こんばんは~☆
日本の歴史&神話関連の記事、
書きながら私もどんどん「こうかな?ああかな?」という可能性に気づいて、
もちろんその中には、簡単には確定できないことが多くあって、
細部を調べていったら、果てしなくも面白い作業になると思うのですが…
ここでは、おもに考古学的なことをやりたいわけじゃなく、
夢をきっかけに始まったこの探求には、
今、伝えたい本質的なメッセージが込められていたのだということを、
連載しながら自覚することになりました。
そこで、今日のタイトルは「グランドフィナーレ」。
「日本神話関連」のテーマが終了するわけではないのですが、
この辺から、通常運転の記事とまじえながら書いていこうと思いますので、
一応のまとめ、本質的なメッセージをお送りします。
思いがけない形で、夢をきっかけに始まったこの探求。
そのおかげで、これまで不思議に思っていたことが次々と解決しました。
たとえば学生時代、日本史や古文の勉強をすればするほど、
「なぜ、日本は重要な古墳を調査しないのかな?
古墳をよく調べることできっと、歴史がもっとよくわかるのに…」
と、不思議に思っていました。
その頃、教えてくれていた先生たちから与えられた答えは、
古墳は天皇の墓で、天皇家に関わることだから、開けられない。
宮内庁が許可しない「皇室タブー」のひとつである、ということでした。
しかし、世界的にみても貴重な「遺産」です。
エジプトだって、王の墓を研究することで考古学上の発見をしています。
他国でも、そうではないでしょうか。
もちろん、調査するときの遺跡の「保護」は大切ですし、それは前提として。
天皇家の墓だからという理由で、このまま埋もらせていていいのだろうか…?
と、不可解に思っていたのです。
ですが、今となっては、
開けたらまずい理由があるからなのだなぁ、と思っています。
記紀や現状の“歴史”と一致しない記録は必ず、どこかから見つかるでしょう。
そして、それは今まで私たちが信じてきた日本史の内容を変えることになります。
歴史の中では、色々なことが起こります。
中心的権力も、色々な所へ移り、様々な人の考えが反映されます。
起こったことそれ自体に、よい・わるいの評価などありません。
さらに、
その時代を生きた者の中に、「歴史をつくっていない人」など一人もいません。
参加している者たち全員が、歴史をつくっているのです。
今を生きている私たちもそうです。
そろそろ、これまで公にならなかった歴史も認識されていい頃。
その、ときがきた。
転換期。ある意味では、時効。
それを現代の現実に「起こす」ことができるのは、
今を生きる私たちであると感じています。
見たい、知りたいと望めば…
それは現実になる。
☆☆☆
自分たちの参加し、築いてきた国を見守っている存在は、
現在の日本をどのように眺めているでしょうか。
原発のことも含めた日本のこれからを、どう考えるでしょうか。
宝物のような、天塩をかけ育ててきた、大地と国。
開墾し、失敗もあり、模索しながら、築いてきた暮らし。
…私は、今回の探求のおかげで、
日本の神道は、本質的に先祖を敬う信仰であるのだなぁとわかりました。
自然崇拝の側面もあるでしょうが、祖先を祀るという部分は大きいのです。
かつては、神社の「神様」が西洋でいうところの「God」と一緒だと思っていたので、
(お恥ずかしながら…汗)
たとえば「神無月」に神様がいなくなるとか、神道の神様にまつわるあれこれは、
意味がわかんないな~、と思っていました。
私の思うエッセンスである神とは内にも外にも偏在するものであり、
そんな都合なんて、あるわけがなかったからです。
ところが、「祖先を祀る」という考え方を知ると、すべて納得がいきます。
例にあげた「神無月」は、出雲では「神在月」というそうです。
それは元々、長たちが年に一度、陰暦十月に出雲に集まることを指していました。
長たちはその年の作物の収穫について確認し合い、
少なかったところには多かったところが分けるというように、
収穫物の分配を話し合ったそうです。(以前ご紹介した富氏の伝承より。)
長が出雲へ出かけ、治めている土地を空けるので「神無月」。
つまり、長=「神」です。
また、出雲へ集まるということは、出雲が中心だったということを表していますね。
出雲の末裔の物部氏が「王」ではなくなっても祭祀を担当する性質があったのは、
また、歴史で伝えられているように仏教を導入することを反対したのは…、
元々の自分たちのやり方が消えてゆくことを、危惧したのかもしれませんね。
☆☆☆
◇現在の伊勢神宮とは何か、そして「元伊勢」とは。
◇私が夢でみた「おかがみさま」と「草薙剣」の受け渡しの意味。
◇それから、アメちゃん(古代エジプト)の話のときに書かずに終わらせた、
宇宙文明と古代史との繋がりについて。
…今後、これらについても書いていこうと思っていますが。
まず、私たちひとりひとりが歴史に参加しているという視点から、
これは誰かの(よその)世界ではなく、「私自身の世界」でもあるのですね☆
ひとりひとりが亡くなるときに、自分は、
あぁ、いい歴史、いい世界を築けたな、と思えるか。
グランドフィナーレを迎えられるか。
今“生きている”私たちだからこそ、忘れがちな視点を、
「歴史」から思い出させてもらっている気がしてなりません。^^
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