ここ1、2ヶ月くらいの間かな?もっとかな?
ずっと顕著に感じているのは、
「毎日が別の自分である」というはっきりした自覚です。
以前もその認識はあったし、論理的にもそうだと思っていたけど、
ここまで体感的にわかる実感は伴っていませんでした。
それが1日1日という細かい単位ではなく、もっと離れた過去についてなら、
完全に「別な自分だなぁ」と感じていたのですが。
過去の自分を見るときには、まっさらな気持ちで知らない人を見るように…
物理的データとしての「記憶」の情報を引っ張り出すことは可能であっても、
エネルギー的な繋がりが、もはや無いということを感じていました。
そのことは以前からであっても、
その「スパン」が、今、どんどん短くなっていっているみたいです。
たった昨日の自分でも、「延長上」にあるとは感じられない、と。
ほんの先週、何週間か前の自分のことを思い出しても、
情報としてはよく知っているはずなのだけど、
あまり「今の自分」とのエネルギー的な親和性、連続性を感じません。
先週はこうだったなぁとか、1ヶ月前はこんなだったなぁ、
と、心情も含めて思い出すことはできるのです。
ところが、「エネルギー・コネクション」がそこに強くは存在しておらず、
共鳴がなくて、「今」の自分と違う人であると感じるのです。
これはなかなか不思議ですよね。
言葉を変えると、
今というポイント以外からの影響(過去からの影響)が少なくなった、
ということです。
通常の感覚からすると面白いけれど、
こちらの方が本来の(自然な)意識のあり方でしょうね。
その要因として、特別、努力して何かをしたということはないのですが、
ただ、私はこういう情報を発信したり、個人セッションや講座をしている通り、
自分自身にも常に「観念」をウォッチングする姿勢は持っています。
ですから、この期間、意識的に多くの観念を入れ替えていた、
ということは言えるかもしれません。
その結果として、
より「今」にフォーカスするようになり、
よりナチュラルな自分のあり方にチューニングができてきた…
ということでしょう。
そして、驚きつつも笑えるのは、
記事にしたように私は、自分に合わないと前から感じていた体のお手入れ、
シャンプーやスキンケアの用品を使うのをやめましたよね。
すると、波紋が広がるように、日常の他の分野にまで、
さまざまな変化があらわれているんですよ。
それで実感したのですが、やはり人生というのは、
便宜上色々な分野に分けて考えることはできるけれど、
本当はひと続きの、全部つながった1つのものなんですね。
だから、生活の中のどこかを「不自然・不調和」のままにしていると、
人生の「別の分野」と思っているところ、他の箇所にも影響は出ているんです。
ただ、その「繋がり」を私たちは意識的には自覚していないので、
これを修正したら、こっちまで良くなるとは…!
という、驚きの発見となるのです。
私は、まさか自分にとって、
人工的な製品というか、シャンプーや化粧水といった身近なものが、
そうも負担になっているのだと考えたことはありませんでした。
これは化学物質がどうとか成分がどうとかの物理的なお話じゃなくて、
その「慣習」自体を含めて、エネルギー的に、ということです。
私はむしろ、それらを使う方が清潔にできて気持ちがいいはずだと、
実際にそう考えて信じて習慣を作っていたのですが、やめてみて、
えっ、こんなにも、なんだか元気になるなんて?快い気分になるなんて?
と、目からウロコだったのです。
では、今までは「負担だったのか…」と、それで知ったのです。
そして、私にとっては負担だったり・調和していなかったことを手放すことで、
他の感覚や分野にもポジティブな影響が出て、さらにびっくりしています。
もちろんここには、
「私」の一部である「体」への関心が新しい形で持てるようになった、
ということも一因になってはいると思います。
機械的に…慣習的に…
ただ決まった手入れを疑問を持たずに続けていたときには、
(快調か、不調という観点では気をつけていても)
「自分を見ているようで見ていなかったのだ」と。
どうしてこれをしているんだろう?とか、
本当に必要なんだろうか?しなければならないのだろうか?とか、
そういった疑問を持たずに、集合的な観念を取り込んで「眠っている状態」。
意識的に選択していたつもりが、その枠内での選択肢しか見ておらず、
ダイレクトに「私」を見ていたとは言い難いのではないかと。
体は、様々な形で「これはイヤ」と教えてくれていたのでしょうが、
「これはしなければならないこと」という観念が強いと、
その観念に従った行動の枠内で「対象物を取り替える」だけで、
観念自体を見直すことにはなっていなかったのです。
この具体的な余波で驚いたのが、体のリズムの変化です。
たとえば、睡眠。
私は睡眠はまとまった時間が必要な方で、
短時間の睡眠でも元気でいられるショートスリーパーの人が、
うらやましかったのです。
セスの本(ジェーン・ロバーツによるチャネリングの本)で、
「日常の睡眠は、一度に6時間の睡眠と(理想的なのは4時間)、
足りなければ昼寝のような2時間以内の睡眠を適宜加えることが、
体のためにも意識を活用するのにも良い」
(※睡眠パターンについては他にも色々書いてあるので、
詳しくはセス・ブック『個人的な現実』の本421ページを。)
ということを読んで興味が湧き、実践しようとした時期もあったのですが、
とても私には6時間では足りず、無理すると体調を崩し気味になるので、
なるべく連続で8時間は睡眠を確保しなければ…と感じていたのでした。
ところがどうしたことか、スキンケア&ヘアケアを変えてから、
そこまで長い睡眠時間を取らなくてもキリッと目が覚めてしまう。
そして、午後などの空き時間に眠くなったら、
短時間ひと眠りして、それでなんだか良い感じなのです。
この感じは、ひょっとするとまだ幼かった子供の頃以来かもしれません。
また、「食」についても、選ぶものが変わってきました。
これも意識的にそうしようとしているわけではなくて、
自然に手が伸びるものに変化が出てきている、ということ。
もちろん、新しいことを始めるということ自体が、
(それが生活の中の、体のお手入れ方法の違いでも)
気分として楽しいなとは感じていましたが、
ここまでの変化が起こるということは意外すぎて、突飛とすら感じます!
そしてひとたび、現在の自分のヴァイブレーションになってしまうと、
以前と同じ状態には、単に、戻れない。
別な選択をする自分は、別の人。
別な習慣を持つ自分は、別の人。
別な観念を採用している自分は、別の人。
すべてが別々の並行現実であり、別のヴァージョンの私です。
そのとき、フォーカスが移動し「世界まるごと」が別のものになっている。
あなたの人生の中で、ひとつの物事に変化を起こすと、
根本にある観念を取り替えると、他の部分にも変化は起きます。
自然と、そうなってしまうのです。
ですから、押しても押しても開かない扉を押し続けて苦闘するより、
身近なところから、あなた自身に波長を合わせてチューニングするといいですね。
変化のきっかけは、あなたにとって易しいことから始まります。
手の届く範疇にあるんです。
何か大きな変化を起こしたいときにも、このことを思い出してくださいね!
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