こんばんは。
今回は、「出来事よりも中身を見る」というお話です。
こちらも☆この日☆と同じ、昔の写真。
あなたのお住まいの周辺の桜はどんな様子かな?^^
私たちは、自分の人生に対しても、
他者の人生や、入ってくる様々な情報に対しても、
「出来事」という外観によって判断してしまうことがあります。
たとえ「形」としては同じように見える出来事があったとしても、
ひとりひとり、ケースバイケース、
その出来事の中身はそれぞれ異なるのですが、
そのことを忘れて「ラベル」によって判断してしまうことがあるのです。
たとえば…
「離婚」というのはこういうことだ。
「クビになる」というのはこんな意味をあらわす。
「○○した」というのは、こういうことなのだろう。
など。
本当はそれがどういうことなのか、何もわからないのに、
その「意味」までもを自動的にセットにして解釈してしまうことがありますよね。
それが当人にとってどんな意味を持つか、
どのような経緯で起こったことで、
これからの人生にどのような貢献をしていくか…
誰にも、本来はわからないわけです。
でも、私たちは「理解した気になってしまい」、
「これこれは、こういうことだ」
「この出来事には、こんな意味がある(はずだ)」
と、考えがちです。
何かを理解するためには、正確に知るためには、
見えている「出来事」はほんの氷山の一角にすぎなくて、
そこに繋がっている多くの物事を含める必要がある…
と、そのことを自覚していると、
「何もわからないなぁ!」
と、認めざるをえなくなることばかりなので、不都合なのでしょう(笑)
でも、この不都合さは、きっとあなたを助けます!
あなたの人生を、「わかった気になって進める」。
あるいは、「理解した気になって世界を見つめる」よりも、
本当にはわからないんだよなぁ
という気持ちを持っていた方が、あなたは結果として、
自身の視野をひとところに固定せず、生きていけるでしょう。
ちなみに、「確かな答えがほしい」と強く思うとき、
言うまでもないことですが、あなたは迷っています。
真の理解や認識は、内から湧いてくる確信に裏打ちされたもので、
それがあるときには「探す」という気持ちにはなりません。
「これはこういう意味だ」と学んできた「記号」を取り上げても、
それでも残るものなのです。
それでも残るもの、は、
あなたの人生を制限するものではなく、
ものの見方を狭めるものではなく、
かえって広げるもの、自由度を増すものです。
真の理解は、あなたを制限せず、
あなたの視野を広げて自由さを後押しするものである。
このことを、覚えていてくださいね。
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