今日の内容は、これまでの記事の流れにそった説明なので、
最近訪れてくださった方は、もしかしたら、
過去記事も通して読んでいただくとより理解が深まるかと思います。
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この間、◆「体はない!」という記事を書きました。
その中で、私たちのこの「体」も信念体系、という説明をしました。
今回は、では、「この物質世界は?」というところです。
今まで、コースの用語に従い、
カタカナ語の「マインド」という言葉を用いてきましたが、
今日は、日本語でなじみやすい「意識」という言葉を使ってみます。
実はコースでは、「意識」という言葉をアウェアネス=気づきの度合い、
として用いているため、今までの記事ではその意味になっています。
今回の意味とは区別してください…
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さて、コースの定義&私の今までの独自の説明に基づいて、
おさらいします。
私たちの体験している「物質世界」は、
神の直接の創造ではありません。
神の創造したのは、神の子であり、
この世界は、神の子による創造です。
このなりたちを、こんな風にイメージしてみてください。
「全体」である神は、自分の意識の中で、
意識の一部をちぎって、「神の子」を創造しました。
一部をちぎって…というのは便宜上の言い方で、
実際は、それも神の意識の中でのイメージのようなものです。
そのように創造された「神の子」は、
神の意識の中を旅することができる、「神の動く媒体」です。
「動き」の要素がありながらも、やはり材料は神ですので、
神の全体が内包されており、神と一体です。
部分の中に全体が折り畳まれている、ホログラフの考え方です!
「神の子」がいくつに分かれて存在しても、
やはり「神の子」は「神の子」のままであり、
その中には神(全体)が内包されています!
そして、その「数」がいくつに見えたとしても、
神の子の心(源)はひとつ、=神とひとつ、です。
こうして、神の創造である神の子は、
神の意思を携えたまま、「神の子の創造」を行います。
そう、神の子は、神の性質をそのまま受け継いでいます。
ところで、神の子が、
「神の子である」というアイデンティティーを忘れているのが、
この世界です。
神の子であるのを忘れ、さまざまな信念体系を作っていきました。
そして、信念体系に囚われるようになりました。
「体」というのも信念体系のひとつです。
信念体系がなければ、体は存在しません。
強固になった信念体系は、忘れている神の子にとっては、
自分を死ぬまで閉じ込める体や、
外側にあるように見える固い物質世界として存在しています。
…と、ここまでを、たとえ話として頭に入れておいてください。
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私たちの意識の中に今もある、
「すべて覚えている部分=神の子のアイデンティティー」、
このブログでは「100%自覚しているスピリット」と呼んでいるところですが、
その目線から見れば、この世界というのは、
以前もたとえに出したように、
居間でくつろぎながら見ているDVD
のようなもの、と言えます。
実際は、何も起こっていないのです。
その中に入って、生まれたり、死んだりしているというのも、
この目線から見れば幻想です。
スピリットのまま、同じ場所で、
ヴァーチャルリアリティーであるこの世界を鑑賞しています。
意識的に「夢を見ている」と言ってもいいかもしれません。
そして、実際のところ、この鑑賞者は一者と言えます。
つまり、このDVDは私たち個にとっても共有の1つ。
ただ、様々なパースペクティヴ(観点)を体験するために、
鑑賞者は自分を色々なところにちぎって投入しているのです。
これも最初の「神の創造」のたとえと一緒で、便宜上の言い方です。
分離が現実に起こることはできません。
だから、ここでも同じことが起こります。
そう、部分(個)がそれぞれ、ホログラフィックに全体を含んでいるのです。
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自覚しているスピリットの目線(創造者・鑑賞者)から見ると、この世界は、
創造者の意識の中にある、「データの海」です。
すべての可能性がデータとして、すでに同時に存在しています。
その中で、「個」として活躍するパースペクティヴの意識は、
信念体系をまとい、やはり観察者として「知覚」することで、
データを様々な形に解釈するのです。
ですから、
この世界の物質も、体も、「観察者」が特定の信念体系をまとうまでは、
ただのデータの海です。
私はコンピューターに特別詳しい方ではないのですが、
ウェブサイトを作成したことはあります。
HTML言語などのソースだけを見ると、
コンピューター言語が並んでいるだけで、一体どんなサイトか、
イメージとしては湧かないですね。
けれども、そのデータソースによって、ウェブサイトの形も色も、
動きや音ですら、決められているわけです。
そしてまた、「ブラウザ」が違うと、
色が異なって表示されたり、配置が崩れてしまったりしますよね。
これ、体験したことある人は多いのではないでしょうか!
まさに、私たちは個々の「ブラウザ」を持っているのです。
それぞれがかけている色眼鏡、
持っている信念体系(観念)の差による、知覚、解釈の違いです。
余談ですが、このことを私と友人は昔、
それぞれの彼氏との意思疎通がうまくいかず悩んでいるときに、
「あー、もう、あの人、私とブラウザが違うから~!!」
という風に使用して嘆いていました。
ギャグでありながら切実でした…(笑)
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「データの海」には、すべてのポテンシャルが折り畳まれています。
時間・空間という要素もそうです。
眠っている間の夢が、
目が覚めれば全部あなたの意識の中にあった、というのと同じように、
この世界の「場所」も「時間」も、あなたの意識の中で、
マッピングされているにすぎません。
私たちにもし信念体系がなかったら、
今のように連続した時間や、「場所の移動」という体験はできません。
そして現在も、
「自覚したスピリット」の意識の中に、
この世界はデータソースという形で存在していますが、
あなた(この世界での観察者)が意識をそこに向ける、
つまりデータの海と、あなたの向けた意識がぶつかるまでは、
それは物質、あるいは出来事として、機能しません
オンになりません!
つまり、あなたは、この世界を体験したいように体験しています。
これって、すごいことですよね!魔法みたい。
ただ、仮にあなたが今日亡くなっても、
この世界そのものはドロンと消えてなくなりはしません。
その理由は、おおもとの「データソース」が、
あなたの意識の中の別の階層にあるからです。
あなたより大きいあなたが、それを「見て」います。
また、もうひとつの側面として、
たくさんの「個」としての、この世界の観察者(あなたの分身達)が、
共有の信念体系を持って、この世界を「見て」いるから、
ということもあります。
ただ、あなたの意識が変わることにより、
確実に、この世界というのは「固形」ではなくなります。
「奇跡」が起こるゆえんは、ここにあります。
☆☆☆
視力回復トレーニングみたいなものを、
試したことある人、いますか?(笑)
ぎゅっと、視神経を緊張させて、焦点を絞ると、
細かいところはくっきり見えますが、全体は見えませんね。
視野を大きくひろげて、焦点をゆるめると、
まわりのものはぼやけて、遠くを見る目になりますよね。
固形(物質)の世界って、はりつめて、凝縮させて、
コリコリに凝らせてみているときの見方です。
境目がくっきりあるように見えます。分離して見えます。
信念体系に縛られて、
コリコリに固まった視点でのみ作られる、見せかけの世界です(笑)
あなた(観察者)の目線が、信念体系から自由になり、
ゆるくなればゆるくなるほど、
あなたは「データの海」に近いものを見、それに沿った体験をします。
☆☆☆
データの海が見えるということは、全体の視野を持っているということ。
あらゆる可能性を見渡した上で、ベストの選択ができる、
そのとき、そのときの調和が何であるか、わかるということ。
これができるのは、「全部を見渡せるスピリット」だけです。
だから、スピリットの声を聴くこと、のお話をするのです。
しかし、これをどんどん繰り返していくと、
あなたは、自分の意識の中にある、スピリットとの距離を埋めていきます。
だんだん、自分自身の「アイデンティティー」を回復し、
スピリットの記憶を取り戻すのです。
ギャップに橋がかけられ、分離の距離は縮まり、
「創造者」の意識に近づいていく、一致するようになる、ということです。
☆☆☆
最後に、おまけの不思議話をひとつ。
またしても私の夢の中での体験です。
私は、夢の中で、亡くなった後の人や、人間でない存在に会いますが、
そのとき隣りにいた女の人は、明らかに元・人間体験者でした。
何らかの事情で、(たぶん空を飛んでいた)、一緒に上から、
日本のある場所を眺めていたのですが、
突然、隣りの女の人が、
「ああっ、私にはもう、桜は(以前と同じようには)見えない!」
と、言って、顔をおおって、泣き出したのです。
私の目には、桜の木は同じように見えましたから、
びっくりしてしまい、その出来事は印象に残りました。
この人にはもう、この世界は、
以前とまったく同じようには知覚できないんだな、
ということが、直感でわかりました。
この世界を、こうして固いものと認識したり、
体をさわったりできるのは、
とっても特殊で、貴重な毎日なのかもしれませんよ☆
それでは、また次回!
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