己(エゴの観点)から物事を考えたり、学んだりしようとしてしまう癖があるからですよ。

真の自己の平和に心を合わせていると、
これはできる・これはできない
と、エゴの判断による不自然な抵抗を生み出すことをストップできます。

すると、あなたの「創造」は軽いタッチで、必要な物事のひとつひとつは自然と起こり、現実になることがわかるんですよ。


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