BEATS AND LOVE

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死んでも終わらな~い

こんばんはー。

今日はどーんと、夕方のお気に入り雲の写真から!



大きい鳥みたいな形の雲と、夕日に照らされ流れ星のような雲のコラボ。






この写真、よく見ると鳥型の雲の下に、飛んでいる鳥も写っていたよ!
(黒い点のように見えますが)


 



夕暮れで燃えているような富士山方面の雲でした。



今日は「死んでも終わらな~い」というタイトルをつけました。

タイトルの調子は若干、ゲゲゲの鬼太郎の歌を意識してみたんです(笑)


水木しげるさんが亡くなられましたね。

このブログでも、一度、「精霊、カチナ、妖怪」という記事の中で、

水木プロダクションツイッターをリンクで紹介させていただきました。

ときどき覗くと、水木さんの元気なご様子を拝見することができたのですが…

この人間界からは、ついに去られたのですね。


逝去されたというニュースをきっかけに、ネットでも、

水木しげるさんの名言やエピソードを多く見かけます。

私も、過去には水木しげる展に行ったこともありましたし、

どこかに水木さんのインタビューが載っていると興味深く拝見するなど、

水木さんはまぎれもなく、「個人的に好きな有名人」のひとりでした。


もちろんそこには尊敬の念もありますが、

私が最も共感を寄せ、親しみをおぼえたのは、

多く取り上げられているような功績や名言についてではなくて、

どちらかというと、ずっと「自分のままでいた」人生の姿勢

大変な時代や状況を経験しても、芯では自分であることを貫いた、

それを捨ててまで別の自分になろうとしなかった


というような点に、大変共感しているのです。


たとえば、私を勇気づけたエピソード。

水木さんは、幼少期から眠りに弱く、

いつでも1分でも長く眠ろうとしていた…という話。(^∇^)

私も、ブログにも書いているように、

眠ること、そして眠りの中の夢が、人生を通して不可欠でした。

人より多く、それを必要としていたかもしれません。


でも、その姿勢や私の感じている価値観は、あまり周囲には理解されず、

うっかりすると「怠け者」扱いされることもあったものでした。

眠ること=怠ける、という発想。長く起きていることが勤勉という価値観。

そしてまた、眠りの間の夢なんて「夢なんだから」くだらないという評価。)


なので、エネルギー切れになることなくフルにこの現実で長時間活動できて、

睡眠はなるべく短く、それでもしゃっきり起きて、元気に動ける、

そんな状態になれない自分は、「落ちこぼれ」のような気持ちにもなりました。


でも、水木さんのような大家が、

「眠りは大切です。」

とおっしゃった、そのことがとても嬉しかったし勇気をもらいました。

あー、自分を無理矢理変えるのではなく、自分を貫いて、

ついには、周囲を納得させてしまうこともできるんだ!
と。


それから、水木さんは、戦時中の南方ラバウルでのご経験からか、

生活の拠点は日本であっても、“日本人”という枠の中のみでの、

アイデンティティーにこだわっている感じを受けなかったことも、

私にとっては魅力でした。


食のお好みひとつとっても、和のお菓子等も楽しむ一方で、最近まで、

ピザやハンバーガーなどのアメリカンフードも好んで召し上がっておられた、

そんな私生活のご様子を、写真で拝見するのも楽しかったです。

ま、これも私が元々、日本人であっても「和食一辺倒」になれないもので、

共感することなのでしょうけど。



…こんな風に、妖怪についてや他の作品についてだけでなく、

水木さんの存在自体が、私にとっては何か「キラリ」と輝く存在でした。


だから、「亡くなられたことを悔やむ、惜しむ」という気持ちよりも、

どちらかというと、今までいてくださってありがとう、

という気持ちがメインで、「大往生」という思いが湧くというか…

お疲れさまでした、あちらの世界でも存分に楽しんでくださいね!

と、感じています。


私たちは、死んでも終わりじゃないから。



この現実にだけフォーカスしている視点から見れば、

ある人の人生は、「死」をもって終わりになります。


でも、存在は続き、形を変え、表現を変え、活動をします。


それは、今よりも「前」とか「後」に起こっていることではなくて、

ほんとうは、誰もが今も、同時にすべての立場でもあるということです。


あなたは、自分の「死」でもあるし、「生」でもあります。


そしてその根本にある「存在」は、生とか死という表現に関係なく、

ずっと「存在しています」




私が子供の頃、ゲゲゲの鬼太郎のテレビ放送時の歌詞の中に、

「お化けは 死なない~」

という一節があったのですが、

私たちも実は、「肉体表現をしているなので、やはり死にません(笑)


死と呼ばれるものは、ある意味では、舞台で演技をしていた俳優が、

出番を終えて舞台裏へ引っ込むようなもの
です。


ただ、ここで考えていただきたいのですが、

この俳優は、一体「誰」なのでしょうか。


舞台の上では、ある名前を持つ、特定の人物を演じたかもしれません。

ところが、別の劇の中では、全く別の人物を演じるでしょう。

そのときには舞台設定も、性別も、外見も、性格もまるで違うこともあり、

それでも、俳優は、劇の中の自分を目いっぱい演じながらも、


「私が誰であるか」

という本当のことを忘れることはありません。



舞台に出ている間の自分も、紛れもなく自己の表現ではありますが、

多数の劇に出演し、なおかつ、舞台に出ていない間や、

特定の演技から退場した後にも存在している「私」こそが「私」
なのです。



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