以前、◆「人間になりたい!」という記事を書きました。
あそこで本当に書きたかったことを、今日は記事にしてみます。
決して、「私は人間ではありませんよ。だから人間になりたいの」
という、ファンタジックなことが言いたかったわけではありません(笑)
私の思う、「本当の人間」とは何か。
それについて書きます。
☆☆☆
精神世界、スピリチュアルな言葉を借りて色々なことを書いていると、
なんだか、「生身の人間」を否定しているような気分になることがあります。
決してそういう意図はないのですが、
「真実」と「幻想」を区別する説明を書いていると、
この世界から分離した感覚を与えてしまうこともあるかもしれません。
けれども、私がお伝えしたいことは、実は、
私たちは「本当の人間」になれるよね、ということなのです。
☆☆☆
この世界で、このように日々変化する身体、
毎日同じではない外の世界、揺れ動く感情、気分、
そういうものを体験しながら、まったく今のままで、
私たちはお互いの中に神性を見ることができます。
感じる存在でありながら、互いの中に神性を見ること。
それが私の思う、「本当の人間」であることです。
人間としてのあらゆる感覚、感情というもの、
これらが単に不必要ならば、
私たちがこの世界にいる意味はないと言えます。
そのような体験をしている私たち、
それらがリアルに感じられ、身をもって知っている私たちが、
どのようなドラマも超越して、背後にある神性を見る。
かならず、見てしまう。
この尊さが、私たちの本質だと思うのです。
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すべては内から、と言いますが、
この自分を、はっと神性に目覚めさせてくれるものは、
いつだって外の世界との「交流」です。
私が人間として生きていると、
それは感覚を通してやってきます。
たとえば、
一片の花びらに神性を見ることがあります。
草木の緑に、神性を見ます。
電線にとまっている鳥に、神性を見ることがあります。
砂粒に反映された、神性を見ます。
風の匂いに、神性を感じます。
音色に、神性を聴きます。
人のまなざしに、神性を感じます。
彼らの生きているさま、その息吹が、ただ伝えてくるのです。
世界が、語りかけてくるのです。
それが胸に飛び込んできた瞬間、私の心の壁は、
「無条件降伏」です(笑)
このようにインターネットという媒体を通してすら、
それはやはり、語りかけてきます。
私は、きっとあなたを感じているだろうし、
感じたいと思っています。
ひとりの人が感じた闇、孤独、
1匹の動物の飢え、
この世界のあらゆる汚れ、病、悲しみ、
これらもすべて、私の一部です。
そしてまた、そういうものを全部含んだ「私」が、
やはりその中に、変わらぬ真実の光を見出すことができる。
これは、救いではないでしょうか。
☆☆☆
私が感覚を麻痺させて、ロボットになるのなら、
「本当の」人間とは言えません。
それでも、やはり、人間ですけど…。
痛みや苦しみを、もてはやす気はありません。
それらは、私たちの手から、解放してあげるべきものです。
ここは、「愛」たちが、たくさんのものをまとった世界。
どんな色で塗り固めても、
決して消えない光がある物凄さ、尊さを体験します。
怖さに目をつぶりそうになることがあります。
外観にとらわれたり、耳をふさぎたくなったりすることがあります。
それでも、目を離せないほどの壮大な「神性」が目の前にあり、
その「語りかけ」は、外の世界の、ごく普通の体験としてやってきて、
おびえていた自分を一瞬で目覚めさせます。
だまされていた「目」は、
現実の世界の中にあるさりげない「愛」のゆさぶりによって、
たやすくその「虚偽の衣」を脱ぎ去ります。
愛はただ、私のことをノックし続けます。
「ここにも、ほら、ここにも…
どこを見ているの?」
ありのままのあなたがもつ力をご存知でしょうか?
完璧でない、弱い、もろい、ずるい、悪い…
あなたが自分をどう思っているときであろうと、
あなたがただ存在しているだけで、示してくれる完璧な愛を、
ご存知でしょうか??
私たちは、自分の知らないところで、
相互に影響を与え、救い合っています。
それは「行為」で伝えられるとは限りません。
ただ、伝わるのです。
そのことに気づいていないかもしれません。
それでも、そのようになっています。
それが私の伝えたいことです。
今日もお読みくださり、ありがとうございました☆
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