今日の記事タイトルは、「色んな側面がある」。
私の書いているようなブログも含めて、
精神世界についての情報に興味をもたれる方の中には、
単なる好奇心からだけでなく、何らかのヒントや、
ときによっては答えを探しているような場合もあるのではないでしょうか。
私は長年、仕事の立場上(こういうセッションをするようになる前から)、
精神世界の中での色々な流派というか、
教義、思想、そしてそれを取り巻く人々を観察してきて、
「人それぞれ、その人に合ったものにひかれるものだな」
という感想を持っています。
教えですら、「人」抜きに語れないよな~って。
人間は「真実」という言葉を好みますが、
真実には色々な側面があります。
誤解されてしまいそうな言い方ですが、
真実と、真実でないものがあるわけでなく、
どれも真実の一側面である
と、いうことができるのではないでしょうか。
ですので、多種多様に見える教義や、「これが真実だ」という提示のされ方も、
それを語っている人本人を見て、
“その人にとっては、それがいかに適していたか”、
という角度から眺めてみるのもいいと思います。
たとえば、
自己の感覚がよわく、外に流されがちで他力本願に傾くがゆえに、
自分の人生は自分自身がつくるもの!
ということを、しっかり認識する必要がある人もいます。
一方で、
自分の力で、自分で動いてきたという自負が強すぎるあまり、
自己中心的なサイクルに陥り、
もっと外に目を向けて自己感覚を手放す必要がある人もいます。
(ちょっと微妙なたとえでしたが、これ、2つの大きな流れだと思うんです。
人間観察をしていて、こういう2つのタイプを実感されたことはありませんか?
もちろん、ひとりの人間の中で表裏一体、どちらの要素もブレンドされていそうですが。)
当然、それぞれが自分の心の奥底では、自分を知っていますから、
「必要だ」と感じ、惹かれるものも違ってくるわけです。
☆☆☆
ただ、ここでまた一転するようなことを書くのですが…
最近、「楽であること」がもてはやされがちですが、
私は、楽、にも種類があると思うのですね。
本当に心が向いていて、魂が一致していて楽であるというときと、
心は別のもの…場合によっては覚悟して飛び込むことや、
これまで学習してきた何かを克服することによる“新たな飛躍の機会”
を指し示しているのに、
「これしかない」という狭い思考に陥っている中で、
今まで学習した範囲から選ぶ、“逃げ”としての「楽」。
これを楽と思っている間は、本当に楽にはならず、やがて、
状況としても似たパターンを繰り返すことになるという場合です。
ですから、自分がひかれるものに対して、
「動機」を見つめるということもまた必要で、
ときには、自分の「弱点」とじっくり向き合うことも大切だなと思うんです。
そうして体験をしながら、自分のさまざまな側面を知ってはじめて、
「私は、そんなことも見えていなかったのか!」
と……状況への新たな理解や、他者の別な側面も見えてきたりして。
すると、人間はますます謙虚になりますね。
これは、「時間が経過するとわかることもある」という話にもつながりますが。
ちょっと考えてみてください……
あえて、この体験の中に“フォーカス”してやっていること、人生を、
ただ通過させるのも自由だし、ぎゅっとエッセンスをそこから吸収するのも自由。
あなたはどう生きたいですか?
それでは、また次回☆
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