こんにちはー!
今日は若干、「巻き」のペースで、(≧▽≦)
前々回予告していた、物部氏、蘇我氏のお話と、
「聖徳太子」の話題まで…ひとまず、飛んでしまおうと思います!
☆昨日の記事☆でもふれたように、他にも多くの氏族があるわけですが、
今回の流れでは、物部氏と蘇我氏にフォーカスしています☆
☆☆☆
前々回の記事☆「ニギハヤヒと大国主の国譲り」☆で、
私が、「物部氏と蘇我氏は同祖である」と考えていることを書きました。
色々調べているうちに自然とそう感じるようになったのですが、
とくに、武内宿禰や、国譲りの流れへのエピソードを調べていたときに、
「神武東征」の中のこんな話を見つけ、その考えは強まりました。
◆「神武東征」ウィキペディア
神武東征の話の中には、こうあります。
カムヤマトイワレビコ(神武天皇)は、東に美しい国があるということで、
そこで都を作ろうと、日向の高千穂から東征に出た。
その先で、戦いの相手となったのは、ニギハヤヒに仕えるナガスネヒコだった。
◆長髄彦(ナガスネヒコ) ウィキペディア
ナガスネヒコは、神武天皇に尋ねます。
「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。
それが私の仕える、ニギハヤヒノミコトです。
天神の子がどうして二人いるものですか。
なぜ、天神の子と称して人の土地を奪おうとするのか。」
と。
神武天皇は、
「天神の子は多くいる。お前の仕えている君主が本当に天神の子ならば、
そのしるしとなる物が必ずあるだろう。互いに見せ合おう。」
と言い、
ナガスネヒコはニギハヤヒの羽羽矢と歩靫(かちゆき、矢をおさめる物)を見せた。
すると、神武天王はそれを偽りではないと認め、自分も同じものを見せた。
…ということは…ですね。
神武天皇と、ナガスネヒコの主であるニギハヤヒは、
同じルーツを持つ者である
と、このストーリーで示されているんですね。
今までの記事で、神武天皇と武内宿禰(蘇我氏の祖)は同じ人物であること、
そして、ニギハヤヒは物部氏の祖であることをご説明しました。
つまり、ニギハヤヒ(出雲系、大国主他)と、武内宿禰はルーツが一緒。
こう見ると、出雲の「国譲り」の話も、最終的には、
元々のルーツが一緒だからこその講和の決断だったのかもしれない…
とも、思います。
さて、それでは両者共通の「ルーツ」とは、一体?というと。
海人族というのが、それに当たると思います。
元々は、海を渡って日本の地に渡来した一族ということです。
最初は九州に上陸したのかもしれませんね。
昨日の記事☆「クナト、アラハバキ、出雲神族」☆の中で、
スサノオもまた、海を渡ってやってきたのだというお話をしました。
日本の地では、別々に栄えていった二者ですが、
辿っていくと同じ海人族であったことがわかるということでしょう。
ちなみに、卑弥呼系の国の人々(後を継いだ台与も)は、海人族に対して、
陸地・山系の人々ということができそうです。
そして、武内宿禰の関連で度々例に出した◆「気比神宮」ですが、
記紀が編纂された後に神功皇后や仲哀天皇、武内宿禰らが合祀されましたが、
ここで再びよく注意して情報を見直してみると、
主祭神の「イザサワケ」は、元々は当地で祀られた在地神、
特に海人族によって祀られた海神であるとも言われているそうです。
気比神宮のある敦賀が、出雲族の土地だったにせよ、
あるいは武内宿禰の勢力下の土地だったにせよ…、
海人族の祭神ということならば、どちらにしても辻褄が合いますね!
まとめると…
ひとりの人物に様々な架空の名前を付けては、
その人物ごとに架空のストーリーがそれぞれあるので混乱しますが、
結局、
神武東征の話でニギハヤヒが神武天皇の配下に入るという展開も、
大国主の国譲りと同じ出来事を指していると思います。
なぜなら、今まで見てきたように大国主=ニギハヤヒでもあるからですね。
☆☆☆
それでは、改めて考えてみましょう。
物部氏と蘇我氏が、海人族という同じルーツを持ち、
別々の形で発展しつつも、最終的には役割分担し、協力する形で、
やまとの国を築いたのだとすれば…
私たちが歴史で習った、
物部氏と蘇我氏という豪族同士の争い、
その結果としての物部氏の没落、
そして中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を討った「乙巳の変」と、
それに続いて行った政治改革、「大化の改新」…
これらは、そのままの話として受け取れるでしょうか?
まず、蘇我氏は「大王」、つまり当時の国王であったわけで、
(天皇という呼び名が使われる前のことです)
「乙巳の変」は決して、力のある豪族を皇子が倒した話ではなく、
むしろクーデターを起こし、王を討ったのが、
中大兄皇子と中臣鎌足(のちの藤原氏)とされる人物です。
ええっ!?
王が蘇我氏だったということは…(°д°;)
と、気づいた方、いらっしゃいますか?
そうしたら、かの有名な「聖徳太子」って誰なのでしょう?
架空の人物と言われることすらある、謎多き聖徳太子ですが…
私は、蘇我馬子だと思うのですね。
あるいは、蘇我入鹿という説もあります。
聖徳太子はデフォルメされていかにも伝説っぽくされていますが、
功績を残した(そのまま残っていると都合の悪い)モデルがいるからこそ、
該当する架空の人物を作らざるを得なかったのです。
該当する王は、馬子か、入鹿か…蘇我の誰なのか?
そう考えるときに注意したいことは、
伝えられている蘇我氏の名前やストーリーですら、
本当ではないようだ、ということです。
名前ひとつとっても、蘇我馬子、蝦夷、入鹿と、
当時からすると侮蔑の意味を持つような名前があてがわれました。
(こんな事情を知らず、かつては変わった名前だなぁ~と思っていました。)
王としての功績をすべて消すために、
本当は起こらなかったことや、別人が起こした出来事を、
蘇我氏のこととして伝承している可能性が高く、
名前を変えてしまったり、ひとりの人物が複数人のように書かれたり、
嘘の話があったり…というのは、
今までの神話のストーリーでも見てきた通りです(^^ゞ
今日はここまでです!☆彡
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