なんだなんだこのタイトルはと思った方もこーんにーちはー!
(耳に手をあてて返事をきくふり)
夢の話から始まります。
☆☆☆
夢の中で私は、国際色豊かな「なんでも屋」に近いお店にいる。
こっちの現実でたとえるならば、フェアトレードの雑貨屋や、
イベントやミーティングスペースにもなるカフェに近い雰囲気。
店内はあまり広くないけれど、せまくるしいというのでもなく、
ほどよい居心地のよさで、物にあふれているということもない。
どうやらこれが何かの「会社」なようだ。
建物は、ほとんどが木でできており、壁も床も階段も木である。
あたたかみのある感じ。
私はここに勤めることになったのであるが、この会社には、旧知のVさんがいた。
この夢の中でVさんは、アジアの一部や中東の方で見かけるような、
混紡というのだろうか、色々な糸を紡いで織ったような布を頭や体に巻き、
エキゾチックな服装をしている。
(注:実際のVさんは全然こんな服装をしている人ではありませんでした!)
Vさんと私とのやりとりは色々あったのであるが、印象的なシーンはこんな風だった。
私は、Vさんとその同僚が担当していた、
月だの金星だの、もっと私たちがなじみのない名前の別の星系の星だの、
はるか彼方の星なんかも出てくるように見受けられる「宇宙カード」のようなもの、
その製作を引き継ぐように説明を受ける。
実物を、見せてもらいながら。
このカード、たとえば月1とか、決まった間隔で連載のように、
新作(セットごとではなく新しい星のカード1枚分)が、出るらしい。
継続した仕事なのだ。
その絵柄を見ながら、私はあわてて…
これは私の苦手分野!
こういう神秘的なイラストは私は向いてない
と、語り始める。
(それがどういうイラストか、例を挙げるのはむずかしいのですが、
雰囲気を理解してもらうために近いものを説明してみます…。
たとえば、星の名前が「アトラス」だとすると、そのカードには、
その星の地面や地平線と、その星から眺めた宇宙の背景と、
そこにある基地らしい、美しい幾何学をえがく建物の情景が描かれている。
その全体が「アトラス」らしい仕上がり。こんな感じのカードなのです。)
私は、何ならば自分の得意分野かを一生懸命考えながら、話している。
もっとテーマのある絵ならば描けるけど!
たとえば、広告みたいにわかりやすいのとか、コンセプトがはっきりしてるのとか。
そういうのの方が自分は向いてると思う。
とか、なんたらかんたら一生懸命ミーティングで語っているうちに、
意識がこちらに戻ってきてしまい目が覚めた。
☆☆☆
夢の背景について書くと、夢に登場したVさんという人は、こちらの現実で、
私が会社に入りたての心もとない時期に色々教えてくれた先輩でした。
ですから、この夢をみた後に私は、自分の内面が何を伝えているか、
自分の経験したVさんという人物のイメージから受け取ることができたのですが。
それと同時に、夢の中での仕事に対するミーティング等、
こちら側の(起きている間の)現実の経験と何も変わらないくらい鮮明なもので、
私は、はたと考えてしまうのでした。
こちらの現実で座りながら。
周囲を見回しながら。
「ここ」も、私の夢なのだと。
映画『インセプション』を見た人は、
映画の登場人物たちが、夢の中で夢とわかるためのアイテムとして、
「トーテム」という物を持っていたのを覚えていますか。
自分だけが、自分のトーテムが何かを知っていて、
自分なりの、夢の中かそうでないかの識別方法を知っている。
逆に言えば…
それが無ければ、そういう目印がなければ、
夢か夢でないか区別がつかないということでもあります。
日常から、夢を観察していれば、別の階層の自分に気がつきます。
気づかざるをえないのです。
起きている間の現実でも、夢の中でも自分の意識で「創造」し続け、
活動している私たちが気をつけなければならないことは、
それしかないと思っているとき、それしか見えない。
それだけが、顕れているようにみえる。
ということなのです。
これは、電光掲示板のライトが点いているところと点いてないところに似ています。
点いてないところも何も“無い”わけではなく、同じく点灯可能なライトなのですが、
電光掲示板が、特定の文字や絵などを形づくっているとき、
点灯していないライトの部分は、そこには何も無いかのように見えるのです。
私たちの意識も、現実をそのように形作り、それゆえ私たちは、
自分がフォーカスを当てていないところは、現実に「ない」ものと見なします。
そして選択肢を忘れてしまいます。
そのような視野狭窄に陥らないためには、ここを生きながらも、
同時存在している別の階層の自己との協力が必要です。
本日のタイトルの意味は、
私たちは、いつも別の階層にある自分からのパルスを受信し、コンタクトしている。
ここを生きながら、この現実の経験をフィードバック(発信)しながら、
その信号を待っている。
「私」は孤立して存在しているわけではなく、共同創造をしている。
多次元的な自己と、手を取り合って、これを創っている。
……という強い実感から浮かんだものでした。
それでは、また次回!
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