週末、いかがお過ごしでしたか!
さて、今日のテーマは「体はない!」です。
今日は当たり前なようでいて、
もしかしたら刺激的なことを言うかもしれません!
信念体系にヒビを入れられればうれしいです。
☆☆☆
私も、あなたも「体」はありません。
何度か記事でこのことにふれていますが、
そうでなかったら、このブログに書いてることも、コースも、
意味がありません。
人間は、自分を「体」と見なしながら、同時に、
体を自分の意思と切り離されているものとも考えています。
不思議でしょ…。
純粋に「肉体的な欲求」、
自分の考えと分かれた、勝手な「体の欲求」があると思っているのです。
無いよ無いよ、そんなの!
全部自分の意識がやっているんだよ!
私たちがただ、それを「自覚」してないだけだよ。
☆☆☆
人は、「体」それ自体が意志を持つかのように勘違いし、
「体」でさえ自分と分離させて考え、それと対立するようになりました。
コントロール(征服)の対象として、自分の体とたたかうようになりました。
でも、体なんてありません(笑)
だから、純粋な体だけの現象なんてない。
私たちの意識が、「体」というものを作り出して、
あたかも体が自分であるかのように体を使って、「表現」している。
こんな風に自分を「だます」ことができますが、
体は、その忠実な表現形態であるだけです。
意識の清明度、という言葉を出したことがあるように、
私たちの自覚の範囲は一般的に狭く、
体を自分の意志とは関係なく、日々勝手に動いているように感じます。
もちろん自覚してどうこう思うときもあるでしょうが、
基本的には、
「心臓を動かすぞ、今日も…それっ!」
とか、
「呼吸を忘れたらやばいぞ…」
とか、日々真剣に警戒している人はあまりいないと思います。
この世界のことだってそうじゃないですか(笑)
「俺が今日アメリカを忘れたら、アメリカ存在しなくなるな。
やばいな…」
とか思いながら、毎日世界地図を眺めている人、いますか?
あはは(笑)
でも、これについてよく見れば、
誰もがある程度までは、自分の体も、この世界も、
誰かが勝手に動かしてくれていることを、信頼できているわけです。
それで、この、勝手に動かしているのは誰か?というと、
あなたの意識です。
☆☆☆
病んだマインド(心)というのはありますが、
病んだ体というのはありません。
「自身のマインドへの自覚度100%」の意識状態であるスピリットは、
病むことができません(笑)
そもそも、自分のことを体だと思い込む勘違いができません。
病むことが可能であると信じるためには、
それなりの基礎となる信念体系が必要になり、
自分が誰であるか「忘れる」必要があります。
忘れている状態のマインドにとっては、どんな表現形態でも、
それが「メリットである」と信じている限りは手放しません。
作り続けます。
自分にとってメリットだと考えているから、
その現実を表現するのです。
言い換えれば、この世界、この体という表現全部、
自分で決めていることです。
☆☆☆
ですから、
あなたが本当に「不要である」と自覚した場合には、
どんなマインドの表現でも手放すことができます。
一方で、あなたのマインドの中で、
「ああこれは、私にとって有益だ」
と判断した場合、わざわざそれを手放すことはしないでしょう。
意識の清明度が上がってくると、たいていの場合、
「個」としての自分が持っている外見だとか、
キャラクターの特徴であるとか、
そういうことは、「この人生の自分に最適である」と自覚して、
意に介さなくなります。
それを「変えよう」と思うことはまずないと思います。
というのも、それがスピリットとしての自分の「計画」に属していると、
理解しているからです。
また、
「体」を使って、「体」のように自分を表現しているけれども、
自分は「スピリット」であると知っているので、
囚われなくなるということもできますね!
☆☆☆
私はわりと、
「体の声をよく聴いてあげてくださいね」
という表現が好きなのですが、
この場合も、正確にいえば、
体を媒介して表現された、自分のマインドの声のことを指しています。
私たちは、体が反応したり、感じたり、知覚していると思う形で、
マインドの表現を理解しているために、
「体の声」と言われた方がしっくりくるのです。
本当は、この世界(現実)全部だって、そうです!
「私の」マインドの表現。
どんなにその範囲が大きく見えても、
あなたは、あなたのマインドが許可しないことは何ひとつ体験できず、
言ってしまえば、
あなたがその中のどこまでを「自分の表現」と自覚できるかで、
この現実をどんな「夢」にするかが決まります。
あなたが創造者のマインドで眺めるなら、
現実全部が自分の表現であると、本当に自覚することが必要です。
☆☆☆
それに気づいていく過程で、
私たちは、自分を「体」としてではなく認識するようになり、
自分の枠をひろげて、
便宜上作ってしまった狭いアイデンティティーを手放して、
スピリットの現実に気づき、ときにズレを修正しながら、
大きな自分と一致して生きるのです。
ですから、
前回の「スピリットの声、大天使、アセンデッド・マスター1・2」の記事で、
書き忘れたことなのですが、
スピリットの現実に気づくためには、必ずしも、
「体を通した五感で知覚しよう」とする必要はありません!
結果として、意識が変われば、
内にも外にもスピリットの現実を見出すようになりますが。
スピリットの声を聴く(感じる・受信する)ということは、
あなた自身のマインドの声を聴くということに等しいのです。
ただ、マインドの声の中の、バリケードのような、
「忘我状態の我(エゴ)」の訴えではなく、
それがしずまった先にある、インスピレーションの声を聴くのです。
スピリットの現実側と、心からのやりとりをしてください。
あなたの感じたこと、思ったこと、望んでいること、悩み、
全部包み隠さず心の中でスピリットに話しかけてください。
そして、黙るのです。
答えはもたらされます。
あなたが沈黙することで、あなたはそれに気づきます。
それでは、今日はここまで…☆
☆スピリチュアルカウンセリング☆