こんにちは☆
今回は、「意味はあなたとの関係性の中にある」
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意味は、あなたという存在との、関係性の中にある。
これについて、私の身近な例をあげますね。
同じ街の中で、最近、うさぎの専門病院がオープンしました。
先日、散歩のときにそれを知った私は、なんだかうれしかったのです!
(※私の経験では、通常の動物病院だと、うさぎは犬や猫など他の動物に脅えてしまいます。
先客がいない場合でも、においでガタガタ震えて、居心地が悪そうでした。
そういうことを知っている経緯もあり、同時に、単純に、
日常風景の中で「うさぎ」を身近に感じられる機会としてもうれしかったのです。)
私は、かわいがっていたうさぎの死について過去記事で連載したことがあるように、
今ではもう、うさぎという動物についての思い入れ、心の「絆」があります。
それは広がって、動物全体、自然界全体への思いへも繋がったのですが。
つまり私にとって、うさぎという動物は、
“愛しさやなつかしさ、色々な愛の思いを呼び起こす何か”となっており、
この度の出来事も、個人的な意味があったわけです。
でも、これが私という個人でなければ、
うさぎの病院という施設が近所にオープンして感じることも様々な別のものになりますよね。
もうひとつ、他の例をあげます。
「片腕をあげる」という動作があります。
これを、
「叩かれるっ!こわい」
「五十肩が治って腕が上がったぞ!♪」
「意見を発言するために挙手しました」
などなど、色々な風に見ることができます。
これも、そのときの文脈(体験している人の人生の流れ、前後のシーン)を知らなければ、意味はわからないことです。
以前に、頭を繰り返しはたかれる習慣でもあったのか、人間がなでようと手を持ち上げると、「ぎゅっ」と目を閉じて怯えたように身をすくめる犬を、私は実際に見たことがありました。
それで、この例に取り入れました。
手を挙げる動作は、その犬にとっては、特定の意味を持つのです。
これらを読んで、例に挙げたものの、「客観的事実」は、
「近所にうさぎの病院ができた」ということや、「腕を上げた」ということ、
それだけなのね!ニュートラルね、というところで、終わらせないでください。
思い出して。
あなたの体験している現実まるごと、あなたの意識の中にある。
「客観的な出来事」が唯一の事実として先に存在し、それに意味付けをしている、のではない。
これは、あなたの夢のようなものなんです。
本当に、そうなんです。
つまり、あなたの夢の中に登場した現実(出来事)全体を、あなたが選んでます。
あなたの体験している世界の「全部」が、無限の中の、
あなたの選んだヴァージョンのリアリティなんです。
そんなわけですから、あなたの用いている「意味付け」が、
あなたにとってちょうどよいものならいいのですが、
窮屈になった服をむりやり着なきゃいけないと思い込んでいるように
あなたという広大な存在を、その中だけにおさめようとしているのなら……
あなた自身が「作者」で、あえてそうしているということを、思い出すときです。
以下のメッセージをお伝えして今日はおわりにします。
☆☆☆
ほんとうの自分の気持ちに
たたかいを挑まなくてもいいんだよ
信じよう!とか、こうならなくちゃいけない!という気持ちで、
あなた自身の感じたことを否定しなくていい
どこかから借りてきた正しさにこだわるのではなく、
私はこう感じたんだなぁ~というのを、まずは認めてあげて
何かが「敵対」しているという考えを捨てて…
あなたが物事を意図(発信)したとき、それに伴って起こるすべてのことを、
「助けてくれている友達」と見てみよう♪
もし、何かがあなたにとって「ネガティブ」な要素に見えたとしても、
あなたの協力者、助っ人として見てみよう。
体験している“世界”とあなたは、ひとつで、
内と外に分離はなく
常に変わらない、ベースとなる愛をもとに、フィードバックしあっているよ
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