こんばんはー。
今日はどーんと、夕方のお気に入り雲の写真から!
大きい鳥みたいな形の雲と、夕日に照らされ流れ星のような雲のコラボ。
この写真、よく見ると鳥型の雲の下に、飛んでいる鳥も写っていたよ!
(黒い点のように見えますが)
夕暮れで燃えているような富士山方面の雲でした。
今日は「死んでも終わらな~い」というタイトルをつけました。
タイトルの調子は若干、ゲゲゲの鬼太郎の歌を意識してみたんです(笑)
水木しげるさんが亡くなられましたね。
このブログでも、一度、◆「精霊、カチナ、妖怪」という記事の中で、
水木プロダクションのツイッターをリンクで紹介させていただきました。
ときどき覗くと、水木さんの元気なご様子を拝見することができたのですが…
この人間界からは、ついに去られたのですね。
逝去されたというニュースをきっかけに、ネットでも、
水木しげるさんの名言やエピソードを多く見かけます。
私も、過去には水木しげる展に行ったこともありましたし、
どこかに水木さんのインタビューが載っていると興味深く拝見するなど、
水木さんはまぎれもなく、「個人的に好きな有名人」のひとりでした。
もちろんそこには尊敬の念もありますが、
私が最も共感を寄せ、親しみをおぼえたのは、
多く取り上げられているような功績や名言についてではなくて、
どちらかというと、ずっと「自分のままでいた」人生の姿勢、
大変な時代や状況を経験しても、芯では自分であることを貫いた、
それを捨ててまで別の自分になろうとしなかった…
というような点に、大変共感しているのです。
たとえば、私を勇気づけたエピソード。
水木さんは、幼少期から眠りに弱く、
いつでも1分でも長く眠ろうとしていた…という話。(^∇^)
私も、ブログにも書いているように、
眠ること、そして眠りの中の夢が、人生を通して不可欠でした。
人より多く、それを必要としていたかもしれません。
でも、その姿勢や私の感じている価値観は、あまり周囲には理解されず、
うっかりすると「怠け者」扱いされることもあったものでした。
(眠ること=怠ける、という発想。長く起きていることが勤勉という価値観。
そしてまた、眠りの間の夢なんて「夢なんだから」くだらないという評価。)
なので、エネルギー切れになることなくフルにこの現実で長時間活動できて、
睡眠はなるべく短く、それでもしゃっきり起きて、元気に動ける、
そんな状態になれない自分は、「落ちこぼれ」のような気持ちにもなりました。
でも、水木さんのような大家が、
「眠りは大切です。」
とおっしゃった、そのことがとても嬉しかったし勇気をもらいました。
あー、自分を無理矢理変えるのではなく、自分を貫いて、
ついには、周囲を納得させてしまうこともできるんだ!と。
それから、水木さんは、戦時中の南方ラバウルでのご経験からか、
生活の拠点は日本であっても、“日本人”という枠の中のみでの、
アイデンティティーにこだわっている感じを受けなかったことも、
私にとっては魅力でした。
食のお好みひとつとっても、和のお菓子等も楽しむ一方で、最近まで、
ピザやハンバーガーなどのアメリカンフードも好んで召し上がっておられた、
そんな私生活のご様子を、写真で拝見するのも楽しかったです。
ま、これも私が元々、日本人であっても「和食一辺倒」になれないもので、
共感することなのでしょうけど。
…こんな風に、妖怪についてや他の作品についてだけでなく、
水木さんの存在自体が、私にとっては何か「キラリ」と輝く存在でした。
だから、「亡くなられたことを悔やむ、惜しむ」という気持ちよりも、
どちらかというと、今までいてくださってありがとう、
という気持ちがメインで、「大往生」という思いが湧くというか…
お疲れさまでした、あちらの世界でも存分に楽しんでくださいね!
と、感じています。
私たちは、死んでも終わりじゃないから。
この現実にだけフォーカスしている視点から見れば、
ある人の人生は、「死」をもって終わりになります。
でも、存在は続き、形を変え、表現を変え、活動をします。
それは、今よりも「前」とか「後」に起こっていることではなくて、
ほんとうは、誰もが今も、同時にすべての立場でもあるということです。
あなたは、自分の「死」でもあるし、「生」でもあります。
そしてその根本にある「存在」は、生とか死という表現に関係なく、
ずっと「存在しています」。
私が子供の頃、ゲゲゲの鬼太郎のテレビ放送時の歌詞の中に、
「お化けは 死なない~」
という一節があったのですが、
私たちも実は、「肉体表現をしている霊」なので、やはり死にません(笑)
死と呼ばれるものは、ある意味では、舞台で演技をしていた俳優が、
出番を終えて舞台裏へ引っ込むようなものです。
ただ、ここで考えていただきたいのですが、
この俳優は、一体「誰」なのでしょうか。
舞台の上では、ある名前を持つ、特定の人物を演じたかもしれません。
ところが、別の劇の中では、全く別の人物を演じるでしょう。
そのときには舞台設定も、性別も、外見も、性格もまるで違うこともあり、
それでも、俳優は、劇の中の自分を目いっぱい演じながらも、
「私が誰であるか」
という本当のことを忘れることはありません。
舞台に出ている間の自分も、紛れもなく自己の表現ではありますが、
多数の劇に出演し、なおかつ、舞台に出ていない間や、
特定の演技から退場した後にも存在している「私」こそが「私」なのです。
2つのブログランキングに登録中☆
1日1回のクリックで応援してね♪
精神世界ランキング
人気ブログランキングへ
スピリチュアルカウンセリング個人セッション
対面、スカイプ、電話でお話しします
「個人セッションについて☆」