BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

死の観念を見直す

前回の「ルシファーのエネルギーを見直す」に続き、今回は「死の観念を見直す」です。

前回書いたようなルシファーの体験をしたということは、言い換えると、ルシファーという存在が象徴してくれた私自身の中の何かを受け入れ、融合していくプロセスになります。

もしそれを読んで何か心に響いた方がいらしたら、やはり、独自の形でプロセスが進行しているかもしれません。

私には、さりげない体験のようでいて、後からルシファーの示したエネルギーがじわじわ響いてきていることに驚きました。

それは思いのほか大きな影響で、自分の中が「シャッフル!シャッフル!」されているのを感じたのです。 

前回の記事はこちら↓

beats-and-love.hatenablog.com

これはまた大幅な「観念の入れ替わり」が起きているのだとわかりました。

今までも、多くの観念を入れ替えてきました。

その中には、観念についての記事や講座でもお話ししたように、私たちの体の新陳代謝や細胞の入れ替わりのごとく、自然に起こったものもありましたが、

人生の中で感じる苦しみなどに促され、そのCalling(呼びかけ・お知らせ)に応じる形で意識的に入れ替え、変容させてきた観念もあったのです。

それでもなお、今回のプロセスは新たなフェーズと感じています。

これからその内容を説明するのですが、ここでキーとなるのが、私たち人間に集合的に根付いている「死の観念」なのです。

ここでまた、死の観念と向き合うのかー!と思いました。
私個人の感触では、「死後どうなるか」をこれまで以上に、より外に向けてお伝えできるよう自分の中で準備している気もしています。
かつて以上に、それが受け入れられる時期なのだという感覚もあります。

「また」と感じたのはなぜかというと、私のスピリチュアリティーの来歴を簡潔に書いた記事にも言及があるのですが、昔も、それがキーとなったことがあったからです。

該当記事「私の過去の歩み」

beats-and-love.hatenablog.com

かつて“症状”として現れていたものの根源を見つめ、それが完治した後にも、まるで「最後の根っこ」のごとく、不定期にやってくる不可解な落ち込み・鬱を経験した時期がありました。

これは当然と言えば当然で、実はどんな「症状」も、人間の抱く、ある深い「絶望や恐れ」をカバーしているにすぎないからです。

そのようにときどき深く落ち込むことを、「生きていれば当たり前」と思って生きていくこともできたのかもしれません。
生きるのは悲しいことで、ときどき絶望を感じることは当然なのだと、漠然と信じ続けるという形で。

でも、私の「内なる叡知」はそれで満足しませんでした!
人生の体験を通して、心の体験を通して、見るべきものを示してくれたのです。

結論を言えば、その「最後の根っこ」的な落ち込みは、私が
あ、本当に死はなかったんだった!
と、心からわかったときに消えました。

「知識でそう理解する」じゃなく、本当にそうだと自らわかったときに。

それまでだって亡くなった人との交流を夢の次元で体験したり、色々気づかせる体験はあったのですが、自分自身がどう認識しているかとは別だったのです。

また、私の場合は死にまつわる恐れと言っても、自分自身死ぬのが怖い…というものとは違っていました。ずっと、そちらへの恐れはなかったのです。
それより愛する人たちとの「死による離別」が怖かったり、ある時期まではいわば、自分が「この世界に無意味にいることへの恐れ(自分の存在に対する罪悪感)」の方が大きかったりしました。

死の観念からの影響は、人によって様々な形を取りますよね。

たとえば、
最終的に「死ぬ」ということを思えば、すべてが無駄なんだとむなしくなる人もいるかもしれないし、
何かつらいことがあると、「死んだら楽になる…」と、死を「逃げ道」のように考える癖のある人もいるかもしれません。
逆に、「死を回避する」あらゆる防衛手段を考えるという形で、不安で消耗する人もいるかもしれません。

「恐れ」の根っこをたどっていくと、「死」の観念がひょっこり現れるというのはよくあることです。
人間の様々な感情が、死の観念に基づいて生まれます。

現代社会でおおよそ信じられている死生観、死の概念に同調して生きていく限り、死の先は「未知」であり、「喪失」でもあり、恐れから自由にはならないでしょう。

つまり……「死」を、「生」の対極と考えるからです。


そう、ここで今回、ルシファーが私に投げかけてくれた「観念の見直し」が表れます。

それは、二極に分かれた概念を創造者の視点で見直すということです。

「存在」の観点からは、生と死は「対極」にはなりません(笑)
存在は、存在し続けるからです。
状態は変化しても、それは移行、シフト、「フォーカスの移動」にすぎないのです。

人間の世界にも映画や演劇といういいメタファーがあります。
(役者は色んな役を演じますが、各役を演じ終えても存在しています。)

違いは、私たちが舞台上の役者であるだけでなく、自分の意識で舞台設定から脚本から何から何まで「自分の中で」創っているということです。さらにそれを鑑賞する観客ですらある。


私たちはこの世界で、二極の観念にあまりにもなじんでいます。

あなたが自分を成功者と考えるなら、失敗者も存在することになるし、
あなたが自分を失敗者と見なすときには、成功者も存在するということになります。

自分を不幸だと思うなら、幸福をどこかに想定しているはずだし、
幸運を喜ぶとき、不運がどんなものであるかという概念も持っています。

創造者としてのあなたは、対極にある概念をセットで生み出すことに長けています。
自分の意思が先にあることに注意!

自分がどちらかを体験すると決めたなら、同時にその「相手役」も一緒に創らなければ体験ができません。

もちろんこのことも、知識として理解している方は多いかと思いますが、本当にそれがわかると、ぐらぐらきますよね(笑)
意味を熟考するととても面白いばかりか、多くの観念が揺らいで入れ替わっていくはずです!

自分をどちらかの極に置き、誰かや何かをもう片方の極に置いて見るとき、「こちら側」と「あちら側」という認識で眺めますが、その幻想から目を覚ますことはできるでしょうか?

私たちに与えられた「命綱」とも言えるモデル、夢の世界の見方を活用してください。

あなたの夢の中で起こっていることは、どちらの極もあなた自身によって創り出されたもの。
あなた(「私」)はまるごと夢(現実)を創っている者です。

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当日受付はございませんので、事前にお申込みくださいね。↓

4/22(土)「インナーフォーカス~意思決定と現実~」

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