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BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

語学で複眼的な世界を味わおう・ヒップホップ編

雑記・音楽

今回は、「語学で複眼的な世界を味わおう・ヒップホップ編」

金輪際、英語とは関わるものか!という思いを強くした高校留学後、どういうわけか英語が必要な仕事にガンガン関わり、海外との縁は切れず、好きな音楽までアメリカのラップやR&Bという「結果として英語が好きな人みたいになっちゃった」私が、こんなテーマでお届けします(笑)

外国語を学習中の方や、英語の歌やヒップホップが好きでそのまま意味を理解したい人に自分の経験や気づきをシェアします。

私の場合、かじった程度の他の言語を除くと、使えるのは英語のみですが、そこから他の言語を使うことで広がる複眼的な世界についても語りますよ。
最近の関連記事では、「翻訳の不自由さと楽しさについて語ってみよう」もどうぞ。↓

beats-and-love.hatenablog.com

言葉と生活は切り離せない

言葉って、文字にできるし「形」に属しているように考えがちだけど、実は、使う人のフィーリングや体験ありきで、そのほんの一角をラベル付けして表し、共有するためのもの。

リンク先の記事でも、体験や文化と言語は切っても切り離せないということに言及しました。

私も昔は、特にそんなことを考えもせず、学校や塾で習うままに英語を勉強して、「学習している」つもりでいたんです。
さらに高校生のときアメリカ留学をして、現地で「全然、思うようにコミュニケーションできない!」という体験をした後も、社会人になって、英語が必須の仕事への責任感から参考書や教材を買って積み上げていたときも(笑)、今ほど、
「使う言語によって、別々の世界があるんだ」
という視点に気がついていませんでした。

それについて深く考え、認識するきっかけになったのは、やはり仕事で通訳や翻訳の機会が増えてからだったかもしれません。
以前も書いたように、ある言語を別の言語に訳すということは「イコールの関係」ではなく、「置き換え」の作業だったからです。

この意味で、通訳や翻訳の作業には、「母国語の語学力・文章力」が絶対に必要です。
それと、両方の言語の文化をある程度知っていることも。(とてもテクニカルな専門分野となると話は違ってきますが。)

それから、語学を誰かに教わるときには、教わる相手は必ずしもネイティブでなくてもいいのですが、あなたの身につけたい言語が使われている現地に「住んで生活していた」ことがある人をお薦めします。
たとえば、日本にいながらにして英語の堪能な人は多くいますし、何度も海外に出張や旅行で滞在しているという場合もあると思います。
ただ、旅で訪れるのと、そこに住んで生活した経験とは違います。住むと、その文化の人たちの世界観や視点を身を持って共有しやすいです。生活のあれこれをおのずと、現地の文化の中で経験することになりますからね。

コミュニケーションのための合意が言語

子どもの頃、自分たちだけの言葉を作って遊んだことはありませんか?
「私たちの間では、これはこう呼ぼう。これをこう名付けよう。この現象は○○と呼ぼう」というように。小さいお子さんを育てている方や、バカップル(笑)の間でも、「自分たちだけに通じる」ユニークな言葉を経験したことがあるのではないでしょうか。

2人の間で、家族内で…というように共有する人数は少なくても、それも新種の言語ですよね。そして、お互いがその意味をわかれば、合意していれば、コミュニケーションのツールになるのです。

この「合意を理解する」ということが、キーになります。

例:反対言葉の世界

たとえばアメリカのラップを聞いていると、主に黒人の人たちのスラングが多く使われているわけですが、元が悪い意味の言葉が良い意味で使われるという「合意」の傾向に気づきます。
たとえば、「Baddest Bitch」といったとき、これは女性へのほめ言葉です(気軽にマネしちゃまずい部類の言葉ですけどね。以下同文)。「ill」は病気ではありません、かっこいいのです。類語として「sick」もその意味で使われます。「ridiculous」も馬鹿げた、ではなくて、すばらしい!などの意味を持つほめ言葉ですよ。

もちろん、悪い意味の言葉→良い意味の言葉とただ転じることができるわけではなく、色々なニュアンスがあるのですが。

多くの人が聞いたことはあるであろう「マザファッカー」も、悪口のときもあれば、悪口じゃないときもあります。以前記事にした「足並み揃える必要はない~Lil Wayneのニュースに思うこと~」に出てくるのもそれですね。↓

beats-and-love.hatenablog.com

大体の場合、「マザファッキン」は強調や「great」のような感じで、讃える意味を持っており、マザファッカーもそれに準ずる使われ方をしています。
上の記事のリル・ウェインの場合は「great man」もしくは単に「man」の意味、どちらとも取れるので両方を書いておきました。
言葉の意味もどんどん変わっていて、昔はそのように用いられていなかったかもしれないけれど、少なくともリル・ウェインの動画を見ていると、「マザファッカー」を「人」という意味で使っていることがあります。たとえばライブの観客に、今日は来てくれてありがとう!と呼びかけるとき、文脈的にguysやpeopleになりそうなところを「motherfuckers」と言ったり。※後ほど、motherfuckerに「友達」や「仲間」という訳を見つけて、おお!となりました。その語は思いつかなかった。

これってニュアンスとしては、日本でもライブでわざと乱暴な言葉で愛を伝える、
「今日来てくれたみんな!お前ら、最高だぜ!!」
…というノリと似てるんじゃないかなと思います。乱暴なようでいて、込めている意味は相手を「讃えてる」。

とまぁ、こういう風にラップからスラングを理解していくうち、子どもの頃に妹と2人でしていた遊び、「反対言葉の世界」を思い出しました。
「今から、反対言葉の世界ね。」
「いいよ。じゃ、スタート!」
と、そこからは反対言葉の世界にいるつもりになって会話します。
単純に、言葉を引っくり返して会話するという「反対言葉」もやったことがありますが(例:時計→いけと)、言葉の意味だけを逆さまにするという遊びもよくやったのです。
時間が経って合意を忘れた頃が面白くて、不意にわざと、「○○ちゃんって、ほんとバカだねー」とか言うと、ゲームを忘れているので「えっ!なんで」となります。
そこで、「反対言葉の世界!」と言って思い出させ、くつくつ笑うのです(笑)
子どもらしい遊びと言えばそうですが、悪い意味の言葉であればあるほど相手をほめているという傾向を持つスラングの世界のおかげで、これを思い出しましたよ。

語学から生まれる複眼的世界

先の項目内での説明もそうだったのですが、実は、ある言語を理解するとき、母国語に訳さないでその言語で説明する、という方が楽だったりします。
英語のスラングを説明するときは、日本語で説明するより、英語で説明する方が楽だし、わかりやすい。

これは、初歩の初歩のうちはきついと感じるかもしれません。
たとえば、英語を勉強するときに「わからない単語があったら英英辞典で調べること」と言われても、英語そのものの基礎が身についていないときには混乱のもとですよね。

でも、ある程度基礎がわかったら、英語は英語の世界のままで理解した方が簡単ということを体感できると思います。

なぜなら、ひとつの言語につきひとつの「世界」があるからです。
日本語には日本語の世界、英語には英語の世界があって、それらは別々です。
たとえるなら、物理的には同じ地球にあるように見えるけれど並行する別世界のようなもの。

「loaf(ロウフ)」という単語があります。「a loaf of bread」と言ったら、パンのひとかたまりのことです。食パン以外にも使えるのですが、たとえば食パンを指すなら、日本ではあの、立方体に近い形の「一斤」を思い浮かべそうなものです。
でも、これがアメリカなら、上は山状になっていて奥行きは細長い、小さめの食パンを思い浮かべます。袋に入っている市販の食パンであっても、断面の四角形は日本よりも小さく、奥行きがもっと長い(たくさんの枚数スライスされている)パンです。

アメリカの家庭で作る「a loaf of bread」の形を見たことがある人なら、「meat loaf(ミートローフ)」も、そういうことか、と納得ができます。「loaf」の概念を共有するのです。
※ちなみに私の滞在していた地方では記憶にある限りミートローフを見かけたことがない。loaves of breadは手作りするのを含めて日常的に見ました。

そのように自然と浸み込んで、身についていく世界があって、それは赤ちゃんが身の回りの概念を体験しながら育っていくのと同じです。

だから、あなたが母国語の他に言語を学んだら、その言語の「世界」がまるごとあなたの中に育っていくのです。

頭の中でひとつひとつ、「日本ではこうだよ」と置き換えてみることは可能です。でも、あなたの意識が別の世界にフォーカスされている間は、別の世界の出来事はその中で理解し、そこにある道具を使う。いちいち置き換えない方がスムーズに決まっています。

ラップや歌詞の言葉がわからないときにはこう調べよう

そんなわけで、ラップや、歌詞の言葉がわからないときには、なるべく「現地の言語」で調べた方がわかりやすいです。 
たとえば、アメリカのラップに出てきた言葉ならアメリカ版のヤフーなどで検索してみる。
このメリットは、付加情報も目に入ってくること。特に「商品名」である場合、写真付きで出てくるので理解しやすいです。

ラップには商品名がよく登場するので、辞書で調べても出てこない!スラングでもなさそうだ…となったら、まず商品名を疑ってください(笑)

また、スラングはどんどん変化するので、その使われ方になじむためには、現地の人たちのやりとりを見るのが一番です。

その点で、今はとても便利な時代になりました!
アーティスト本人のツイッターやインスタグラムなどを直に見ることができ、そこで使われている語、表現、コメントからも、意味を学ぶことができます。

Redditのような海外の掲示板を読んでみるのもありです。海外の面白い話題を載せている日本のサイトは、よくここからネタを見つけてきています。

Youtubeなどの動画も役に立ちますね。
現地の番組やインタビューを見れば、ある言葉を口にしたとき、前後がどんな文脈かという情報の他に、その人の「表情」も見ることができます。
すると、「あ、これはドヤ顔で言っているから、自分を卑下しているんではなくていい意味で言っているんだ…」とか、「このシチュエーションならほめているんだな」など、わかるわけです(笑)
その上、映画やドラマよりも計算されてない、あらかじめ作られてないせりふが多いのでより実地の感じがわかります。

そして、それらを見ているとき、「日本語に訳して理解しよう」とトライする必要はありません、自分で意味がわかればそれでOK、という感じで接してみてください。

そのように少しずつ、少しずつ、あなたの中に別の言語の世界を育てていくと、ごく自然な「スイッチ」ができるような感じになります。
「モード」と言ってもいいかもしれません。
特に意識して切り替えなくても、日本語と接しているときは日本語のモード、英語と接しているときには英語モード、というような感じで行き来することができます。

そして、ひとつの体を生きながら複数の世界を同時に見ているような「複眼的な」感覚を味わうことができるのです。

これはとても感覚的で、空気のように自然なので、この視点からは、日本人による英語解説本などでときどき見かける(特に口語表現について)「文法的にはこうなのに、こう表現されているのは、これこれの変形か」…などの説明・分析がおかしな感じに思えます。
例に挙げた「自分たちの合意の言語」を作る遊びと同じように、体感的に言葉を習得しているので、頭で考えるわけではなく感覚的に意味を汲み取ることができるし、応用も感性で理解できるわけです。すると、そういう解説がちょっと的外れに思えるはずです。


今回の記事、これから言語を学ぶ方や今学んでいる方が、ただ「勉強する」という以上に生き生きした世界、同時にある文化をより楽しめる一助となれば幸いです♪

☆おまけ☆
リル・ウェイン、火星出身だってよ…(ざわ、ざわ)↓
参照(位置情報)Lil Wayne WEEZY F (@LilTunechi) | Twitter


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世界にピントが合う

夢、明晰夢、体外離脱

かつてと比べて著しい変化と感じるのは、睡眠中の「夢」の世界と、身体が起きている間の「現実」の世界との、意識内の境界が薄れたことです。

それは別に、現実が夢のように曖昧になってしまったという意味ではなく、むしろ以前よりもこの現実という世界には鮮やかに「ピントが合っています」。

私にとって、夢と現実を分ける意識上のギャップ、実在はしないけれど意識によって作り置いた隔たりを融合することは、漠然としたテーマになっていました。
が、それがすでにぴたっと合わさっているのを感じています。


まず、「夢」と言ったときに思い描く体験や印象が個人個人によって異なるでしょうが、私の場合は夢は、起きている間の現実よりも鮮やかで広がりのあるものです。

起きている間の現実では一般に、私たちが合意している物理法則などのルールに沿った体験をしていますが、夢の世界では、それがある程度反映されつつも、縛りはゆるいと想像してみてください。

もちろん、夢にこちらの現実のルールを反映しているのは自分自身、起きている間のフォーカスになじんでいる私たち自身の意識です。
「外側に」確固とした形でルールが存在しているわけではありません。

夢は夢、現実は現実、とはっきり分かれていることが、現代の「大人」の認識では当然のこととされていますが、赤ちゃんや幼児の頃、この境界はそこまではっきりしていませんでした。自らだんだん、意識を訓練しながら、この世界にフォーカスするよう馴らしていくのです。

それはおおまかに言うと、一種類のものの見方のみに合わせられるよう練習するようなものです。バラの花と言ったら、どんな輪郭で、どんな手触りで、色は…など、他の人たちと合意しているバラの花を知覚することができるように。
バラの花をエネルギー構造として眺めたり、生きた精霊として体験したりすると「異端」になってしまうので、そうならないよう一種類のものの見方を選択し、そこにのみダイヤルを合わせ、規定通りに翻訳することでこの世界に「適合」します。
もちろん、そういう見方をあえて選択しない人もいるのですが、現代文明では問題や異常のように見なす傾向がありますよね。


そういった経験を一通り味わった後に改めて、はたと、あなたは自分の意識の奥深さや広がりに気づき、必ずしもこの世界の見方に限定しなくてもいいのでは…と考えたり、他の次元や並行する世界、意識内にある様々な視点に興味を持つかもしれません。

すると今度は、いったんあつらえた「ピント」をゆるめて、自分の意思で向けたい方向へフォーカスを向けられるんだという自覚を回復します。

あなた自身が訓練して手にした「この世界仕様、自動運転モード」ですが、いつのまにかそれが他に選択肢のない初期設定であるかのように勘違いしてしまったので、
「いやいや、これを設定したのは自分だったよ!」
ということで、フォーカスの使い手であった自分自身に自覚が戻るのです。

そうなるまでの間は、「これ、誰が運転してるの!?ねぇ?運転手は誰??」と、きょろきょろすることになります。
眼鏡をおでこにかけたまま、眼鏡を探している人のコントのように…(笑)

そういったボケボケ状態のとき、人は「外」に運転手を探してしまうので、たとえば「自分とは別に存在する神」という概念を作ったりもしました。
すると、自分の意思や感じていることに確信が持てなくなりました。

誰かに代わりに答えを出してほしい…!
神様は、何て言っているの?
祈りに対する答えを!

でもそのとき、本当にあなたが話しかけているのは、自分自身に対してです。

…こういうことは過去記事にもいっぱい書いてきましたが、では、
あなたが意識の広がりを認識したまま、改めてこの世界にピントを合わせたら、どうなるのでしょうか?

そこには、これまでとそっくりだけど、違う感覚を伴う世界が広がっています。
その感覚の違いを言葉にするなら…

「ここだけが特別」ではなく、「ここも特別」である、多くの中の一つである現実です。
でも、ここはここだけなので、他にも多くあるということが価値を減ずることだとは感じません。

あなたはこの世界に興味を持ちますが、この世界に囚われてはいません。
この世界を楽しむことに意欲がありますが、この世界の見せかけのルールにしがみつく必死さはありません。

この感覚をすでに実感している方は多くいるはずですし、そうなりつつある移行の感覚を味わっている方もいるでしょう。

そこに、ニューエイジ的な「型」は関係ありません。
いわゆる、オーラが見える、“見えない”ものが見える、○○とお話しできる……

そういう体験はあってもいいのですが、なくてもいいのです。
というよりも、誰もが、本人の自覚しない形であれ、すでにそういったコミュニケーションは常時しているものだと言えます。

それを意識化するか否かということは、あなたの人生にちょうどよい形で、あなた自身が調節しているものなので、そういう体験があるか・ないかを何かの目安や判定の基準に使うことはやめてくださいね。


あなたの内側にある、変貌自在ながらも完璧な世界図。
それは現在進行形で、あなたがあなた自身と相談しながら、楽しんで創っています。

そうと知っていること、あなた自身の持っている確かさが、「ここ」という夢を鮮やかにし、しっかりとピントを合わせてくれるのです。

 

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矯正器をつけました~歯のエピソード、その後~

日常風景・ライフスタイル

今回は、「矯正器をつけました~歯のエピソード、その後~」です。

以前からこのブログをご覧くださっている方の中には、覚えていらっしゃる方がいるかもしれません、「歯」のエピソードです。

かつて、歯科治療がきっかけで起こった一連の出来事について色々と気づきを書いた後、ある時期に自分の中で整理がついて、カテゴリ自体を消去しました。
「恩恵という視点から見ると…」という記事を書いたのがその最後で、↓

beats-and-love.hatenablog.com

その後、昨年12月に「調子が良さそうらしい。あと、ヒップホップの話。」という記事で、少しだけその後についてふれました。↓

beats-and-love.hatenablog.com

ひょんなことから始まった道のり。
経緯からざっと説明して、現時点での様々な発見もお話しします。

歯科治療から始まった経緯

6年半ほど前、一般の歯科で虫歯の詰め物を入れ替える治療を受けたとき、私には治療後の高さがしっくりこなかったので、何度か詰め物を調整してもらいました。左側の1本の奥歯の真ん中に詰めてあった、プラスチックの白い詰め物です。

そのときの歯医者さんは全体の状況を「かみ合わせ」の不調と判断し、事前の許可なく、左側上下6本の天然歯の部分、それぞれ噛むと当たるところを少しずつ削って「調整」しました。

私が希望したのは詰め物の高さの調整だけで、かみ合わせの調整や天然歯の部分ではなかったので、それを知らされたときにはびっくりしたし、歯科の椅子の上ではっきりとかみ合わせの「違い」が感じられて愕然としました。

何をしたの!?どうなっちゃったの!?と思うくらい、口の中の状態や顎のおさまる位置などその場で変化が感じられたのです。

その日、たまたま友達と約束していて夜ごはんを一緒にとったのですが、今まで何の問題もなかった食事がうまく噛めず、ただ噛みづらいばかりでなく、お肉など弾力や繊維のあるものが前歯でまったく噛み切れなくなったことに気づきました。
どうしても、元のように噛めない。食事をしていても冷や汗をかいて、ショックでまるでお腹に穴があいたかのような真っ暗な気分になりました。

慣れたらいいな、と思う願いもむなしく、いつまで経っても慣れないばかりか、脚を突っ張らせ力を入れながらでないと噛めなかったり、身体のあちこちが凝ったり、痛んだりするようになりました。

もちろんそのことを当時の歯医者さんには伝えましたが、そんなはずはない、少しずつしか削っていないということで、大学病院を紹介してもらったり、私も自ら他の歯医者さんを巡ったりしましたが、何ひとつ解決には繋がりませんでした。
(元の歯医者さんに頼るしかないのではと考え、そこで指定された詰め物を一気にやり直した時期もありましたが、ますますバランスがわからなくなり、怖くなって途中でやめました。)

まるでこちらの思い込みだと言わんばかりのひどい扱いをする歯医者さんもいれば、親身になって診てくれ、解決策を考えた結果、「元の状態に戻す手立てはない」と残念そうに伝えてくれた歯医者さんもいました。

かみ合わせに詳しい歯医者さんやちょっと珍しい歯医者さんも含め、たくさんの歯医者さんを訪ねたけれど結果は一緒で、長い年月の間には、もう途方に暮れて「自然治癒力」に頼ろうと何もしないでいた時期もあります。

詰め物が取れたときなど虫歯治療だけは行きましたが、そのときも、複雑化するのでこの経緯は伝えないでいたこともありました。また、相談してみたときでも、やっぱり結果は同じで、なすすべありませんでした。

そうこうしているうち、少しずつ歯並びが目に見えて変わり、特定の箇所の歯が擦り減ったり一般に「食いしばり」が原因でできるタイプの虫歯が、同じ箇所に繰り返しできるようになりました。
かみ合わせが悪くなってから「噛むのにちょうど良い場所」を探してしまっていた時期もあり、そのとき「食いしばり」の力がかかった可能性はありますが、それは一時期のみで…その後は、少しでも良くなりたいので日中は噛みしめないように心がけており、睡眠中の歯ぎしりなども元々ないので、それらは食事など普通に噛むときのアンバランスで負荷がかかってしまったのが主な原因だと思います。

色んな形で体に負担がかかり続ける…そういった状況を少しでも食い止めたくて、昨年からは自費治療の歯医者さんにも通ってみるようになりました。

そう、最初の頃は、歯科治療が原因でこうなったのに「自費」なんてとんでもない!と、反発する思いがあって、自費治療は選択肢になかったのに…ですよ。

自費治療での冒険

今となっては、良くなるならそれでいい!という気持ちだけでした。

自費治療だと、様々な信条や得意分野のある歯医者さんと向き合うことになりますが、これも残念ながら満足いく結果にはなりませんでした。
切実な気持ちを除けば、体験としては面白かったですけどね(笑)

ちょっと頑固な職人さんのような先生もいれば、これまでの経緯を聞いて、
「今後の、他の人のためにも、元の治療をした歯医者さんを裁判で訴えた方がいいんじゃない!?もしそうするなら協力するよ!」
なんて言う先生もいました(笑)私はそうする気はないのでお断りしましたが。

自分はそこにエネルギーを使いたくないし、なにせ、今だってある見方をすれば、元々のその「調整」は正しかった、と言われかねないのです。
それをたくさんの労力をかけて、間違っていると“証明”するなんてまっぴらです。

私は私自身がどんな体験をしたか、かみ合わせや体の状態がどうなったかを知っているので、それを外に証明して見せる必要はなく、私のやりたいことは「今」、体が良くなるためにベストを尽くすこと。

そんな風に色々な歯医者さんの意見を聞きながら、最後に「この歯医者さんでダメだったら、もう手立てはないかもしれない」と思うところに通ってみましたが、そこでも先生の説明や見立て、治療のゴールについては曖昧な感じで、(それを隠さない歯医者さんだったという点で良心的ではありましたが)「このまま通っていても良くはならないんだろうな…」と、先に感じてしまいました。

自費治療では料金の体系も様々で、一回の治療につきいくらというところもあれば、時間制のところもあります。時間制だと、時間はかかっていてもミーティングのように話し合うだけで何回かが終わってしまうこともあり、「何だかな…」と感じていました。

もう6年半以上も、お金も時間もかけているのに、全く解決につながらない…
これはもう一生、こういうものなんだとあきらめて過ごすしかないのかもしれない…。

矯正が視野に飛び込んでくる

そんな風に思っていた矢先、中学~高校の頃に歯列矯正をしていた妹が、
「一度、矯正歯科の先生に相談してみたら?矯正の先生なら、かみ合わせにも詳しい先生がいると思うよ。それに、自費治療にそんなに何回も通うなら、かかる費用も矯正治療とあまり変わらなくなっちゃうんじゃない?」
と言ったのです。

その言葉をきっかけに、それまで考えていなかった「矯正」が視野に入り、早速、通いやすそうなエリアで矯正歯科を探して相談に行きました。それが今年に入ってからの出来事です。

いえ、振り返れば2、3年前から、「矯正」のキーワードは私の現実にちらほら現れ始めていました。が、自分自身がやるものだとは思っていませんでした。

訪ねることにした矯正歯科…そこでは、初回の無料相談の時点で「違い」を感じることができました。

今まで、誰もその角度からは診断しなかった!そんな質問はしてくれなかった!
という視点から診察し、治療するならこうだという話をしてくれたのです。

また、私自身ははっきりと毎日体験していることなのに、歯医者さんによっては歯並びや咬合紙によるチェックや模型だけを見て、
「噛めないはずがない!」
などと言ってくる状況に対し、そこでは、
「えっ…それ、他の歯医者さんではわからないんですか!?」
と、驚きを表しつつ、現在の私の状況を理解した上で、どうしてそうなっているかを説明してくれました。

あ、わかるところではわかってもらえるんだ…
そして、どう治療するかもちゃんと提示してもらえるんだ…!
と、目からウロコでした。

まず、治るって言ってもらえたのが初めて。納得できる明確な治療の提案をもらったのも、それを説明してもらったのも初めて。
一生治らないかも、と思っていたのに、可能性があった、というだけでもうれしかったです。

歯のバランスの不思議

私の場合、元々ぎっちりと並んだ歯で、歯列にわずかなでこぼこはあるものの、一般の歯科で矯正を勧められることはまず、ありませんでした。

例の歯科治療の出来事の後、自分では「動いて変化してしまった」と実感している今の不安定な歯並びでも、一般歯科では自ら申告しない限り「問題」と見られることはなかったです。

ところが、今回の矯正歯科で、私と似たケースを見せてもらったところ、
私なんかよりずっときれいなアーチを描いている、揃った歯並びの人の写真が出てきました。
「審美面」だけ見たら、全く問題の見当たらない歯です。
ところが、かみ合わせとして見た場合にどんなところが負担になっていたのか…具体的に説明を受けました。

なるほど、見方を変えると、私が色々な歯医者さんで不調を説明してもなかなか理解してもらえなかったことも納得がいきました。
すべての矯正の歯医者さんがそうかどうかはわかりませんが、矯正の歯医者さんと一般の歯医者さんとでは、着眼点がかなり違うものだなと発見しました。
そして私のケースでは、一般の歯科を(かみ合わせの専門というところでも)この先何件めぐっても解決しなかっただろうな、と。仕事が異なるからです。

もちろん、今回の歯医者さんと私個人との波長が合ったというのもあります。
歯医者さんに限らずそうですが、感性や雰囲気で、自分が違和感を覚えたり苦手だと感じたところはどんなに条件が整っているようでも選ばない方がいいです。リンク先の記事にも書きましたが。

私の場合、下の歯側に埋まっている親知らずの最後の1本の抜歯と、再度治療が必要な治療済みの歯とがあったので、先に上の歯だけ矯正装置をつけることになりました。

矯正を視野に入れてからは本当にスムーズに、あれよあれよと言う間にとんとん拍子に進んで、気づいたら器具を装着していたという感覚です(笑)

その間、不安や迷いはほとんどなかったです。
むしろ、良くなる可能性がある!と考えたら、うきうき、わくわくで。

先に述べた妹だけでなく、学生時代には矯正をしている親しい友人もいました…が、その頃は一度も、自分も将来矯正をするなどと思い描いたことはありませんでした。
特に詳しく話を聞いたこともなく、興味も持っていなかったのです。人生はわからないものですね。
振り返ると身近なはずの妹の矯正も、ちょうど間に私が高校留学していた時期をはさんでいたせいか、思ったよりも詳細を記憶していません。

さらに大人になってから矯正をしている知り合いは誰もいないので、ちょっと不安がよぎり、どうなるのかな?…という思いが出てきたときには、

この人のことを思い浮かべたら元気が出ました(笑)

世の中にゃー、自分がそうしたいからという理由で、歯にダイヤモンド埋め込んでしまう人もいるんだもんね(笑)
この間、リル・ウェインを知らない友人に写真を見てもらったら、「えっ!歯、どうなってるの!?」と言って何度も見直して爆笑してました。

これは「Grill(グリル)」と言って、元々は着脱式の、前歯にはめる金などの装飾具で、南部のラッパーが多く着けていたのですが、リル・ウェインの「育ての父」と呼ばれていたバードマンをはじめ、いつからか直接歯にダイヤモンドを埋め込んでしまう人が現れました(笑)

私は昔リル・ウェインが出演した番組で、何で歯を磨いているの?と尋ねられ、
「普通にcolgateとかで磨いてるよ…」
と、はにかんで?答えているのを見たことがあります。※colgateはアメリカでよく見かける市販の歯磨き粉。

というわけで、私は自分の矯正器を「グリル」と見なしては喜んでいるおバカさんです(笑)

人生色々あるけど、色々な体験ができて、悪くないよね!

ラムちゃんと同じ星から来た宇宙人だと言われても驚かない。むしろ自然。

現時点での、感想は?

最後に、矯正器具をつけてからの現時点での感想も書いておきます。
まだ装着して数日で、上の歯のみですが。

歯医者さんからは、数日間は痛みがあることを伝えられ、痛み止めの薬ももらいました(私は飲まずに終わりそう)。確かに痛みはあります。食事で、何かを噛むときが特に。でも…

驚いたことに、これだけで私のかみ合わせは少し楽になりました。
言葉にするなら、歯が「ちょうどいい方向に固定してもらえる」という感じ。
下の歯も装置をつけたらどんな感じかわからないけれど、上だけの時点では、「元のかみ合わせ」に近い感覚がよみがえっています。
だから、痛いけど、不快な痛さじゃない。

そのおかげで、これまでは常に(アンバランスから)相当痛かったんだな、ということを実感しました。痛みに慣れてしまっていたけど、矯正器をつけた痛みの方が快いと感じられるくらい、前の痛みは不快な形でつらかったのです。

そして、これを治すにはやはり歯へ、何らかの、人の手による「ヘルプ」が必要な感じがしていました。

私は途中、自然療法系の歯医者さんにも複数行ってみたし、自分自身もできることなら体の自然治癒力だけに頼りたい、と思ったこともあります。

ただ、元々の要因が人為的に起きたことだったので、(それをきっかけに私の歯や体の潜在的な特徴も加わったのだとしても、)つらい状態をそのままにすることや、出来事を拡大して「体全部を整えよう」とすることは、今回の治療に関しては当てはまらないのではないかという疑問も感じていました。

あ、もちろんすべての元にある自分の「意識を見つめる」ことは必須です。それはこれまでも沢山書いたので省略します。

…歯のために体を見て、体の悪いところを直す、というのはホリスティックな見地からは理に叶っているようにも思えますが、私の思う「ホログラフィック」な感覚では、部分の中に全体があり、全体の中に部分がある…。

つまり簡単に言えば、私の場合は今きっかけとなり問題に感じているのが「歯」なので、単純に歯へフォーカスしてほしいな、拡大して他の部分も具合悪いことにしなくてもいいのになという気持ちがありました。

そこからテーマは大きくなりますが、原発などを含め人間の技術から起こった問題は、より「自然の仕組み」を知るきっかけになり「自然回帰」を促す側面はあっても、人間がそれを「解決するための技術」も生み出さなければいけないのではないかと思います。
それは切り離せない両側面であって、スタートするだけしておいて解決策がない、という風に放り出すのは違う。

人間が始めたために起こったことを、後始末は自然によろしく!というのは、解決ではないと思うのです。

歯のことをきっかけに、そんなことを考えました。

あと、口の内側に「釣り針」みたいなのが引っ掛かる感覚がよくわかるので(笑)、釣り針でお魚を釣るときは、戯れに釣って放さないで、食べる分だけ釣ってほしいな…と思いました、魚の気持ちになるとね!

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