BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

今年のミドちゃんと、アニマルコミュニケーションの極意

昨年の秋に出会った、ナガサキアゲハの幼虫、ミドちゃん。

同じ種の新世代ミドちゃんが訪れてくれました。

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↑本日のミドちゃん

昨年のミドちゃんシリーズはこちら
「アゲハの幼虫、ミドちゃんとのランデブー」
beats-and-love.hatenablog.com

「季節の恵みと、もうすぐサナギになるミドちゃん」
beats-and-love.hatenablog.com

ミドちゃんにおことわりしてから、すべすべした背中をそっとなでたところ、
その様子を後ろからじっと見ていた母が、
「私は木よ、って言ってるね。」
と。

その通りだったんです。
ミドちゃんは枝の上で擬態しており、私に触れられても、まさに、
「私は木よ。何でもありませんよ。」の精神で、じっとしていたのです。

それを瞬間的に捉えた母。
シンプルですが、これもアニマルコミュニケーションです。

ちなみに、母は動物をはじめ生き物があまり好きではありません。
苦手な方です。
(どれくらい苦手だったかというと、家でうさぎを飼っていた頃、家族の中で母だけ、もらったばかりでほんの子うさぎだった愛うさぎを素手で触れることができませんでした。
私がケージの掃除をしている間、一時的に母に愛うさぎを見ていてもらうときなど、母は軍手をはめて触っていたんです!
ただし、愛うさぎの途方もないかわいさに、みるみる「苦手を克服」していき、そこから、犬や猫も以前よりは平気になりました。)

しかし、母はとても無邪気で素直な好奇心を持っているところがあり、動物に好かれます。
生物たちは、エネルギーに反応しますので、心の中に二重性や嘘がない人が好きです。

どんなに優しく、生物を好きな人でも、心の中で様々な思考が忙しかったり、思いが分裂してしまっていたりすると、生物は近寄って来なかったり、警戒したりするかもしれません。

それは、コミュニケーションを「ためらう」とか「力む」ということも当てはまるんですね。

コミュニケーションへの余計な力や雑音が介入していると……

アニマルコミュニケーションに意欲がある方でも、たとえば、

今、お話ししてもいいのかな?(こわごわ)
私に「ちゃんと」コミュニケーションできるかしら。(不安)
本当に伝わるのかな……?(疑い)
「絶対に」コミュニケーションをしたい!(力み)

など、余分な思考や、コミュニケーションへの「どうしても成立させたい」という重要性が介入すると、本来は自然な現象であるコミュニケーションを邪魔してしまいます。

また、テレパシー講座上級のレポートであるこちらの記事でも書きましたが、
「【レポート】テレパシー講座上級、ご受講者の皆さんありがとうございました!Keep enjoying!!」

beats-and-love.hatenablog.com

テレパシーでコミュニケーションする相手に、人間同士がしているような「本音と建前」は通用しません。「ふり」も無駄です。
生物たちは、あなたのエネルギーを感じ取っているのです。

壁を作らず、好奇心のままに、無心に向き合う。
子どものようにそうしているとき、生物たちはそのエネルギーを鏡のように返してくれます。

動物たちは、心静かに、自然界と一体になっている人に引き寄せられる 

かつて、とても印象的だった出来事があります。
類似した体験を何度もしているのですが、ここでは2つを取り上げます。

あるとき、私は近所の小さな公園の桜の木に見とれていました。
周りに人はおらず、桜はそんなにたくさん植わっていたわけではないのですが、ちょうど花が咲いていた頃で、私は1本の木に惹きつけられてじっと見上げ、思わず「木と一体になっていた」のです。

すると、脚の後ろ側、ふくらはぎの下の方に、ひやっとした何かが急にふれました。

「?」
と、振り返ると、一匹の、見知らぬミニチュアシュナウザーが私を見上げ、目をきらきらさせて笑っていたんです。
脚にひやっとしたのは、その犬の鼻でした。
当たり具合からして、犬は、私の脚へまっしぐらに勢いよく突進してきたようです。

犬はとてもうれしそうにただ私のそばにいましたが、
そのときの犬の思いを翻訳するなら、「いいね!」とか「大好き!」でした。

しばらく後に、おばさんが息を切らせてこちらへ駆けてきました。
そして私に、
「ごめんなさいねぇ、遠くから急に、あなたのところへ走って行っちゃったのよ……!」
と言いながら、犬に声をかけて連れて行くと、散歩の続きに戻っていきました。

それからまた別のとき。
約10年前、2009年の末まで、私が都心のある街に住んでいた頃のこと。

そこは徒歩で色々な街に出ることができ、私はけっこうよく散歩していました。
山手線の駅から駅へと移動するのもそう遠くなく、間の風景も楽しんでいました。

そんな散歩ルートの途中に、ごく小さな公園がありました。
遊具などほとんどない、ほぼ植物と空間の、小ぢんまりした公園です。

そこで私は思わず立ち止まり、木に見入っていました。
木に惹かれ、感動していて、空を見上げる格好で、木と一体になっていたのです。

すると、ふと、足元に何かクッションのような、やわらかく暖かい弾力を感じました。

なんだろう?と思って見ると……
私の脚に、猫が3匹、毬のように、押しくらまんじゅうのように、体をくっつけていたんです。

それぞれ違う模様の成猫でした。

何してるの!?
とびっくりしました。こんな光景は初めてでした。
猫たちは、ほうぼうを向いて、思い思いにくつろいでいるのですが、けっこう強い圧をかけて(つまり体重をかけている)心地良さそうに私の脚にもたれかかっていました。

猫は甘えにきているとかとも違い、まるで私が居心地のいい木であるかのようでした。

この2つのケースに共通しているのは、いずれも、
私が自然界(木や空)と一体になって我を忘れていた
状態にあったということです。

そして気づくと、足元に動物がいたのでした。

こうした体験を重ねていくうち、動物たちは人間が自然と一体になって心静かになっていると、そこに「参加したい」、「心地よい」と感じるのだなぁ、とわかりました。

そのとき人間は、ちょっとした「パワースポット」になっているような感じです。

逆に言えば、どんなに自然界を愛している人であっても、それがゆえに世の中にイライラしてしまっていたり、批判的になっていたりしたら、穏やかで平和なエネルギーを発することはできません。

波動やエネルギーというものを、音で想像してみるといいかもしれません。

調和したやわらかい、優しい音楽を奏でているとき……
様々な生物が、そのハーモニーに自らすすんで、参加してくれるんでしょうね。

★追加情報★

昨年秋のミドちゃんは、さなぎになるための大移動(安全な場所へ長距離移動することがある)のときに、見失ってしまいました。
生きている感じは継続していたので、私はさなぎを探したり、蝶になったら会えることを夢見たりしていたのですが、対面はかないませんでした。

今回のミドちゃんも、あと数週間したらさなぎになるための大移動で姿を消すでしょう。
束の間のミドちゃん観察を、楽しみたいと思います。

あなたのおうちのそばにも、ミドちゃんたちの仲間がいるかも。


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